パラレルワールド。
なんでいきなり。
こんなことほざき出したかっていうと。
夕方「サザエさん」をみてたのがきっかけ。
*
なお、じゃっかんかすってるようなのを
むかし書いたことあんだけど、
それとこれとはちょっと違う。
*
ひと昔かふた昔前、ネットで
「パラレルワールドに迷い込んじゃった体験談」
みたいのが流行ったことがあって。
それは、地元のローカル駅とか
子どものころよく縁日のお祭りにいった
神社とか、なんかそういう
「世界のつなぎめ」みたいな場所があって。
知らず知らず、そこに入り込んじゃって。
フインキとか人の態度とか
いわく言いがたい違和感を覚えて。
それは実はパラレルワールドだったんでしたー
的な、テンプレ筋書き。
最終的には「こっち」に戻ってこられて
ネットでそれを書き込んでて
ハッピーエンドうえーい。
的な、テンプレ筋書き。
*
。。。
*
「人とか街のフインキに
いわく言いがたい違和感を覚える」
ガキのころ。
こういうこと、想像したり
ガチで信じ込んだりしたこと
ないっすか(↓)。
あ、なければいいです。
ただ、じぶんがガキのころ。
「ひょっとしたらそうかもしれない」
ガチでクソ妄想してて。
それからだいぶ時が経って。
大学に入って、なかよくなったひとに
「そんなことを信じてたんだよねえ」
っつったら。
「ボクもそうおもってた」言われて。
あ、これはおれが変だからじゃないんだあ。
ミョーに安心したやつで。
*
それってのは。
「実は世界はじぶんの周辺だけでできてる」
つまり、じぶんの半径何メートルの
箱庭=世界 ってのが真理で。
じぶんが見えるのの外は「無」と。
*
あ、これ、前にどっかで書いたな。
たどるのめんどくせーからリンク貼らない。
貼らないで、つづける。
*
その考えってのは。
たとえば、じぶんが家にいるときは、
家族役のひとがそのなかで家族を演じ。
学校に行くと。
同級生とか先生役のひとがそれを演じる。
テレビに流れてくるニュースとかは
おれに「世界はちゃんと広く存在してる」
って信じさせるための道具でしかなくって。
あるいはたまに、田舎のおばあちゃんから
電話がかかってくるとすんじゃん。
それも、「そういうものが当然ある」
っておれに信じさせるための道具。
つまり、
それらの「道具」は、箱庭の外では。
キクチの箱庭にからんだときのために
ずっと息をひそめて待機してる。
実はそんなもの、存在してない。
とかいう。
超絶荒唐無稽。
*
なんつうか。
青春期に太宰治に共感しがちなのって。
「太宰だけはおれのことわかってくれてる」
っておもわせられる感じ
が、いしずえにあるとおもってて。
*
太宰治が描く小説内の「私」の悩みって。
あたかも固有・独自・おれだけ?
風に書いてあるんだけど。
それは、青春期のおれが抱いてる
「ひょっとして、おれだけ?」な悩み
ジャストコレズバリで。
んなもんだから。
「太宰だけはおれのことわかってくれてる」
的な独りよがりな共感をする。
っていうすたっらくちゃーじゃないすか。
*
それってある意味、とても浅いw
「お道化」とか、もうね。
ちゃんちゃら、おかしい。
なもんだから
あるていどオトナになっちゃうと
太宰治なんか二度と読み直そうとおもわない。
おれは、ね。
*
きょう夕方。
ぼーっと「サザエさん」をみてたわけですよ。
なにやら、マスオさんの声優が
代わったらしい。ってんで。
で、3本立てのうちの1本に
マスオさんメインのストーリーがあって。
ちょうどいいってんで、みてると。
ぜんぜん違うのね。
*
声優さんが代わったんだから
(たとえ似た声のひとを割り当てたとしても)
「ぜんぜん声が違う」
おもうのは、ある意味アタリマエ。
あるじゃないすか。
わかりやすく誤用すっと「世界観」
っていうか。
声音とかフインキを超えた
「『サザエさん』はこういうもの」
っていうふんわりとしたイメージ。
それが。
マスオさんの声優チェンジによって
じぶんのなかで確立できちゃってる
「『サザエさん』はこういうもの」
から、少し逸脱してるだけなのね。
その逸脱が、ちょっとした違和感。
(マスオさんの声優チェンジを
disろうとかそういうんではなく)
*
いまおれが感じてる
マスオさんへの違和感は、たぶん。
来週みたとしても感じてて
再来週もまだ感じるんだろうけど。
数週後か数ヶ月後には
「これがマスオさん」って
あたかも遠い昔からこうであったように
マスオさん像、サザエさんの「世界観」が
確立されなおされてる。
んだろうなと、おもってて。
*
で、えっと。
よく考えてみりゃ
そもそもアニメの「サザエさん」って
アレじゃないすか。
。。。
クソ長えので、突然終わります。
つづく。