キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

鶏口とか牛後とか、みたいなこと

この辺境クソブログ。
おとといもきのうも更新しなかったのは
ネタがなかったわけじゃなくって。

むしろ、ネタは豊富にあったんだケド。
ブログに書くにはプライベートすぎて
でいて、それがいちばん
あたまのなかをぐるぐるぐるぐる
まわってたので。

書くに書けず、
「まあきょうはいいや」ってなってた。
いらねえ情報。

で、けっきょくそれをコウ
うすぼやかしてさらしちゃうんだが。

鶏口とか牛後とか、言うじゃないすか。

鶏口ってのは、小さな集団の長。
牛後ってのは、大きな集団のどんじり。
を意味する、らしい。

「鶏口となるも牛後となるなかれ」
っていう中国の故事があるように。

「大きな組織のどんじりにいるよか、
小さな組織のトップであれ」
的な意味?

この解釈が正しいのかどうかは措いて。
「A決勝で最下位争いをするんなら
B決勝で先頭争いをしたほうがいい」
的な意味?

故事に物申すつもりはビタ一文ないが。
けっきょくこれってよしあしじゃなくて
向き不向きのもんだいじゃないすか。

「全国屈指の強豪、
大阪桐蔭の野球部に入って」

「ベンチ入りできそうもない実力だけど。
根尾クンとおんなじ環境で練習して
勝手にライバル意識を燃やして。
『いつか根尾に追いつき追い越したる!』
って反骨心で力を発揮できるタイプ」

ってひともいれば。

「あえて公立高校の野球部をえらび」

「そこでエースで4番を張ることによって
『エースで4番だけが持てる自覚』でこそ
力を発揮できるタイプ」

ってひともいる。
というだけの話。

なので
「牛後となるも鶏口となるなかれ」
だって、けして間違っちゃいない。

「ベンチ入りなんかとうていできねえが
大阪桐蔭の野球部で3年間がんばり抜いた」
ってプライドもあるだろうし。

ああ。
わかりやすくたとえようとして
よけえわかりづれえパッターンぇ?

でもねでもね。

「鶏のくちばしでいる心地のよさ」
ってのはあんのかもしんないケド。

「牛に飛び込んだら飛び込んだで
違う世界がすげえ拡がる」
も、あんのかもしんないんだよね。

「おれは鶏のくちばしタイプだから」
「おれは牛のどんじり、やだから」
って決めつけちゃうとしたら。

その決めつけ、クソつまんねー。

あまつさえ。牛。
「ある部分ではどんじりかもだけど」
「牛の評価はそんだけじゃねえし」
「ほかのある部分で牛頭になりうる」

ってことだって。
往々にしてあるっていうか
それを探すことこそが、おもしろいわけで。

かくいうおれは、カンッペキに
鶏のくちばし型にんげんw

だっつっても。
「クソ貧乏のブサキモだてらに、
お金持ちなイケメンだって、おともだち」
とかね。

「圧倒的に脳みそ足りないケド、
秀才だっておれのギャグに爆笑する
(こともあるかもしんない)」
とかね。

「鈍足を独走で突っ走ってるケド
超絶駿足を(ウタゲでは)ぶっとばす」
とかね。

「すげえおもしろいブログを書くひとが
クソつまんねえブログしか書けないおれにも
なんとなんと、話しかけてくれるんだよ」
とかね。

そこはそこでフラットだったりして
だからこそ、楽しませてもらってるわけ。

「楽しませていただいてる」感、パねえ。
わけ。

ふろむ・牛後。あるいは、鶏後。
実のところは、よくわからない。

まあコウ、話がとっちらかっちゃったケド。
何が言いたいかというと。
そこのあんたは鶏口型? 牛後型?

牛頭じゃないと気が済まないマン?

それをちゃんとみつめると
もっとなんか、おもしろくなる気がするの。

おめえキクチ、なにさまのつもりだよw