キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

メディアとしてのブログの可能性について、ごく薄く浅くおもってること

ぷりてんだーって、なんですの?

(恥ずいからいちおう言っとくと「糸井重里」はオリジナルじゃないからな。パクりだからな。)

 

そうそう。

トマスさんといちばん最初にお会いしたのってカナセンセイのアスリートヨガだったっけな。

 *

 

まだトマスさんがテキサスにいらしたころで。

一時帰国したタイミングでヨガがあったのでいらしてて、遠目に「あれが生トマスさんか!」っておもったもんだ。

 

でも、そこで「あれが生トマスさんか!」っておもったってことは、その前にオンラインで何らかの邂逅があったはずで。

トマスさんにも「キクチだよな?」的に声をかけられたので、その前にオンラインで何らかの邂逅があったはずなんだが。

 

それが何だかさっぱしおもいだせねえが、その後、(主にほぼぜんぶ酒場で)わりとからましていただいてるので、べつにもう源流はどうでもいいような気がする。

 

ぷ、ぷりてんだーって、なんですの?

 

 

以下、おもってることをちょっと書いてみようとしたら。

なんか、クドくなっちった)

 

 

いまやメディアとして、ブログってのは半ばオワコン扱いになってるじゃないすか。

かつては、っていうかかれこれもう10年ぐらい前になるかもしんないケド「アルファブロガー」って呼ばれる、いわゆる売れっ子?スターがいたりして。あ、小飼なんたらとかそういう感じのひとたちね、キクチが把握してたのは。

たとえば本だと。「書評ブロガー」みたいなひとがいて、そのひとがブログである書籍について触れると、紹介された本がバカ売れする的な現象もあった。

 

ほかにも、やたらおもしろいブログを書くひとがいて、たとえば加藤はいねとか。

ああ、加藤はいねってすっかり更新しなくなっちゃったな。コロナ鍋も相まって、本業が忙しいとかもあるんだろうか?(看護師さんだって自称してたよね)

 

って昔話はどうでもいいな。

 

 

それに代わるというか、当時のアルファブロガーみたいのが、いまのユーチューバーじゃないすか。

 

こまかいことはよくわかんないケド、ユーチューバーとして世に出てきたひともいるし。

有名人がそれにイッチョカミっていうか、ユーチューバーとして活動しだしたりとか。

特にコロナ鍋になってから、タレントや元スポーツ選手がこぞってyoutubeに進出してきて。

 

 

キクチとて例外ではなく。

あ、「例外ではなく」ってのはyoutubeはじめたとかじゃなく、「鍋」でおうちにいる時間が長くなったからか、やたらyoutubeをみるようになってる。

 

球界では元祖youtuberといわれてる高木豊チャンネルとか、元日ハム?阪神?の片岡のチャンネルなんか、欠かさずみてて。

 

それらのチャンネルでは、むかしや今の野球についていろいろな切り口でもって話してるんだけど、キクチがついついみつづけちゃうのは、キクチがそもそも野球がすきだってこともさることながら、高木豊にしろ片岡にしろ、野球の語りべとしてとてもクレバーでいて、人間味もだいぶんトッピングされてるところが魅力的なんだとおもう。(小並感ぇ)

 

 

youtubeってえと、マラソン/ランニングに関するものもけっこうあるよね。

大学とか実業団でならした選手や元選手やコーチの、トレーニングモノ。

 

おれはそういうのはあんま興味ないからあんまみないけど、ちょっとみてみた感じでは動画だけに動きが目に見えるのでわかりやすいし、それが山の神とかそういう有名選手だと説得力がいや増すってもんで。

 

 

そんで、かつてはそういうひともブログで発信してて、それがいまや動画に移行してたりして。

 

それはyoutube・動画の勢いとか、上記したような動画なりのわかりやすさってのがあんのかもしれないが。

 

もろもろ見てて、チョト待テクダサーイっておもった。

 

 

キクチは、だけど。

何か知識を得たくてググるとき、個人ブログは除外する。動画も、か。

それは、合ってるか間違ってるかじゃなく、真実性とか客観性とかの担保としてあまりに頼れないからで。

 

 いっぽう、こと「市民マラソン」「市民ランナーの練習法」に限定してみますれば、その練習の仕方とか、個人の成長期も含め、個人ブログは最も信頼できる超絶貴重なコンテンツであるとおもう。

 

たとえば、(箱根とか実業団あがりのランナーが降臨してあるべき姿を説いてくるのも勉強になるけど)、市井の実績も経験もあまつさえ変哲もねえおじさんがいろいろ勉強と実践を何往復もして、記録を伸ばしてく過程とかがんばってる姿って、ある種の観察っていうか一体感っていうか応援団っていうか、グルーブするじゃないすか。

 

そのひとつのシンボリックなシンボルが怪盗紳士さんだったりね。

 

 

あ、どんどんそれてってるな。話を戻す。

っていうか、何を言いたかったかというと。

 

 

youtubeがここまで広まってる要因って。

「動きがあってわかりやすい」だとおもうんだが。

 

かたやブログがオワコンになったのって。

「ちゃんと読まなきゃわかんない」

「ちゃんと読むのがめんどい」ってことだとおもうんだが。

だって、ブログ(文字)って読まなきゃただの意味ねえドットの集まりなわけだし。

 

でも、視聴(あるいは読む)にかかる時間はおんなじか、むしろ動画のが長くね?

動画って、いうほどお手軽か?

 

 

むろん、ヨガとかストレッチのポーズとかフォームとかの一目瞭然さは、動画にかなうはずはない。

が、たとえばそういうんじゃない、語り中心のyoutube。

 

動画っていうほどお手軽か?

片手間で視聴しててホイホイ情報が入ってくるか?

 

 

って考えると、テキスト中心のブログにだって、まだまだ余地があるとおもうんすよ。

むしろ、「じぶん(読み手)のペースで進行できるぶん、文字のほうがつごうがいい」「動画のスピードに合わせて進むのがアレ」ってこともあるとおもうんっすよ。

 

もっと言っちゃうと、「喋り」「動き」が得意な発信者がいれば、「書き言葉」「行間」が得意な発信者もいるはずで。

 

そう考えると、ブログってのもまだわりと捨てたもんじゃないとおもえるわけで。

 

 

いきなり半径50センチの話をしだすと。

だからキクチはもうちょっと、ブログならではのウザさ、おもしろさを探してゆこうとおもった。おもいましたとさ。書き手としても、読み手としても。

 

 

いや、コウ、キクチはブログ側に立っちゃってるからって。

「vs動画(youtube)」って構造にしたいんじゃなくって。

 

言うほどブログもオワコンじゃないし、発信者や発信するコンテンツ内容の向き不向きもふまえた使い分け方ってあるんじゃないかとおもって。

 

そのなかで、ブログだからこそできること、ブログなりの楽しめ方ってのも、まだまだ転がってる気がするってだけの話で。

 

 

身近な内輪ウケでいうと、官九郎さんなんかイケメンを前面に押し出して動画配信すりゃ、それを見たいおねえさんおにいさんはいっぱいいるのかもしんないケド。

ブログで、文字で繰り出すからこその官九郎さんのおもしろさの伝わり方のほうが、キクチはたぶんいいなあっておもうだろうし。

 

逆に「たのくるチャンネル」「オークtube」なんて、すげえおもしれえっていうかソッチ向きかもっておもったりするわけですよ。

「このうえねえ鮎ラーメンを調理して食ってみるチャンネル」とかね。

 

 

どうやってこのエントリーを収める(オトす)か、わかんないまんま、文学的に?余韻的に?オトそうともおもってみたものの。

 

たぶん、いちばん言いたかったのは。

「立ち上がれ!」で。

 

ブログは、救済策でもあるはずで。

 

 

ビジュアルが致命的なアレなキクチや、トークが致命的に当意即妙できなくてクソつまらないキクチも、たぶん書き言葉なら、時間をかけててめえのペースでできるぶん、持ち味?を発揮できるような気がすんのね。

適材適所って、あるじゃん?

 

都知事選の政見放送をみながら書いてると、ちょっとコウ書き味が硬めになる。

 

 

。。。

 

 

もう1つ、クソいらねえ情報をつらねると、そんな辺境クソブログ。

2020年6月のエントリー数は11。テコ入れしなきゃってんでブログ村ってブログサイトに登録した2014年3月以来のワースト。

 

勝手に危機感をもっていたりするいっぽう、もう退き時かなとかこれ以上クソつまんねえ垂れ流ししてどうすんのとかおもういっぽう、とりあえず、すでに明日のぶんも書き終えてあったりして、キクチはいったい何がしたいのだ?