齢をとって変わったのは、以前よか縁を大切にするようになったということだ。
ああ、えっと。
「縁」っつうとオカルトじみてたり啓発モノじみてたりするかもしんないケド、そういうんではない。
あと、こんなん言い出したからって、何らかのフラグとかかまってほしいとかそういうんでもない。たぶん。
(と思い返してみますれば、来るものは拒まず去る者は追わずだとか買わない宝くじはどうだとか、たびたびそんなんようなこと言ってるよな、何なんだろな)
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ままあるじゃないすか。
無目的で本屋をうろついてて、面白そうな本を見つけて。
「いま読んでる本が終わったらこれ読もう」ってその日は買わずにおいたら、もう二度とその本とは出合わない(「いま読んでる本」を読み終わったころには、存在すら忘れてしまってる)。みたいなこと。
あるいは去年の終わりごろ、ベビースターラーメンの『町中華で飲ろうぜ』とコラボした商品が出て。
ガンプよしおさんのおかげで、うまくせしめられて。
「うおお、けっこう売ってんじゃん!」
おもったが、その後一度たりともあのベビースターを見かけたことすらない。
みたいなこと。
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そういうのって、勘とか運とかタイミングとも絡んでるもんだいで、「勘とか運とかタイミング」っつったほうがいいのかもしれないが、ひっくるめてオカルトじみた「縁」でゴーオンしてみる。
しょせん記号よ、記号。
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で、たぶん齢をくってきたからこそ、一つひとつの出会いとか出合いの貴重度が増してるような気がして、一つ逃しちゃうともう一生出くわさねえかもしれないしってんで。
安打数を増やそうとおもったら、打率を上げるか打数を増やせばいいわけで。
打率を上げるには力量の上積みが要るが、打数は打席に立ちさえすればおのずと増えるわけで。
でいて、ただ打席に立つだけではヒット打てるかわかんないし、むしろ打席にいっぱい立つことが目的みたいなことになっちゃうとやだから、あえて打率のほうを上げようとしてるわけです。
。。。
って、このたとえわかりる?
おれは、じぶんで言っといてじぶんでわかんなくなってきたぜw
「縁を大切にする」って、考えれば考えるほど打席数の話だよな?
まあいいや。
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たとえばね。
マイナンバーカードってよくわかんないもんがあって。
おなまえは聞いたことあるけどよくわかんない。
いま持ってないけど、それによって目に見える不便や不利益はない。ということは今後もおそらく、持ってても持ってなくても人生に変わりはない。
ので、積極的につくりにゆくことはないであろう。
んだけど、ある日こんなDMが来て。
ちょっとでもピンと来たからスマホで申請してみた。というのは縁だとおもう。
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あるいは。
マーマンさんのブログを拝読して、ろくに走ってもねえくせに何となく「新しいランニングシューズほしいなあ」すっげえひさびさに漠然とおもっちゃって。
脳内で「新しいランニングシューズほしいなあ」と「おめえキクチよお、まだ下ろしてもねえシューズが下駄箱に何足もあるじゃねーかよ。まずそれを消費しろよ」が激闘をくり広げて。
正論的には後者「いまあるものを使ってから」がカンペキに正しいって重々わかってるし、どの角度からどう眺めても圧勝なんだけど。
正論で寄り切られたとはいえ、「新しいランニングシューズほしいなあ」という気持ちがまったく消えたわけではない。
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ので、去年末にパソコンをせしめたときみたく、「あと3回ほしいなあっておもったらキヨミズダイブしちゃおう」ってことにした。縁。
そんで、去年末のパソコンをせしめたときみたく、チョーソッコーで3回ほしいなあっておもっちゃったので、「まったくしようがないなあ」って購入を決めた。
ところがぎっちょん(↓)。
原因はシステムにあるのかキクチにあるのかはわからない。
とりあえず、キクチ地力ではキクチ側に原因があるかどうかは突きとめられなかった。
ただ、これも縁だと。
みたいなことを大切にしたほうがいいんじゃないかなっておもった。おもいましたとさ。
ぽえむ。