キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

じぶんを出す・隠さない、みたいなこと

ぼくは、中学を卒業したら
おすし屋で修行して、
日本一のすししょく人になりたいです。

日本一のすししょく人になるには、
高校や大学にいっていてはおそすぎる。

なのでぼくは中学の3年間で
高校や大学にいったひと分ぐらい
濃密に猛勉強します。

そしてしょく人の世界にとびこむのです。

しょく人の修行は、とても厳しいです。
それにぼくはたえぬきます。
親方やせんぱいのしょく人に
どなられたりなぐられる覚悟もできています。

真冬の寒い朝は朝3時半におきて、
つめたい水でぞうきんをしぼり、
お店をピカピカにみがきます。

そのあと、親方が使う包丁をとぎます。
その包丁は、鳥肉をほねごと
スパッといけるぐらいのきれ味です。

そういう修行を1日も休まずつづけます。

「この床をピカピカに磨いたのは誰だ!」
親方が言っても、ぼくはけしてなのりでません。

「このきれ味の包丁は誰がといだんだ!」
そのときぼくは親方から5メートルぐらい
離れたところで、ふしめがちに
もくもくと炭で火を起こしています。

たえぬきます。

そしてみんながねしずまったあと、
ひとりでお店に残り、1日も休まず、
日本一のすしをにぎる特訓を重ねるのです。

20年たったある日。
包丁をといでいると不意に
親方がお店にやってきて
ぼくの前に座り、言います。

「にぎってみろ!」

ぼくはトロをにぎり、
親方にさしだします。

トロをくちに入れたしゅんかん、
親方は言います。

「こ、このすしは!!!」
「お、おめえ、これをどこで身につけた?」

ぼくのすししょく人としての
ほんとうのスタートが、そのとき、
はじまるのです。

小学校の卒業文集で
そんなことを書いていたAくんは、
中学に入ると部活を3日でやめたらしい。

。。。

なあんて話を、
駅からおうちへの帰り道で急に思い出して、
歩きながらニヤニヤがとまらなかった。

でも、おれの同級生には
そんなひとはいないので。

たぶん、むかし
どっかで聞いたか読んだかした
エピソードなんだろう。

それはさておき。
Aくんにツッコミどころが多すぎる。

雑巾がけと包丁研ぎだけの修行を20年て
どこの劇画から仕入れたネタだぜ?
とかとか。

枚挙に暇がない。

電車の中とか、道をあるいてるときに。

不意におもしろいことがキョライして
思い出し笑いが抑えきれない
きょくめんってあって。

いままで、そんなときは
うつむいて鼻をかくフリしてやり過ごしたり
犬が死んだときの悲しい気持ちを思い出して
感情を中和しようとしてきた。

なんの脈絡もなく
公共の場でニヤついてたら
さぞ気持ちわりいことだろう。

おもうじゃないすか。

でもでも。

路地をあるいてて、前からきたおじさんが
不自然なくらいニヤニヤしてたり

電車で向かいに座ってる若者が
スマホをみててブッて噴き出してても

「おっ、おもしろいことがあったんだな」
おもうだけで、少なくとも
気持ちわりいと感じたことは一度もないし

なんなら「そんなにおもしれえこと
おれにも教えてくれよ!」
ぐらいに幸せを運んできてくれた感がある。

ということに気づいて。
世紀の大発見をしたていになって。

そこからキクチは
パブリックな場で思い出し笑いを
あんま隠さなくなったし

きょうも、路上で
「にぎってみろ!」
ひとりごちてみたりもして。

たぶんすげえニヤニヤニヤニヤしてて。

はたからみたら、さぞ
気持ちわりいおじさんだったとおもいます。