キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「休日はいつもにも増して誰も見てねえから好き勝手ほざく」の検証

「土日でいつもにも増して誰も見てねえってんで好き勝手ほざく」

ナドト、よくほざくじゃないすか。

 

傍からはまったくわかりづらいかもしんないが。

こうもんみえても、あきらかにそういうフシはあって。

 

たとえば、走ることを書くんならなるべく土日かなっておもうw

 

 

そもそもが誰も見てねえような些末ブログだけど。

制限なく公開してる以上、いちおう見られてもさしつかえない程度の常識とか社会性をまとうようには心がけてて。

 

つっても「あいつマジいらねえ。この世界からいなくなってもぜんぜんいい」とはさすがに言わないよね。程度の常識とか社会性の低さなんだが。

 

 

あと、そもそも。ブログの管理画面とかグーグルなんたらに出てくるアクセス数とかの数字はただの数字っていうか。

実感として、まったく実感できないので(日本語ぇ)。

 

たとえば、ですよ。

きのうのアクセス数が20として。

 

ブログとしてアクセス数20ってのは、ものすごくショボいんだろうケド。

「20人が集まった席でてめえのクソテキトーな話を聞いてもらえてる」

としたら、ものすごくたくさんのひとが聞いてくれたわってなるわけで。

 

その、ブログ的なアクセス数20とリアルなにんげん20人との、心の折り合いがつけようもない。

 

 

ってのは。

ちょっと話がとっちらかりそうなので措くが。

 

 

そんなんなかでも、休日ってのはアクセス数からしてもまさに「いつもにも増して誰もみてねえ」になるものなので。

土日にアップする分のブログを書くときは、じぶんのなかでだいぶん自由度が増してるのは確か。

 

なんらかの想いをもって、力を入れて書いてて。

反語的にいえば、ある種の覚悟をもって書いてる。

 

 

で、こういうとき。

(両親は文学部だけど、こともあろうに理系に進んでしまったムスメっこをもつ親としては)きわめて客観的で論理的な根拠を示しますわ。

ということに、気づきはじめて。

 

たとえば、4月の休日にアップしたブログで証明してみる。

 

4/3(土)ふだん小田急線を使ってる人にとってさえどうでもいい話

4/4(日)亡くなった田中邦衛に対する思い入れを勝手にほざいてる

4/10(土)更新なし

4/11(日)更新なし

4/17(土)エアかすみ前日の緊張をまぎらわしてるのがミエミエなビートルズ話

4/18(日)(ここだけ当日飲みすぎちゃったから唯一翌日)エアかすみがうらの結果

4/24(土)お誕生日おめでとうを自家発電

4/25(日)エアかすみがうらの経過前編を一週間も経ってからごたいそうに

4/29(祝)ただのマーマンさんのパクリ

 

。。。

 

みじんの覚悟もみられねえw

通常営業にも増してユルユルじゃねーかw

 

っていうか、更新してねえ日があるってなんだよ?

おめえぜんぜん自由じゃねえし、むしろガッチガチに縛られてるわよ?

 

 

GW突入ってんで。

「休日はいつもにも増して誰も見てねえってんで」を錦の御旗に。

クソテッキトーに、自由に、ブログを書こう書いてやる!

って、ちょっと意気込んでた。

 

なんなら、ちょっと(だいぶ?)ブラック方面に振ってみようかなとか。

もっともっと身内ネタに浸かってみようかなとか。

これでもふだんは文字数的に抑制してるので、すべてノーカット垂れ流しの撮って出しでお送りしちゃおうとか。

 

そういうじぶんのブログに対する想いとかそういうの。

 

客観的に論理的に。

ぜーんぶ、勘違いの思い過ごし!

 

皮肉にも「いつもにも増して誰も見てねえ」だけが、客観的に論理的に浮上してるんであった。

 

ござる。。。