「かまってちゃん100」すぎて
反省すること山のごとし。
ずーっと最後最後言いつづけて
「最後のブログ更新その148」とかやったら
地元のブティックの閉店セールみたくって
ちょっとおもしろいかなあって。
それこそ、
「キクチはすべてかまってちゃんに包まれてる」
的な空気を醸し出せるかなあって。
純度の高いフラッシュアイデアで。
てへっ。
*
「The」を「てへ」って読んだひとが
実在したとかしてないとか。
ってのは、措いても。
前エントリー。
ただの「東京マラソン落選しました」。
表題に入れるのも
表題に【速報】って入れるのも
ちょっとどうなんだろうってんで。
*
でいて。
ちょうどよく、っていうか
1週間、更新をしなかったのもあって
「これが最後」的な匂いを出したら
悪目立ちすんのかも。
とかとか。
考えあぐねたすえの、裏目パッターンぇwww
ブログをやめるつもりは
ビタ一文、ありまっせーん。
*
だって、新横ぐるぐるのアフター。
「『ガンプよしお』っていう
ワケワカメなHNはなんなんすか?」
とかとかっていう話もまだ書いてないし。
あまつさえ、先週の金曜。
カナ先生のヨガ?
ヨガ先生のカナ?
へのイッチョカミと、
そのアフターについても。
「おれ、実際に官九郎さんとお会いしたら
たぶん絶対、ケンカになるとおもうんっすよ」
って豪語してたpetaさんのこととかも
まだ書いてないし。
いや、ケンカどころか
たぶんそうとう合うとおもいまっせ。
*
。。。
*
っていうのに、関係あるのやらないのやら。
的なことを、薄く浅く、まとめてみますね。
という、読む価値のないエントリー。
*
ひとつ、言い訳をカマすならば。
「けして無から嘘八百を産みだしたんではない」
*
その前に、上記のヨガ。
「ひょっとしたら書かねえフラグぇ?」
に対するリスクヘッジとして、
ひとつだけ、言っとく。
イッチョカミ的におれが
なんとなくすげえ感じ入ったのは
「バンザイしたり肩に力を入れても
肩甲骨はつねに下げとく、リラックスしとく」
コレ、すげくね? 万物の真理っぽくね?
*
かつて「立位体前屈の偏差値10」
を叩き出した、鋼鉄にんげんとしては。
「テキトーにみんなに合わせるフリして
あとは先生をみてエロいこと考えて
やりすごしゃいいんでしょ」
って全力さんが言ってんのを真に受けて
すげえ軽い気持ちで臨んだのに。
いっぱいいっぱいすぎたあまり。
「正しい動きの模範」としてしか
カナ先生のケツを見れなかったし。
「適時的確な指示」としてしか
カナ先生のせくしーぼいすを聴けなかった。
そんくらい、キクチはマジガチ全力。
でいて、明白なトライアングル状態で。
⇒第3回アスリートヨガ道場。とんがっているスカーサナ。
全力さんはいつ全力出すんだろう。
ある意味における、「底が知れない」。
*
話を戻す。
ひとつ、言い訳をカマすならば。
「けして無から嘘八百を産みだしたんではない」
*
以下、たとえ話として。
あくまで、たとえ話として、な。
ブログを1週間更新しなかったじゃないすか。
*
なんの意味もねえ独りよがりだけど、ここ数年。
ときに、いろいろ考えてるフリしたり
おしごと忙しいフリしてるときとか
複数日、更新しなかったことあったケド。
それは、「あ、おれ、忘れ去られる」
って気の小さいぶぶんも露呈しちゃったりして
なんだかだ、更新しちゃったりしたから。
1週間もあけたことは、たぶんなくって。
*
今回もさいしょ。
「ふんぎりがついたら更新しよう!」
「つくまで更新しない、ぜったい!」
だったのに、ごちゃごちゃ考えてるうちに。
なんかもう、どうでもよくなっちった。
*
それをもうちょっと細かく言うと。
「ごちゃごちゃを早くまとめろよ!」
「いや、まとめなくてもいいじゃん」
「大したことじゃねーし」
を、往復しつづけてた。
*
何を言いたいかと言うと。
なるべくまいんち定時にブログを更新するとか
おれはそう決めてるとか
クソ辺境はそうあるべきとか
まだブログ的に楔を打ち込めるはずだとか
なんらか意義があるはずだとか
すくなくともじぶんにとってはとか
そういうことは、まっっっったく、ない。
実在してないってことで。
*
ものすごくはしょって
ばかみたいに謎の噛んで含めるように
わかりやすくいうと。そういうのってけっきょく
勝手なおもい込みだったり
自我の肥大だったりジコマンにすぎなかったり
自己評価が過大だったりにすぎなくて。
あ、「何を言いたいかというと」
って、まとめがぜんぜんまとまってねえぇ。。。
*
たとえば、ですね。
すげえすきなブログがある。として。
それが「まいにち更新される」
「きまった時間に更新される」として。
そのきまった時間にすげえ楽しみにして
F5連打して逃すまいって気概で読むとして。
*
それがある日、とだえるとするじゃないすか。
1日だったら
「あ、きょうは忙しいのかな」
ってんで、たんじゅんにああ残念だな、おもう。
でも、2日過ぎ、3日過ぎ、1週間過ぎ、
いつまで経ってもそれが更新されない。
話がなげえな。はしょる。
*
けっきょく。
それだけまいんち楽しみにしてたブログで
読むことが習慣だったのに。
生活の欠かせない一部だったのに。
「更新されなくて読めない」ことが、いつしか
ふつうの生活に、ふつうに溶け込んでって。
でも、おれの生活はちゃんと回る。
あのブログが更新されなくても。
ってことに気づく。
*
裏を返せば。っていうか。
こんなクソ辺境なんかは、もとから
そんなん存在であろうはずはないケド。
「ブログを更新しない」ことによって
なにか影響があるのかとおもったら。
当事者キクチにすら、実は何も起こらない。
わりとどうでもいい。
しょせん、その程度のもん。
ってことで。
そういうもんなんだろ、ってことで。
*
ああ、何を言ってんのか
中途半端にイミフだな。
でも、なんていうか。
「ブログを更新する」ってのは
それをヒトサマの目にさらすということだから。
どこかしら、誰か他者を信じてたり
そこに意味を見出だしたりしたいけど
それをどう考えるかって。
ん? ますますイミフじゃねーか。
*
ああああ。
たとえば、ですね。
キクチがしているおしごとってのは
「生きるためにどうしてもひつよう」
なものではないわけですよね。
直接的に「食物をつくり出す」とか。
「この道を通れなければ生きてけない」とか。
「おめえががんばんないと
風雨をしのげないからここを囲え」だとか。
「体の痛いとこを痛くなくせばハッピー」とか。
そういう必然性はないわけ。
*
かたや。
「なくても生きるに困らないケド
あったらもっと楽しくなるぜ」
的なことって、あんがいひつようじゃん?
っていうパワーを信じ切ってたわけ。
おれは。
「食って出して寝る」で生活はできるけど
「食って出して寝て、うれしい楽しい」のの
「うれしい楽しい」も欠かせないっしょ。
的な。
*
で、ふたたびブログに話を戻すと。
「あんなに欠かせないとおもってたのに」
「いざなくなっても、ふつうに生きてんじゃん」
ってことが、往々にあって。
別に「うれしい楽しい」なくてもよくね?
どっちかっていうと、いらなくね?
よしんば、ムダでしかなくね?
って、おもっちった。
隙をつかれた。これも真理かもしんねえ。
と。
*
。。。
*
じゃあ。
「マラソン」ってどうだろう?
少なくとも生きるに
「マラソン走る」必然性はビタ一文ない。
ある程度以上がんばんなくちゃ、できない。
ってのは、たしかだけど。
多かれ少なかれ?
ただのジコマンに過ぎないじゃないすか。
*
「完走しましたうえーい」
「速くゴールしましたうえーい」
「想いをつらねてやり切りました」
ただのジコマンだよね?
何が楽しいんだろうね?
よしんば、ずっとつらいよね?
*
かたや、よくわかんないけど。
じぶんがマラソンを走れたら、
自分自身の心を揺さぶるじゃないすか。
ひとの心を動かすこともあるじゃないすか。
それも、ただのジコマン、なんだろうか?
「きょう、これだけ練習しました!」
「レースで自己ベスト出しました!」
「いまの力を出しきれました!」
「力及ばず、関門アウト!」
「とにかくすごーく楽しかったでえええす!」
こういうのって、だっせえんだろうか?
「でも、いちいちものすごく尊い」
って、信じられるんだろうか?
*
ってことが。
「ブログ最終更新ビジネス」を
ほざき出した、はじまりなんだが。
ただの極私だな。
(もし、つぎにつづいたら。
「走る・ジョグする」について)
話を広げすぎちった?
*
あ、ついでだから
いらねえ情報を言っとくと。
(マラソン・ジョグに関しては知らねえが)
ブログをもしやめようってなったら
いちいちかまってちゃん的な予告しないで
しらっといつの間にかいなくなる。
ショゾン。