こないだラジオを聴いてたら、作家の浅田次郎がインタビューでこんなんようなことを言ってた。
「原稿は気合いを込めて書くタイプ」
「『あとから直そう』とおもってたらロクな原稿は書けないゆえ」
逆に言えば、というか。
原稿を一度書き終えて(脱稿して)しまえば、じぶんの関心は次の原稿なりなんなりに移ってしまうと。
なので、どれくらい売れたかはもとより。
(あ、脱稿してから雑誌なり単行本になるまでには何度もゲラをチェックして、読み返したり編集者や校閲者の意見を訊く機会があるはずなんだが。)
脱稿した時点でそれは「じぶんのなかでは済んだこと」なので、もはやどうでもいいと。
そりゃいくらなんでもカッコつけすぎでしょっていうか、極論なんだろうけど。
言わんとしてることはわからんでもない。
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かたや。
宮沢賢治っていう人は、ゲラが出たり版を重ねるたびに大幅に書き換えてたって話が有名じゃないすか。
たとえばおなじ『銀河鉄道の夜』でも、初版と第二版、第三版ではまったく違う物語になっていたという。
(聞きかじっただけなので、それがどんくらいのもんかとかは知らん)
浅田次郎になぞらえて言うと宮沢賢治は。
「がんがんブラッシュアップしてかないとロクな原稿にならないゆえ」
という考えのもちぬしってことになる。
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ロンのモチ。
どっちが正しいとか正しくないということではない。
ただのアプローチの違い。
(それぞれをもっと深掘りしてくと)
(それはそれですんげえおもしろいんだろうが)
(興味しんしんなんだが、措く)
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ブログを更新しない(ケド通常どおり書いてはいる)弊害。
「手離れしてない感がパねえ」
書きながら心にちょっと引っかかった部分があったとしても、更新しちゃえばもう人目に触れちゃってるわけだから「ま、いっか」ってなれる。
まさに、リリース。
一方で、なまじっか公開してないだけに「あれはよかったんだろうか?」って何度も確認しちゃう、あるいは書き直す。
いつまでもリリースでけない。
というのが未来永劫(大げさ!)つづく。
「あすこはあの例えは余計じゃね?」
「いやいや、入れたほうがわかりやすくね?」だの。
「言えば言うほどガチでかまってちゃんぽくね?よしといたほうがよくね?」
「いいのいいの。かまってちゃんなんだから!」だの。