キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

もし誰かのペーサーをするならば(※結論はありません)

「3時間のペーサー(ペースメーカー)についてくことを考えて、途中でちょっと無理して脚を使っちゃったのかもしれません」

姫路城マラソンを振り返り、ムネコフさんはおっさった。

「ちょっと無理してついてったから、限界が来てペースダウンしちゃった」
ということがあれば、
「無理してついてったけど、『これはいけるぜ』っていう通過タイムにてんしょんがあがって、力以上の力が湧き出てきた」
ということもあって。

いや。
今回のムネコフさんがどうこうではなく。

むかし、しまだ大井川マラソンに出たとき、こんなことがあった。

3時間03分で走りたいとおもい。
前半をキロ4分30で巡航してた。

キロ430だとハーフが1時間35分弱。
ネガティブスプリット(後半のハーフを前半より速く走る)をカマしたい性質なので、徐々にビルドアップしてって、後半のハーフを88分でいけば3時間03分はカットできる、と。

妥当なセンだろうと。

その結末がどうなったかは措いて。

キロ430で巡航してると、10kぐらいで3時間半のペーサーに追いつかれた。

近くにいるひとに「サブ3.5のペーサーにしちゃ、速すぎやしませんかね?」

話しかけずにはいられなくて、そのひとと顔を見合わせておもわず苦笑した。

いや、別にそのペーサーをdisりたいんではなく。

どっかで訊いたんだか、読んだんだかしたところによると。

ペーサーの責任感ってのがあるから、設定タイムのラップより速めに推移してしまうものだという。
「信じて食らいついてきてくれたのに、結果、それより遅くなっちゃった」ってわけにはゆかない、ってことだろう。

わかりる。

じぶんがサブ3.5(イーブンでキロ458)をしたいとおもって、ペーサーについてくとしたら、キロ458で引っ張ってもらいたい。

よしんば、キロ5分で35kまでいってもらって、「あと7.195kはてめえでがんばれ!」で、いい。

同様にサブスリー(イーブンでキロ416だと、3時間00分02秒)をしたいとおもったら、415か416で引っ張ってもらいたい。

なぜなら実力ギリギリで、なんとか3時間29分59秒(サブスリーなら2時間59分59秒)で滑り込みたいから。

そこを(バッファを考慮して)3時間28分(2時間58分)で行かれちゃ、ひじょうに困る。

だってそのトータル2分、キロあたり3〜4秒は、ギリギリ人材にとって、とてつもなく大きな壁なんだもん。

ただ。
「できるだけタイムの貯金をして後半・終盤はひたすら粘る」
「とにかくイーブンで」

はたまた、キクチみたく。 「途中までの余裕度におれイケるっててんしょんあっぷして、後半をガンガンあげたい」

って、いろんなタイプのひとがいるから、それを一緒くたに最大公約数的にペーサーするってのには、正解なんてあるはずもなく。

そんだから、ペーサーってむつかしいな。
そういう形態のペーサーをするならば、事前に「じぶんはこういう感じで引っ張るっす」って宣言しとくのが、ベターなのかな()

個人的にペーサーをする、ってのもある。

これも何年か前のかすみがうらマラソンで。
カミさん(当時ですでにサブ45だったかな)が、どなたか忘れちゃったが美女ガーのサブ3.5だかサブ4のペーサーをなさってて。

事前に美女ガーの希望展開を十分にヒアリングしておき、あまつさえそのひとのぶんのドリンクやジェルを持ち、エイドでは先回りして取っておいて、美女ガーが一定のペースで進めるように手渡しする。

というパーフェクトなペーサーをしてらして。

ペーサー道って、奥が深すぎるな。これもう友愛とか博愛の世界だなって、舌を巻いたことがある。

カミさんの例はいささか極端かもしれんが、形はどうあれ要は、そんくらいの気働きっていうか、奉仕精神っていうか、「どんだけパートナーの気持ちに寄り添えるか」を要される「仕事」なわけで。

たぶん、ザ・無私、ザ・滅私みたいなことで。

こまけえことはいいんだよ!
とにかく、走ってるひとを目標タイムでゴールさせりゃいいんだよ!
じゃねえんだな。

ってのは、わかった。

結論=おれにはとてもとても務まらないwww

ただ、もしおれさまちゃんがどなたかのペーサーをする機会をいただいたならば、精一杯がんばる。

なんなら、スポーツようかんとかすあまとか、すぐ摂れるように、瞼とか小鼻に貼っとく。ごくナチュラルに。

何のアッピールだぜ?
逆効果でしかないぜ?

まあ、おれがペーサーを頼むとしたら。
3時間も4時間も、キクチみてえな「キモブサ超絶人見知りマイペースノー気働き酔っ払って終電を町田まで寝過ごす野郎」といっしょに走りつづけるのは、ぜっっったいに、やだな。

たぶん、あれだよ。
安らかに走ってほしいって気持ちがありえないベクトルに暴走して、くだらねえトークを展開しまくって、「黙れ」って言われて凹む。

とか、そんなんてんまつ、なんだろうな。
ありありと、見ゆる。

。。。

「ペーサー」ってのと、ちょっとズレるかもだが。

おれがラッキーで幸せだとおもったのは、いまの仕事に転じた直後のこと。

あ、ちょっと話をそれると。
漢字うんぬんってのと、おれの職業ってのはまったく関係ぶうであるとは、言っておきたい。

コンテキストがわからなきゃ、なんのこっちゃだな。まあいい、措く。

手取り足取り、仕事を教えてくだすったのはたまたま、その世界で一流の実績とスキルを持つ方々だった。

これがまず、ラッキーであり、幸せ。

で、そのかたたちは、まだ何も持っていないおれに、目線を合わせるんではなく、一流を伝えようとしてくだすった。

あるじゃないすか。

このたとえが適ってるかどうかはともかく、たとえば。
やっと喋りはじめた赤ちゃんに「なんたらでちゅー」って赤ちゃん目線に下りるんではなく、「これはなんたらだから」って最初からオトナを見せる、的な。

それによって、むつかしさを知るとともに、そこにたどりつけばおれもやってけるとか、そこにたどりついて一人前っていう道のり?道しるべ?高み?を逐一、示されたってことがあって。

(いや、だからいま、そこにたどり着いたとはおもってないけど)

これはまことに、ラッキーであり幸せだったことだとおもう。

なので。
じぶんが教える側になったら、目線は教えられる側に合わせるんじゃなく、そこのまっくす(あるいはおれのまっくす)に据えて接しなきゃなって、決めた。

いちばん身近でいうと、ムスメっことの接し方とか。

。。。

あ、だからなんだよって話だな。
そんなおれの取るに足らない想いなんか、クソどうでもいいっちゃ、クソどうでもいい。

わけで。

で、いて。

「おれがおれのペーサーをする」
ってきょくめん、わりとよくあるじゃないすか。

そこではちゅうちょなく、 ペーサーをしてるおれは、ペーサーをしてもらってるおれの目線に、むしろ進んで下がりまくってるから、ここまでもし一見いいこと言ってるふうなとこがあったとしても、ぜんぶチャラだw