すげえ間があいたけど、いちおう話のつながり的にはムスメっこの学校の三者面談のつづきで。
なんですんなりつづけなかったかというと、さしたるネタがなかったからである。
たとえば、目的のひとつが(上記リンクの前のエントリーでほざいた)コレで(↓)。
そのムスメっこのJKっぷりが担任の先生にどう映ってるか、ムスメっこがじぶんの目が届かない学校という場においてどう過ごしてるか、第三者の話を聞いてみたいじゃん?
でも、学校的にそうなんだか担任の先生のキャラがきまじめなんだかわかんないケド、学校生活的な話がまったく皆無だった。
ありていに言うと「つまんねー」だったゆえ。
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2年生以降の文理選択をどうする? っていう主題があって。
たとえば理系を選択するんなら理科は物理or化学っていう選択肢がその学校にはあって。
ついでに、高1にはまだ雲をつかむような「志望校・学部学科はどこ?」的な仮調査も出させられるんだけど。
ムスメっこは「進みたい方向のやつは物理的な知識が必須なんだけど、生物のほうがとっつきやすい。点をとりやすい」ってんで、どっちを選択するか迷ってると前日、訊いて。
「それは明日、面談で先生に相談してみりゃいいんじゃね?むしろそういうことをこそ相談すべき場なんじゃね?」って結論に至って。
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当日、相談したら「本提出までまだ時間があるので、もう少し自分で考えてみてください」とかいう最もらしい回答がブチ返ってきたんだが。
JKともなればその主体性が必要だ、そこを求められてる、ってことかもしんないが。
そんなんなら担任なんていらねーし、あまつさえ、親がわざわざ貴重な時間と交通費まで割いて同席する意味なくね? ってんでブログネタにしようがなかった。
その憤懣っぽいやつを、「ムスメっこは高校生活すげえ楽しそうだってあらためて実感でけた」「学校やその周辺の環境もなんだかすげえ充実しててよさげじゃん」で中和して、てめえの感情を収めて、吐いて捨てた。
ありていに言うと「クソつまんねー」だった。
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っていうグチ垂れ流し的なことはさておいてっ、と。
結論的には物理を選択したってのは措いてっ、と。
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その、進路の道筋っていうか、とりあえず何でそういう希望を抱いてるかっていう理由。冒頭にリンク貼ったエントリーではこういうふうに言ってたんだけど(↓)。
ム「それがじぶんでもよくわからないw」
実はこのとき、もう少し粘ってツッコんで訊いたらムスメっこはコウ答えやがった。
「人の役に立てることって何があんだろうって考えてそうなった」
ファッ!ってなった。
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。。。
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キクチはいままで、なにかをする(したい)動機を「人の役に立ちたい」に置いたことはビタ一文、なにひとつない。
「じぶんがやりたいことは何か?」「それはほんとうに楽しめそうか?」という軸だけで考えてきたセルフィッシュなにんげんで。
やってて「ひいては当事者なりかかわったひとを楽しませたい」ってのは、あくまで後付けとして考え始めたケド、ここで言う「楽しませる」と「人の役に立つ」はちょい隔たりがあるっていうか、本質的に全然ちげえ気しかしねえ(わかりづれえ。。。)。
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どっちがいいとか、キクチおめえは何なんだ? とか言いたいんではない。
つまり、全面的に親ばかで。
「第一義に『人の役に立ちたい』がクル、ムスメっこ、マジえれえな」ってことで。
それはムスメっこの性質なのか、当世のJKに世代として思考にそういうことが埋め込まれてるのかは知らねえケド。
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かたやたぶん、来年とか数ヶ月後とか遠くない未来に、キクチを取り巻く環境が激変することはわりと確定的で。ちょっと楽しみでもある反面、地味にわりと途方に暮れてるんだが。
いままでてめえの辞書になかった「人の役に立つ」的なことを基点にする考え方もあんのかなっておもったおもいましたとさってだけの話だw
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かりに演習問題として。
「てめえが走ること」で「何か人の役に立つ」っていう観点で考えてみたとして。
いまんとこ、そのてめえのアクションと「人の役に立つ」との架け橋がまったく結びつかねえんだが、そういう思考回路をつくることがまず大事だぜってこと?
はたまた、これ自体がワケワカメな隘路とか言葉遊び、思索遊びに首を突っ込んだにすぎないんだろうか?
スクワットってあんがい楽しいな。
ぽえむ。