連休の最終日、あ、カレンダーどおりの5/5な。
ちょっと外出して、夕方に地元駅に戻った。
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「地元駅」ったって、あるいたら40分かかる東急のほうなんすけどね。
地元とは言えない驚きの遠さなんすけどね。
二子玉川の駅を下りて、駐輪場に向かう。
とちゅう。
手前側が駅、目の前(交叉点のはす向かい)に玉川高島屋。
ゴーストタウンぇ。。。
休日の19時まえだぜ!
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緊急事態宣言のまっただ中。
あんど、百貨店はほぼ強制の営業自粛。
となると、もともと
高島屋ありきで成り立ってるこの街は
どんなにシャレオツ扱いされてようと、
当然こうなるわけで。
この画像は。
陽が沈んだあと、スマホのカメラが光を拾いやすいモード?になってるからか、ちょっと明るめに見えるかもしんないケド。
まあ、ゴーストタウン・オブ・ゴーストタウンって感じで。
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キクチが物心ついたころには玉川高島屋はすでにあって。
そのあとワケワカメでトンチンカンな開発をして。
駅前はすっかり変わっちったが。
高島屋はやっぱり街のランドマークだし。
クリスマスが近づくと、沿道の国道246もすげえライトアップしてセットで。
イルミネーションってえの?
こんなクソブサ非モテでさえ、「スッチーいってみんべ?」ぐらい無謀に気が大きくなる。
ようなのが、きょうびこういう。
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モノの価値って、合意のもとおこなわれるもので。
ただの紙切れとか金属片に「お金」って権威をつけて、何にでも交換できまっせっていう認識がみんなの共通のものになると、それをいっぱいもってりゃ世界を牛耳れるようにすらなる、みたいな。
ほぼすべてのモノの価値がお金の量ではかれるようになるという、みたいな。
でも、もともとただの紙切れや金属片で。
それに代わる価値が出てきたら、それらはただの紙切れや金属片に戻るわけで。
。。。って、コムズかしいことを言いたいわけじゃないし、経済まったくわかんないので措いて。
電車に乗っててたまにいまさら。
「この車両に乗ってるほとんどのひとがスマホをいじってる」
っていう異常さ?近未来感?に、はたと気づいてビビる、とか。
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たとえば「栄えてた街が寂れる/滅びる」って。
この日の真っ暗なシャレオツタウンニコタマの拡大解釈版なのかな?
おもいましたとさってだけの話で。
もしこのまま二子玉川の街から百貨店がなくなれば、たぶん50年前以前みたいなのどかな河畔の漁村? 花街?に戻るわけで。
そういう栄枯盛衰っていうか諸行無常的なことにたまらなく魅かれるときってない?
滝廉太郎(土井晩翠)の荒城の月、的なやつ。
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家族旅行で城をめぐってると。
「世が世なら、いまもここが日本の首都のかも」
あるいは「地域をシメる大都市だったかもなあ」
っていう現・ただの大自然wにぶち当たることがままあって。
奈良の山奥とか安土とか岐阜とか。
あるいは一乗谷とか春日山とか。
(岐阜は別格にいまも栄えてるケド)
(日本の中心たりうるかっていうとビミョーで)
(でも、どっかでちょっとボタンをかけ違ってたら、名古屋じゃなくコッチだったかもなっていうロマンね)
(だいたい「岐阜」ってネーミングの気合い度に萌えるわけです)
そういうのに想いをめぐらすと、どうしようもなくきゅんとす。
。。。あ、そんなんどうでもいいってんなら、いいっす。
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逆に。
東京(江戸)なんかがまさにそうなんだろうけど。
ちょっと時代の歯車が噛み合っちゃって、
ステイタス爆上げみたいな土地もあるじゃないすか。
最近でいうと、品川なのかな?
たしかに元からそれなりにそれなりだったけど。
にしたって、まさか品川がアノ上野を食う日が来るとはたぶん誰もおもわなかったとおもうんっすよ。
みたいな。
そういう機微にも、きゅんとす。
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そんで、なんの脈絡もねえケド。
「あああ、またひょいっと大阪とか行きてえなあ。
きつねうどん食いてえなあ。
そんな世の中、はやくはやくカマン!」
ナドトおもうわけです。
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そんななか。
少なくともキクチが生きてるうちはたぶん、
永劫、陽の目を見ることはねえ
超絶ビッグシティ狛江。
の立ち位置とかいろんな超絶ビミョーさが
たまらなくいとおしいっていうか
いいなっておもうわけです。
ある意味そういうのが、
モノの価値ってことなんじゃないかな?
とかとか。
ぽえむ。