ひきつづきムネコフさんのブログについてなんすけどね。
*
まず、最初のころのエントリーをぜひ読んでほしいの。
ムネコフさんの生い立ちがさわやかな筆致で描かれてて。
その10数篇のエントリーを通じて、彼の独特なセンスがいかにして育まれていったか。の、秘密みたいなものを垣間見れたような気分に勝手になれる。
(この文のキクチとやらの筆致とやらがものすごく鼻持ちならねえな、ケンノン案件)
*
で、その自叙伝のようなものは、社会人になるところまでつづくんだが。
今回拝読しててハタと気づいたのは、「チャンネーのことがあまり描かれていない」ということで。
たとえばキクチがおなじようなものを紡ぐとしたら、かならずやチャンネーのことをちょいちょい挟むはずなんっすよ。
*
そういうのって、書いててちょっと気分がアガるとおもうし、メリハリ的にもちょうどいいアクセントになるし。
ことキクチに関していえば、何しろ現在にまで連綿と続く「非モテ・クソブサ・クソほどモテないザ・陰キャ」が絶対的なオチになりうる。オイシイ。
でも、ムネコフさんはあえてそういうところにはあんまり触れてない。
のって、すっげえなとおもった。
感想が安い!
*
んで、その生い立ちってのはあくまでもプロローグ。
ムネコフさんのブログはその時点では正式にはスタートしてないのね。
前菜ってえの?あぺりてぃふってえの?
つきだし?お通し?
あまりにも豪華すぎる。
あまつさえ、正式なスタートを「グランドオープン」とか言っちゃって。
それを当時、ムネコフさんは「ドングラのプンオー」とか言っちゃって。
夙川アトムにハマりすぎててウケる。
*
んで、「当時」って意味では。
前にどっかで幾度となく触れたとおり、キクチがマラソンとかブログとかで知り合いができて、いまみたくいろんな方々と見知って飲んだり飲んだりできるようになってるのは、「ブログ村」っていうブログランキングサイトのマラソンカテゴリーに登録してからで。
それまでは数年、ぼっちで走り、ぼっちでレースに出て。
1日のアクセス数が最大2なブログに書いていた。
(アクセス数2=キクチがパソコンで閲覧+キクチがスマホで閲覧)
*
そのなかでムネコフさんってのは、ブログ村以前から存じ上げてるほぼ唯一といっていいマラソンなりブログなりの知り合いで。
こう言うととても口はばったいんだが。
ムネコフさんがブログをはじめたきっかけの0.何パーセントぐらいはキクチのせいで。
たかしさんってひとが企画した「雑司ヶ谷254ハーフ」にお誘いしたりね。
(シャレオツな「世田谷246ハーフ」(国道246を走る)に対抗して、国道254号を池袋から朝霞駐屯地まで走って折り返してくるという、超絶ナイスセンスなハーフ)
*
「当時」に話を戻すと。
そんなんわけで、「ドングラのプンオー」前からムネコフさんのブログをリアルタイムで拝読してたので。
読み返しながら、懐かしいなあとおもったりそんなことあったっけ?とおもったり、読み返してこその新たな発見がいくつもあったりもして、あっという間に現在、オンタイムにまでたどりついてしまった。
*
んで。
(空前の「んで」祭ぇ。。。)
(こっからがきょうほんとうに書きたいこと)
ムネコフさんのブログといえば、品のある毒舌とか、独特な視点とか文体とかの間に、まあ名言が散りばめられてて。
なかでもキクチが最も刺さったというか刺されたというか
何度も何度も奮い立たされたのが、表題。
(前からご存知な方にとってはそうとう有名だよな)
苦しみはいつかなくなる
諦めた事実は永遠に消えない
*
マラソンをわりとがんばってたころ。
超絶勝負レースには左のてのひらに、油性マジックで必ずこれを書いて臨んだ。
失速して諦めそうになったとき。
気力の残量が体力の残量を上まわりつつあり、弱ったなあってとき。
よおし、こっからが勝負だって気合いを入れたいとき。
ロケットをもう一段着火したいとき。
左のてのひらを見て、どんだけ火事場のバカぢから的を出せたことか。
魔法の言葉。
左のてのひらを見てそうやって燃えてくると、がんばりたいとき、調子に乗れてるときに脳内で勝手に再生される応援歌「レッツゴー習志野」とか智弁和歌山の「ジョックロック」がおのずと脳内で最大音量になって、さらにがんばれたり、調子に乗れたりした。
*
。。。
*
現在のキクチは、といえば。
マラソンはすっかり過去のもの。
「諦めた事実」でしかない。
いつかなくなるとおもってたぬーんという「苦しみ」が何年経ってもなくならないので、もうすっかり「諦め」てしまつてからずいぶん経つ。
*
ただ、諦めた事実。
(その言葉が言わんとしてるのはたぶん、ギリギリどっちかに転ぶかって局面では絶対に諦めんなよ、諦めずにいまの苦しみを乗り越えればかならず歓喜が降ってくっからってことなんだろうケド)
いまようやく、じぶんの走る楽しみ方を以前とは違う角度から見つけられつつあって。
それは、何らかを諦めたからこそってのもあるし。
逆に、もし今も以前のまましがみついてたら、ただただ苦しみみたいなものが大きくなるだけで、それってダメなほうの頑固なだけじゃねえの?っておもったりもするから。
*
キクチは走ることに対して、わりといまハッピーだ。
「永遠に消えない」「諦めた事実」も、それまでじぶんなりにがんばった真実の思い出として、わりとつごうよく昇華されとる。
*
いっぽうで矛盾すんだけど。
ただ、へんな感傷にひたりたいんではなく。
いまのジョグにおいては。
(そもそも土壇場ってもんがないから)左のてのひらを見ることも、レッツゴー習志野やジョックロックが脳内で爆音再生されることもないので、それはそれでちょっとさびしいことでもあって。
もうちょっと時が経ったら、いつかまたたまにレースに出てみようかな。
(まあロンのモチ、以前のようにとはいくべくもないけど)
っていうキクチ内に確かにある何となくな事実は、たぶん永遠に消えないんだろうなあ。
おもったりおもわなかったりする。
てめえに都合のいい、ただのぽえむになっちったぇ。。。