キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ブログを書くときに心がけてること(いまさら)

いいっすね。

そもそも、どういう文脈なのか
これを読むかぎりではよくわかんないケド。
はたまた、求めてる文章力とやらが
どんくらい「過度」なのか知んないケド。

文章力とは別の話かも知んないケド。
最低限の何らかはひつようじゃないすかね?

>だからマラソンブログの人に過度な文章力を求めてはいけません。

なんつうか、それは。

こっからすげえ漠然としちゃうんだけど
想い、みたいなもので。

想いって何なのかを突き詰めると。
「楽しさを伝えたい気持ちがあるかないか」
みたいなことで。

あ、たぶん過去にも
おんなじようなこと書いてるな。
は、措いて。

あるじゃないすか。
っていうか、それは正しいとかかくあるべき
って話じゃなく。

{読みたい/読む/読まない}
っていう極私的な基準?感覚?なので
おもくそ独りよがりなんだけど。

こんなことキレイゴトかもしんないが
どんだけ自分の外に置くか
ってことなんだとおもう。

わかりづれえぇ。。。

いや、クソつまんないじゃないすか。
ただの記録とか。
じぶんアッピールの終始とか。
リア充自慢とか。
楽屋オチとか。
言い訳だらけとか。

読む側として。

まあ、こんなん鋭利なブーメランで。

この辺境クソブログなんか、
じぶんアッピールに終始して、ぜんぜんリア充じゃないけどそうとられてもしようがないようなとこもあって、楽屋オチも多いし、生きてることじたいが言い訳・自己弁護みたいで。

でも、どこか一片で。
(たとえばどんな家族ネタでも、
それはあくまでネタのひとつとして)
「楽しさを伝えたい気持ちがあるかないか」
は忘れないようにいようとしてて。

それがブログを書くうえでの
最終防衛ラインだと考えてる。

最終防衛ライン、ずいぶん甘えな。
あまつさえ、指示代名詞だらけぇ。

「書き手」としてじゃなく
「読み手」として考えると。

或るブログが更新されたとして。
通知があるなり定時に習慣的に覗くとして。

それを何で読みにいくかというと
「楽しませてもらえるんじゃないか」
って期待感があるからで。

じゃあ、ひるがえって書き手としては
って考えるわけっすよね。

って、話があんま進んでないっすよね。。。

そういう意味では。
「文章がうまいクソつまんねえブログ」と
「文章へただけど楽しいブログ」だったら
読むのは後者一択になるはず(おれはな)で。

なので文章力なんか、関係ねえ。
っていうか、想いが勝るっていうか
文章力うんぬん言うんなら
そんなの皆無なおれこそがほしいぜ!だし。

ちゃんとヒトサマを楽しませられんなら
こんな辺境キワキワな超低アクセスブログ
じゃねえんだろうし。

ってなもん。

。。。

という、思いつき100の書き散らし。
15分で片づけてみた。 (いらねえ情報ぇ)