「すきな理由がわからない」ことってあるじゃないすか。
ひとにしろモノにしろ、現象にしろ。
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とまた、あいかわらずの自分語りぽえむを垂れ流すんすけどね。
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理由がわからないから説明できない。
その説明できないってのは、
脳みそが足りないとか思慮が浅いとか、
あるいは意識を言語化する能力が低いゆえ
というふうに諦め。
そういうおのれの不足や浅さや低さについて
嘆いてもどうにもなるもんでもないし、
めんどくさいことになるのもアレなので、だいぶ昔にうっちゃらかしておいた。
だいたい、すきなもんはすきなわけで、
その理由とかメカニズムよか
ふんわりといいなとか心地いいなとか刺激的だなとかおもってることのほうが大事じゃねえか、と始末をつけた。
すきなものごとやきらいなものごとに対して、ロジカルな理由をつけられるばあい、その理由はたいてい後付けである(世紀の大発見きどり)。
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どうでもいいけど。
きらいな(すきではない)もののほうが
いくらでも理由がおもいうかぶって不思議だよね。
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。。。
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今朝テレビをみてたら。
若者?がたき火を囲んでディスカッションする?さまが流れていた。
そういうのが流行ってんだってさー。
反射神経で「けっ!」っておもった。
ただ、石橋貴明が薪をくべたり、(「ヒロシです」の)ヒロシがぼっちキャンプをしてるのと、何が違うんだろう?
なんで石橋やヒロシには「けっ!」っておもわないんだろう?
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(今朝テレビでみたたき火がそうであるかは知らんが)
(たぶんにじじいの妄想だとはおもうが)
キクチが「けっ」とおもったのは
「たき火を囲んで議論をするぼくたちあたしたちかっけーでしょでしょ」
が透けて見えた気がしたからで。
何つうの?そのひとたちは絶対、
とりたてて議論をしたいわけでも、
さしてたき火がすきなわけでもないのよ。
たき火である必然性がビタ一文ない、ただのアクセサリー感ってえの?
そういうぺらっぺらさ?が
どうしようなく「けっ」なのね。
(そうそう、こういうのこういうの)
(このように、後付けの妄想でいくらでもきらいな理由がうかぶわけですw)
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じぶんにはあまのじゃく的な部分がある。
ということは自覚してて。
逆張りとか悪目立ちになっちゃうこともあって。
ロンのモチ、無自覚のままなんだが。意識して逆張りとか悪目立ちしようとするよか、かえってタチ悪くね?
なんておもったこともあって。
でもけっきょくどうにもならないので
だいぶ昔にうっちゃらかしたんだが。
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それはたぶん、わりとじぶんに正直だったから。
ということに気づいた。
少なくとも「そんなぼくちゃんかっけえっしょ!」なんてビタ一文おもってなくて、むしろ社会性って意味ではコンプレックス方面だし。
(だいたい)
(鉄人みずから「じぶんに正直」ってほざくとか
そうとうイタいから削除してもいいんだけど
イタい以外に削除する理由がみつからないので残しとくw)
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何を言いたいかというと。
じぶんがすきではないとおもうひとやモノ、現象は。
「そういうアクセサリー感がチラつくから」
という理由があるってことがさっき判明した、と。
。。。
コレ、わりと普遍性があるなとおもって
普遍性アリマス方面でまとめるか、
最悪、あるあるにはオトしたかったんだけど。
ぽえむっていうか、だからなんだよ案件に終始してもうた。。。