キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

つくばまでにやらないと決めているたった1つのこと

2010年の秋につくばで初めてマラソンを走って。
翌2011年のつくばからはだいたい、春と秋に1本ずつ勝負レースを決めてマラソンに取り組んできた。

中でも今秋は、最高級に?準備不足だ。
どこからどう見てもマラソンをナメてるレベルの準備、といっていい。

コウ、準備不足がゆきつくと、どこかに救いを求めたくなるもので。

2018年の春も。
今回に匹敵するぐらい準備ができていなかった。

ぬーん(股関節いてえ)などでやさぐれ、前の年の年末からほとんど走らなくなり、前年うまく走れた3月の古河はなもも、エントリーしておきながら出走を見送った。

出走を見送ったところで、事態は好転せず、心機一転の努力を積み重ねるわけでもなく、ますますやさぐれたまま時間はただ流れていった。

それでも「マラソンを完走すればその先に何か見えてくるものがあるはず」って一縷の希望をもって、4月のかすみがうらに臨んだ。

かすみがうらマラソンは、順当に
30kぐらいで限界がきた。

順当にぬーんが炸裂し、
終盤はキロ7分台のラップを連発した。

3時間50分かかって
やっとこゴールした。

今回の走らなさぐあいは、2018年春ととてもよく似ている。
ぬーんの状態も、だいたいおんなじ。

いっぽうで前にどっかでほざいたとおり、このつくばは出走しないという選択肢はない。

でも、走る習慣がすっかりなくなったいま。

「走りに出る」こと自体がすでにわりと偉業で、日常的にそんな偉業を成し遂げる気概もモチベーションもないゆえ、「きょうはまあいいや」を連発し、そうやってただ無為に時が流れ、ぎゃんぎゃん近づいてくる当日に焦るだけ、という日々。

その中で今回、やるまいと決めたのは
「2018年春のジョグノートは絶対に見ない」

あるじゃないすか。
おしごとで納期までのスケジュールがキツくなったとき、前におんなじようなキツさだったときの進行表をみて「あんときはああだったけど結果なんとかなったから、今回もまだまだダイジョブ」ってやる、安定剤的なやつ。

わかりやすくたとえようとして
よけいわっかりづれえパッターンぇ?

2018年春の走らなさをいまと対照すれば
ひょっとしたら「こんなんでもマラソン完走できたし」って安心できるかもしんない。

(ややもすると、それでも練習ではいまとは比べものにならないタイムで走ってて、かえって不安のどん底に突き落とされるだけかもしんない。)

でも、どっちにしたってそんなん
何の意味もないんだ。

おれは、いま2019年秋を生きてる。
2018年春よか2歳、齢を重ねて。

そのころとは状況はイコールであるはずはないし。どさくさまぎれに希望的観測を盛ると、むしろ齢を重ねたことによって獲得したことだってあるはず。

っていういろいろをひっくるめても、2018年春と対照することにはやっぱ、何の意味もないんだ。

キクチはいまはじめて2019年秋を生きてるわけだし、生まれてはじめて、数日後に2019秋のつくばマラソンを迎えようとしている。

したらば、どんな形にせよ、いまここにある手持ちの武器で戦うしかないわけで。

したらば、いらねえ安心感なんかどうでもいいから、火力をナウアンドゼンに向けたほうが意味ありげだし、「振り返らずいまと先だけを見てる」とか、カルペディエム感が演出できてなんとなくかっこよさげじゃん。

ナドト、セルフで茶化してみたけど。

やっぱ、現実ってそこにしかないとおもうし
2019年秋のキクチの現実はどんなもんか。

ちょっと楽しみですら、ある。

あれだな。
マラソンを走るのはとっくに大っ嫌いだがw
マラソンを目前に控えたこういう高揚感は
あながち、嫌いでもないんだな。

一週間前を切っておもむろに
こんなことほざき出すおのれを
客観的にみると、あきらかに滑稽だな。

今週はずっと、こんなんぽえむなのかな()