キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

尺度みたいなもの

月曜からこっち。
まわりのあらゆる人に
気遣われまくってる気がしてならない。

そんな腫れ物です。どうも!! もすっ!!

じぶんでいうのもナンだけど
そりゃそうだよね。

じぶんでは普段どおりの生活を
淡々としてるつもりなんだけど。
たぶんそこから、隠しきれない
ガチ落ち込みオーラ
的なものが分泌されまくってんだろうし。

コンスタントに週2ぐらい、夕方になると
「ぼくはそろそろ帰りますケド」とか
「○○だし、行っとかきゃいけない気がすんだよ、キクチくん」
って、暗にあからさまに居酒屋に誘ってくる

で、おなじみの職場のボスが。

月も火も水も。
「じゃ。きょうはおつかれっ」
って、あっさり帰っちゃうとかね。

「ん?」って目くばせしてみても
「あ、いいんだ今はいいんだ」って
目くばせしてきやがったり。

いちばんビビるのはにょうぼうで。

にょうぼうは気ばたらき
みたいなことが辞書にないひとで。
いい意味でもよくない意味でも。

「マイペース」をさとりの書レベルで
きわめつづけてるひとで。

たとえば。
ごくまれにキクチが。

職場から走っておうちに帰る
とするじゃないすか。

で、おうちに着いた時間が
ゼツミョーににょうぼうと
かぶったりするじゃないすか。

「風呂に入りたいものがはちあわせ」

そんなとき、にょうぼうは。

ちょっとおれがトイレに入ったすきに
ソッコーで風呂場へGOして
風呂スクリーンアウトをする。

もしくは、デカい独り言で
「さて、お風呂に入ろっかな」
宣言する的にマーキングして

あたしのペースで
入りたいときに入りたいだけ入る
風呂スタンスを崩さない。

言ってもキクチなんか。
カラス的な気質があるので
仮に先んじたとしても、5分で出る。
にもかかわらず。

だぜ。

あまつさえ、にょうぼうは。
睡眠がなによりも大すきで。

平日は仕事があるから
けっこう早起きするんだけど、

休日は無限に寝てるし
でも休日は夜、ソッコーで寝るし。

ましてや平日は
「翌朝が早い」って理論で
勝手に風呂入って、勝手に即寝する。

まあ、ふだん平日。
定時よかぜんぜん早く出勤して
仕事をかたづけておきたい派で。

キクチよか2時間早く起きてるから
おのずと生活リズムが違うわけで。

キクチが夜、ウタゲでやらかして。
夜中に帰宅しようと。
よしんば終電を逃してあるきまわり
あるいは、河川敷でシエスタなり
一人カラオケをカマして
朝早く帰宅しようと。

にょうぼうはまったくスルー
ってことになるわけで。

そのおおらかさ?があるからこそ
キクチはめいっぱいウタゲをカマせる。

っていう二面性?もある。

ともいえる。

いや、コレ。

何か、物申したいとか、
不満を抱え込んでるとか、
ましてや、にょうぼうをdisりたい
ということでは、けしてなく。

月曜と火曜の夜。
キクチはたまたま、
おしごとを忙しいフリする。

みたいなトレンドになって。

終電とまでは言わないまでも
帰宅したときは日付変更線こえてる
的な感じでおうちに帰ったわけ。

なにしろ、ムスメっこの学費稼がなきゃだし。

で、おうちに着くと電気がついてて。

おそるおそる中に入ると
にょうぼうが待ち構えてるわけ。

だからって、何があるわけじゃない。
キクチが帰ってきたことを確認するやいなや
「じゃあ寝るわ」
って、寝室に一目散するわけ。

でもたぶんコレ。

超絶ハイパーマイペースでおなじみの
にょうぼうの狭域パラボナアンテナにさえ
何らかがひっかかっちゃった
って、ことなんすよね。

キクチどんだけだよ。
みずから、みずからにビビる。

そんな腫れ物です。どうも!!もす!!

。。。

表題に入る。やっと。

これはムスメっこの高校受験が終わってから
ぜひ書きたいとおもってたことで。

またぞろ、キクチの親バカ
ムスメっこ依存自慢がはじまるわけです。

高校選びに際して。

いいね!っていうか、そうこなくっちゃ!
っておもったのは、ムスメっこが。
「ほんとうに行きたいのはどこか」
に徹していたということで。

(落ちちゃったからこう言うのも変だけど)

第一志望の都立は、偏差値的にいえば
「もっと上を目指してもいいんじゃね?」
っていうキクチの勝手な願いがあったのに。
そういうのを度外視して
本人が行きたいとおもったとこを選んだし。

滑り止めの私立も、いろいろ見に行ったなか
当初は「え?そこでいいの(偏差値的に)」
っていうとこをひとつ選んだ。

それがなんかコウ
すごく大切なことのような気がして。

リンク貼るのめんどくさいからよすけど
中2の夏の三者面談のとき

「何でがんばって勉強するかというと」
「偏差値が少しでも高い
学校に行くためじゃなく」
「じぶんの選択可能性を広げるためで」

「勉強をがんばって上のほうにいけば」
「100校あるうち、100校えらべる」
「それなりに80ぐらいなら」
「上の20校は選べないわけだし」
「おんなじように50ぐらいなら」
「上の50校は選べないことになる」

「だから、勉強しとけば選択肢が広がる」

みたいなことをエラッソーにほざいたわけ。

それがムスメっこにどう伝わったか
は、よくわかんないけど。

結果的に、想像以上に伝わってたようだ。

「1年間、勉強をがんばって。
100とはいかないまでも90?、80?」
ぐらいに選択肢の可能性を広げたうち

じぶんの行き先をちゃんと考えた。

とかく、ですね。

直前になればなるほど
偏差値的にどうだとか
世間の聞こえはどうだとか
キクチならなっちゃうだろうに。

ムスメっこがそこに意識的か無意識かは
そこを度外視して。

まさに、手持ちの可能性のうち
めいっぱい考えて決めたわけ。

たぶんそのために、勉強をがんばった。

なので、ムスメっこが選んだ、
入ることになった学校は
ムスメっこにとっていい学校に違いない。

って、すっげえわかりみが濃い。

じぶんが半ばもっともらしく
べき論っていうか理想像を語っただけなのに。

希望を貫くのはまた別の話で。
(だってやっぱ上記したような
外見的な見栄とか、やっぱあんじゃん)

っていうのを、ブーメラン的に
「じゃあ、てめえが当事者だったら
そういうふうにできるか?」

ってんで、そこで、
ベクトルがこっちに向かう。

「ムスメっこの高校選び」っていう
親の立場として、いくらでも
エラッソーなこともっともらしいこと
言えるきょくめんを。

いざ、「高校選び」じゃなくてね。

「いま、やりたくてやってる仕事」とか
「売上をあげたいためだけの仕事」とか。

もし、そのよしんば
「売上をあげたいためだけの仕事」を
「売上があがんないけどやりたい仕事」
「そこらへん度外視してやっておくべき仕事」
で、何のためらいもなく後者をえらべるか?

とか、そういう。

いや「売上をあげる」ってのも
すごく大切なことなんだけど、
なんかこうどうもね。じゃないすか。
(っていう文脈は勝手に読んでくれい)
(こんなクソオナニーポエム、
ここまで読むバカはいねえよ、は措いて)

そこで何を選ぶかの「尺度」ってのは
それぞれものさしがあるのは当然で。

そこでたとえば。
偏差値とか社会的評判みたいな、ね。

そういうのをどんだけ尺度に入れず
ちゃんと考えられるか?
じぶんにその尺度はまだそなわってるのか?

みたいなことと青くさく
ちゃんと向き合えてれば。

その選択肢がなんであろうと
「そこそこ以上」にハッピーではいられる
んじゃねえか?

たまにそういうの、思い出したほうがいいな。

って思えたのが
ムスメっこのこの1年間で得た
最高の収穫物なのかもしれない。 (ない脳みそが熱暴走のテンパり状態)

なあんてな。

幾多のおいしくもなんともねえ酒。

記憶に深く刻み込まれ思い出のはなにも
膝を打って首肯するたぐいじゃないから
いらねえんなら、なくても全然OK。