キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ざくろ

ざくろって、見たことも食べたこともない。

 

ひょっとしたら見たことあんのかもしれないが、「これがざくろだ」って意識したおぼえがないので、見たことがない範ちゅう。

 *

 

2002年10月27日にキクチは結婚した。

超絶人見知りのコミュ障クソブサ非モテ性悪が結婚できるとか、ミラクル以外のなにものでもなかった。

 

あ、きょうはそういうどうでもいいたぐいのぽえむに終始す。

たれながす。

 

 

1999年からおつきあいしてた現在のにょうぼうと、3年ちょいで結婚した。

照れ隠しとかじゃなく、プロポーズに何を言ったかまったく覚えてない。

キクチはこうもんみえてもわりと節目を重視するほうだし、アニバーサリー的なものはちゃんと覚えてるほうだから、人生で最大の節目といってもいいプロポーズを覚えてないってのは、謎。

 

 

たぶんアレだ。

言葉とか場面とかいろいろ考えすぎてテンパり、あんどいざとなったらおじけづいたりなんかしちゃったりして、けっきょくベロベロに酔っぱらってから言ったに違いない。

 

このビシッと筋の通った一貫性っていうか、いまの「大事なウタゲはかならず記憶ロスト」な行動パッターンと符合する。

たぶんソレだ。はずい。

 

 

28のころ、キクチは結婚したくてしようがなかった。

 

それはいまからおもえば、にょうぼうを「これぞ!」っておもったからなのか、結婚じたいをしてみたかったからなのかわからない。

結婚はタイミング的なものが命だって聞きかじってたから、そこは逃すまいってものすっげえアドレナリンを出して、ないアンテナを張りまくってた記憶はある。

 

 

コレ、いきおいで書いてるけど、キクチに損にしかならなくね?

まあいいや。つづける。

 

 

結婚することを決めた春、社会人になって最初に就職した会社を辞め、フリーランスになった。人生の転機はいっしょくたにしたほうがいいとでもおもったんだろうか?

バカすぎる。

 

そんなんで、よくあっちの親に結婚許してもらえたよな。

 

 

2002年のはじめ。

すっげえ緊張しながら、いちおう「娘さんを私に」的な挨拶はちゃんとしに行った。

一張羅をまとって、にょうぼうの実家のインターホンを鳴らすと、にょうぼうと義母が出てきて「パパは飲みに行っちゃったのよお」って言う。昼。

 

義父が行きそうな地元の店を家探しして町中華をのぞくと、すでに赤ら顔な義父が「おお、こっちこっち!」って言う。

 

言われるまま席についてキメるチャンスをうかがうが、義父はぜんぜんその機会を与えてくれないまま、その日はベロベロに泥酔して、義父と肩組みながらクロス一気飲みみたいなことをして終わった。

マジか。

 

 

ただ、そのちょい前の01年12月。

キクチ父が銀座の画廊で還暦記念の個展をやってて。

そこに、にょうぼうと義父が突然現れた。

 

土曜の昼下がり。にょうぼうが義父に言う。

にょ「キクチいるじゃん。お父さんがいま、個展やってるらしいよ」

義父「ふうん、そうなんだ」

 

(おつきあいをしてるころ、毎週にょうぼうの家に行って夕飯を食ったり飲んだりしてたので、馬の骨的にはそういうことだって認識されてた)

 

にょ「ただ、こないだ『一歩進める』ことにしたの。言ってる意味わかる?」

 

「そうなると話は別だ」

義父はソッコーで一張羅に着替え、銀座にすっとんで来てくだすったそうな。

銀座駅で下りてから、「ちょっといきおいつけてこう」ってんで、酒場で何杯も飲んでから来てくだすったとかw

 

 

義父はいわゆる「昭和の遊び人」ジャストコレズバリなひとで。

にょうぼういわく「昼夜問わず、酔っぱらってない姿をあまり見たことがない」「夕飯は家で食べず、かならず行きつけの寿司屋とかに飲みに行く」ひとで。

 

いっぽうで、上記したように一張羅で馳せ参じるような、そういうスジ的なものをものすごく重視するひとで。

 

申し込みにいったとき。

その「いちおうちゃんとご挨拶的な、スジを通した態度を見せた」ってことが気に入ってくれたらしくて。

 

いまに至るわけだが。

 

 

2002年10月27日にキクチは結婚できた。

結婚式は、出身大学の近くのホテルのチャペルでおこなった。

 

いや。

にょうぼうとキクチは大学の同級生で。

ゼクシイ片手に式場探しをしようってんで、まず手始めにそこを見学しにいって、そんでその場で、そこで式をあげようってことにした。

 

場所にそんな思い入れはなかった。

引き菓子のミルフィーユが美味そうすぎるってのが最大の理由かもしんない。

 

 

あとその式場は、周年記念で割引がある&10月27日は「赤口」で。

赤口は午前中はあんま縁起がよくないからさらに割引になるってんで。

(合計で80万ぐらい割引になったのかな?)

 

 

ここまで十分、ただの「だからなんだよ案件」だけど、おれがいちばん印象ぶかかったのは、10月27日の朝。これこそどうでもいい、いらねえ情報なんだけど。

 

 

当事者(とその近しい身内)としてダンドリやらあるってんで。

早めにいかなきゃって、家族とクルマで式場に向かった。

 

式場は都心を抜けてかなくちゃならないけど、都心は渋滞してるからってんで、運転手キクチはちょっと迂回した。

超絶ビッグシティから国道246を直進して明治通りという最短距離をたどるよか、甲州街道から環六(山手通り)を経由して、目白通りに出たほうがちょい遠回りだけど結果的に早く着ける、と。

 

 

しかしして東中野の駅前。

ぐらいでちらっとミラーをみたら、真後ろが義父の運転するエクストレイルで。

「おめえ早く気づけよ」とばかりに、義父は満面の笑みを浮かべ、ミラーに向かってガンガン手を振ってくる。

 

不安定フリーランスキクチだてらにその瞬間、あ、おれはにょうぼうを一生大切にしようっておもった。

おもいましたとさ。

 

 

。。。

 

 

それから18年。

 

結婚式のころ、余命宣告をされてた義父は1年半後にみまかり。

4年後、義父とやけに気が合ったキクチ父もいなくなった。

キクチ父とおんなじころ、義祖母も召され。

数年後、義母もみまかった。

 

実父と義祖母にはかろうじてムスメっこに会わせられたし、義母には小学校の入学式を見せられたってのは、ギリ、焼け石に水的な親孝行はできたのかな?

 

 

。。。

 

 

18年前の結婚式の写真。

 

義父はすげえうれしそうだけど、こんなやつにムスメをとられた的なビミョーな微笑みをたたえ。

キクチ父も義祖母も義母も、すげえ楽しそうだ。

(キクチ父とかマジバカだから、号泣して結婚式の新郎父の挨拶超絶ぐだぐだで)

(それを餌に、式の何次会でキクチはクソほど飲まされるとかいう)

 

金作じいちゃんも村櫛のおじさんも、ヒロシのアレだからってんで車椅子から一張羅で喜んでくれてたのに。

18年経ったいま、大すきだった彼らはきれいさっぱり、みんなもうこの世にいない。

 

でも、時は流れつづけて。

キクチ夫婦の時も、流れつづけた。

 

 

。。。

 

 

令和2年10月27日。

 

あすこの写真にはいなかったムスメっこは高校生になり。

イッチョマエに色気づき、てめえ一人で大きくなったようなことを言う。

 

18年前に東中野でバックミラーをのぞいてビビった28だったキクチは46になった。

後ろのクルマに乗ってたそんとき26だったにょうぼうも、44になった。

 

 

きょうび、令和も2年。

昔のこと的にかすんじったあの平成何年?の、10月27日。

 

ちょっと、冷静に考えた。

すれ違いしかない夫婦かもしんないけど考え直す。

 

おめえキクチよお、にょうぼうを「一生大切に」できてんのか?

 

 

おもいがどうかはともかくとしても少なくとも、形には表せてないくせえw

 

にょうぼう、実は後悔とかしてたらビビるw

そうだとしたら反論できるアレがビタ一文なくてビビるw

 

 

「50年は金婚」「25年は銀婚」みたいなやつあるじゃないすか。

結婚18年は「ざくろ」なんですと。

 

 

「ざくろ」って、何だよ???

見たことも食ったこともねえぞ???

金銀パールサファイアルビーみたいな、石しばりじゃねーのかよ!

なんでここでフルーツ降臨なんだよ!

 

 

カタカナで「ザクロ」とかもう、

ジオンのモブ的なモビルスーツ???

ザク、ザクロ、ザクレロ、五段活用???

 

ザクレレモン!(イミフ。いきおい100)

 

漢字にすっと「石榴」。

高槻の偏差値高オンナは当然、読めれたよな!