午前中、ラジオを聴いてたら伊集院光が末續慎吾と対談をしてて。これがやけに深みのある話で、時間の制限がなければずっと聴いてたい感じだった。
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40歳になった末續は現在もプロとして選手生活をつづけている。
選手としてはもう日本のトップではないけど、3年ぐらい前だったか、標準記録を突破して日本選手権に出たのがニュースになったっけ。
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末續慎吾の競技生活のハイライトといえば、2003年にパリでおこなわれた世界選手権。
(オリンピックに何度も出てるし、北京五輪の4継で初のメダルを獲ったときのメンバーでもあるが、まあ措いて)
(あれね。ゴール後、3位が確定して朝原がバトンを真上に放り投げて喜んだやつね)
(そのレースもアメリカだかジャマイカの選手にドーピングが発覚して、のち銀メダルになったやつねとか、説明がめんどくせえぇ)
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03年の世界選手権200mで銅メダルに輝く。
日本人が陸上競技の短距離種目でメダルを獲るなんて、少なくともキクチが生きてる間はないだろうとおもってた。
(ほか、わりと同世代で400mハードルで為末大が二度メダルを獲ったが、また説明がめんどくせえっていうか話がややこしくなるので措く)
(為末と末續っておなまえが似てるからたまにこんがらがるよね。末續は「小理屈がすぎねえほう」っていう識別方法。いらねえ情報)
銅メダル・3位というのは、リアルタイムでもけしてフロックではなく、「今後数年、200mは末續ら数人を軸に世界がまわっていくだろう」的な言われ方をされてたような覚えがある。
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あ、ここまでもここからも、ラジオを聴いてたキクチの記憶や印象ベースだから、じゃっかんの齟齬はあるかもしんないけど、ゴーオン。
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末續本人もソノ気で、日本人初の100m9秒台、200m19秒台を目指してがんばれてたという。
いつも期待されるっていうプレッシャーはあるものの、世界一を明確に見据えて日々のトレーニングに取り組んでいたという。
そんなとき、ウサイン・ボルトという圧倒的な才能が現れる。
ボルトが現れる前も、末續よか速い・つおいひとはいたわけだけど、努力や工夫によってなんとか伍することはできると考えていたし、実際、そう考えられていたからこそ、厳しいトレーニングにも前向きに取り組めていたのだろう。
しかし、ボルトといっしょに走ってみたら完全にお手上げ。
「次元が違いすぎて、もうただただ憧れるしかなかった」と。
「現役のアスリートがほかの選手に憧れるようじゃおしまいだ」と。
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「世界一になる」という目標があったからこそ、目標のために日々、過酷なトレーニングに耐え、少しずつ少しずつ繊細なぶぶんをブラッシュアップしてきたのに。ボルトという圧倒的な才能と力量を目の当たりにしてもはや憧れるしかなくって、それらがすべて崩れ落ち、何のために走るのかわからなくなってしまった。
その後、ボルトは100m、200mで世界記録を連発し。
末續は心とカラダのバランスを失い、3年間の休養生活に入る。
休養に入る直前ごろは、スパイクを履くことすら苦痛だったと。
「いつも練習をしているという習慣と、練習をしなきゃという強迫観念みたいなものに対して、細胞レベルがスパイクを履くことを拒んでいた」みたいな物言いが、苦しい心情を言い表す言葉としてすこぶるしっくりきた。
(コレたぶん、1週間ぐらいはradikoで聴けるとおもう)
(リンクを貼ったりはずしたりすんのめんどくさいからカツアイしますね)
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上記したように、末續慎吾は3年間の休養後復帰し、現在も走り続けてる。「練習量は10分の1ですけどね」ってほがらかに言う。
それって「走ることが根本的にすき」「走ることがカラダに染みついちゃってる」ってのもあるのかもしんないケド、そうなるに至るにどうやって気持ちに折り合いをつけたんだろう。
(本放送で言ってたような気もするが、忘れちったなり)
辰吉とかカズ的な境地なんだろうか?
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これはトップアスリートにかぎらず、誰にでも通じるメッセージであるような気がする。
いや、たまたま題材が「走る」に関連してるケド、生活にかかわるぜんぶに当てはまるわけで。
「ものすっげー{仕事ができる上司や同僚/おもしろいひと/脚の速いひと}」とかとか、心が折れるぐらいまったく太刀打ちできない実力をもつひとがいるとして、でいて、そこでどうやってじぶんの立ち位置っていうか居場所を見つけるかっていうプロセス。
。。。
ええっと。違うこと言うつもりだったのに、どんどんどんどんズレてきてるぜ!
なんかまるで、いまキクチの心が何らか折れてて、でいててめえの居場所をみつけようって足掻いてるみたいになっちゃってねーか? ただの一般論なのにな。
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っていうか、何を言うつもりだったんだ?
って、誰に訊いてんだ?
ホントはちょっと走りたいのかもしれない。
まさかのw