おれていどに走ることから遠ざかると
「まずは30分、動きつづけられる」
みたいなことからはじまるわけで。
*
ふたたび「それなりにジョグを楽しめたい」
ってことを視野に入れたばあい
「とりあえず120分、動きつづけられる」が
最低限のスタート地点だとおもうの。
ってのが、UC(=仕事帰りのジョグ)
(=だいたい20k)(=90〜120分)
をやる理由「いくつかあるっちゃある」の
うちの、ひとつで。
で。
「なんでUC(仕事帰りのジョグ)?」とか
それにまつわるどうでもいい話とか
いくつかあるっちゃ、あって。
*
いっぽう、そもそも論的に。
またちょっと走ろうかなあとおもったのって
「速く走れなくなっちゃうのはまだやだ」
だったからで。
その「速く」ってのは
客観的に速いか遅いかってことよか
「いつでもダッシュができる状態にある」
なんですわ。
*
そこには、
マラソンを速くなりたいとか
5000mのタイムを縮めたいとか
1000mのインターバルを
そこそこの見栄えでできるようになりたいとか
そんなまっとうっぽいことはビタ一文なくって。
いつ何時でもダッシュできまっせ
でありさえすれば、とりあえずよくって。
なんつうか、雄としてっていうか
アンチエイジングっていうか
どっちも言葉として適当でない気がするが
だいたいそんな感じで。
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「ビタ一文ない」って上記したが
それは言葉のあやっていうか、うそで。
で、いて。
ちょっと遠目にそうなったらいいなあ
っていうスケベ心を秘めつつ、
まずは「いつ何時も・・・」に
もってきたいっていう。
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ここまでの物言いをからげると
言葉遊びはたいがいにしろ
ってことだw
*
で、ですね。
一度で20kが積み上げられるUCを
(すげえゆるゆる)やってると。
走行距離が募ってって。
走行距離が募ってくと、
おれ走ってるぜ感も募ってって
走ることへのモチベーションも上がる。
のは、確かなんだが。
それをいくら積み上げても、たぶん
「いつ何時もダッシュ」には
まったく直結しない。
たぶん、永遠に直結しない。
*
ってことに、うすうす気づきつつ。
「とりあえず、足慣らし的に
バカになってこれをもう少しつづけよう」
っておもってたが。
こんなツイートをみて。
行きますね(^^;
— ふらっと@6/9OTT5000m (@flat42195) 2019年5月18日
ズームフライデビューですかね。(^_^)
わたしはOTT対策で、ぜえはあしようと思います。
終了次第家までランです。
ちょっと考えをあらためた。
じゃあおれは何をしたいんだぜ?
— キクチヒロシ (@rFsPIZFyucNM3Z2) 2019年5月18日
寝ながら考えようw
*
いや、だからといって
仕事帰りのジョグをやめるんじゃなく
もっと所期の目的に適うことやろうぜ。
足慣らしとか回りくどすぎると、
ほらこうやって、何したいのか
わかんなくなっちゃってるだろ?
ってんで。
きょう日曜日は
短い距離のペース走をして呼吸を追い込み。
流しをつらねて、呼吸を追い込んでみた。
*
呼吸を追い込んだら走行距離は伸びない。
でも、こういうことなんだよね。
無目的にただ走ってても
(たとえ距離をかせげても)
そんなの、かったりいだのつらいだので、
どうせまたすぐやんなっちゃうし。
おもった、おもいましたとさ。
ジョグ日誌ぇ?