ぼくは、中学を卒業したら
おすし屋で修行して、
日本一のすししょく人になりたいです。
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日本一のすししょく人になるには、
高校や大学にいっていてはおそすぎる。
なのでぼくは中学の3年間で
高校や大学にいったひと分ぐらい
濃密に猛勉強します。
そしてしょく人の世界にとびこむのです。
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しょく人の修行は、とても厳しいです。
それにぼくはたえぬきます。
親方やせんぱいのしょく人に
どなられたりなぐられる覚悟もできています。
真冬の寒い朝は朝3時半におきて、
つめたい水でぞうきんをしぼり、
お店をピカピカにみがきます。
そのあと、親方が使う包丁をとぎます。
その包丁は、鳥肉をほねごと
スパッといけるぐらいのきれ味です。
そういう修行を1日も休まずつづけます。
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「この床をピカピカに磨いたのは誰だ!」
親方が言っても、ぼくはけしてなのりでません。
「このきれ味の包丁は誰がといだんだ!」
そのときぼくは親方から5メートルぐらい
離れたところで、ふしめがちに
もくもくと炭で火を起こしています。
たえぬきます。
そしてみんながねしずまったあと、
ひとりでお店に残り、1日も休まず、
日本一のすしをにぎる特訓を重ねるのです。
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20年たったある日。
包丁をといでいると不意に
親方がお店にやってきて
ぼくの前に座り、言います。
「にぎってみろ!」
ぼくはトロをにぎり、
親方にさしだします。
トロをくちに入れたしゅんかん、
親方は言います。
「こ、このすしは!!!」
「お、おめえ、これをどこで身につけた?」
ぼくのすししょく人としての
ほんとうのスタートが、そのとき、
はじまるのです。
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小学校の卒業文集で
そんなことを書いていたAくんは、
中学に入ると部活を3日でやめたらしい。
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。。。
*
なあんて話を、
駅からおうちへの帰り道で急に思い出して、
歩きながらニヤニヤがとまらなかった。
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でも、おれの同級生には
そんなひとはいないので。
たぶん、むかし
どっかで聞いたか読んだかした
エピソードなんだろう。
それはさておき。
Aくんにツッコミどころが多すぎる。
雑巾がけと包丁研ぎだけの修行を20年て
どこの劇画から仕入れたネタだぜ?
とかとか。
枚挙に暇がない。
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電車の中とか、道をあるいてるときに。
不意におもしろいことがキョライして
思い出し笑いが抑えきれない
きょくめんってあって。
いままで、そんなときは
うつむいて鼻をかくフリしてやり過ごしたり
犬が死んだときの悲しい気持ちを思い出して
感情を中和しようとしてきた。
なんの脈絡もなく
公共の場でニヤついてたら
さぞ気持ちわりいことだろう。
おもうじゃないすか。
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でもでも。
路地をあるいてて、前からきたおじさんが
不自然なくらいニヤニヤしてたり
電車で向かいに座ってる若者が
スマホをみててブッて噴き出してても
「おっ、おもしろいことがあったんだな」
おもうだけで、少なくとも
気持ちわりいと感じたことは一度もないし
なんなら「そんなにおもしれえこと
おれにも教えてくれよ!」
ぐらいに幸せを運んできてくれた感がある。
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ということに気づいて。
世紀の大発見をしたていになって。
そこからキクチは
パブリックな場で思い出し笑いを
あんま隠さなくなったし
きょうも、路上で
「にぎってみろ!」
ひとりごちてみたりもして。
たぶんすげえニヤニヤニヤニヤしてて。
はたからみたら、さぞ
気持ちわりいおじさんだったとおもいます。