キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

金足農の吉田クンと早実の荒木大輔の最後の夏の試合

きのう、甲子園の高校野球の決勝をみてて
こんなことをツイートした。


つぶやいたのは、たしか
大阪桐蔭が10点目をとったときぐらい。

で、「何でこんなことをツイートしたのか」
ってのがきょう書きたいことなんだけど
それは後述するとして、と。



たとえば。
「体力の限界はメンタルでカバーできるけど
メンタルが限界を迎えたら完全終了」
って、あるじゃないすか。

マラソンで、どんなにクッタクタでも
「あと5kのがんばりしだいで自己ベスト出る」
って局面はなぜかがんばれるし。

逆に、よしんば余力が残っていたとしても
「あ、きょうダメかも」っておもっちゃったら
その時点でほんとうに終わるし。

はたまた、おしごとで。
週末までになんとしても終わらせないとヤバイ。
って鬼ケースがあったとしたら、
なんとなく3~4日、完徹できちゃう。
みたいなことも、メンタルがまさってるから
できちゃったりするじゃないすか。
(いまはもうムリかな?)



金足農業のピッチャーの吉田クンは、たぶん。
体力的には、準々決勝ぐらいで限界を超えてて。
メンタルとかモチベーションでカバーしてきたけど

大阪桐蔭に4回3失点、5回6失点とつるべ打ちされて
というか、つるべ打ちされてる途中に
気持ちもポッキリ、折れちゃったんだとおもう。

根尾クンにホームラン打たれたとき、とか。



で、おれが上記ツイートした時点が
たぶん、ポッキリいった直後。

朝日新聞に、こんな記事もあった。
「オレ、もう投げられない」金足農・吉田、仲間に告げた

いちおうリンク貼るケド、見出しだけで
ぜんぶ伝わっちゃうよね。

それでも続投したものの。直後にやっぱりというか
根尾クンにホームラン打たれちゃったという。



で、なんとなく本題にすり寄ってく。

10日ぐらい前にこんな本をみつけた。


荒木大輔って、
じぶんにとっての野球の原風景で。
1980年夏、横浜vs早実との決勝戦が
記憶に残ってる最古のリアルタイムで。
「はじめてみたものを親とおもう」的な。

荒木大輔関連のものはたぶん、
文章も写真も映像も、
いままで売るほど見てきていて
メディアに出ている話は、すでに
知らないものはほとんどないと言っていい。



いや、これ。
ドヤ顔したいんじゃなくって
ちょっと高校野球すきなひとにとって
荒木大輔・池田高校・KKって
そういうもんじゃないすか。



なので、上目線だが。
「いまさら」こういう本が出てくるとき
「どんな未知の話に出合わせてくれるのかな?」
っていう鼻もちならない感じでページを繰ってゆく。

「いまさら」こういう本を出したからには。
「甲子園ギャルがどんだけすごかったか」とか
「18年後、大輔って名前の球児が大繁殖」とか
そんな使い古されたエピソードなんかを
テキトーに編み直して出してきて
おれを満足させられるとでもおもってんのかい?
とか、そんな感じで。

おめえマジ、なにさまだよ。



あ、大して意味も脈略もないが
いちおう目次だしときますね。
アマゾンにあったものをコピペ。
第1章 世界一の少年 リトルリーグ世界大会優勝
第2章 降臨 背番号11の1年生エース
第3章 惜敗 力を出し切れなかった優勝候補
第4章 圧倒 東京では負けなかった早実
第5章 破壊 すべてを失った最後の夏
第6章 憧れ 荒木大輔になれなかった男
第7章 決断 ドラフト1位でスワローズへ
第8章 復活 右ひじ手術からの日本一
第9章 その後 甲子園のアイドルのいま


おれがこの本にひきこまれたのは
荒木大輔の肉声が生々しかったから。

この本の特長として
「いろんなひとの証言から成り立ってる」



いろんなひとってのは、
甲子園で戦った横浜の愛甲とかY校の三浦だったり
川相だったり畠山だったり。
チームメイトだった石井丈裕だったり
早実の先輩の大矢明彦だったりして。

あと、ニッチな話になるが
クロマティにデッドボールぶっつけて
乱闘になった中日の宮下は
調布の神代中の同級生だったりして。

もちろん、それらひとの証言も秀逸なんだが。
そういう証言があってこそというか
荒木大輔の肉声のみずみずしさが際立つ。

ってのが、いいなあとおもった。



印象に残った肉声。

荒木大輔の夏の最後の試合。
2-14で敗れた池田高校戦について
本人は、こんなことを言ってる。
「僕には、甲子園の戦いで培った勝ち方のセオリーがあって、それに基づいて勝利をつかんできました。ところが、池田との試合では、僕のやり方がまったく通用しなかった。そんなのは、池田戦だけです」(p.148)
「いままで甲子園で勝ってきた投球がまったく通用しなくて、僕は打たれるたびにパニックに近い状態になっていました。高校時代のすべてを池田打線に破壊されたんです」(p.149)
「僕には快速球があるわけでなく、140キロくらいのボールで打ちとってきました。その投球術が通用しなければ、抑えられるはずがありません。『もうコールド負けにしてほしい』と本気で思っていました。勝てないことがはっきりしていたから、早く試合を終わらせてほしかった」(p.150)

ドラフト会議からプロ入り前後にも
こういう揺れ動き方を、してる。
「最後の夏、甲子園で池田にすべてを破壊されたこともあって、自分がプロ野球で通用するという自信は持てませんでした。大学に進むこと、早稲田大学野球部に入ることしか考えていませんでした」(p.184)
「自分では、プロ野球でやれるほどの選手じゃないと思っていました。甲子園で対戦した畠山準とか、練習試合をしたことのある斎藤雅樹のようにパワーのある人間じゃないと無理だろうと。甲子園で実績があるとはいえ、高校生相手にあれだけ打たれましたから」(p.188)
「漠然と思ったのは、あの畠山よりもすごい選手が集まっているんだろうなということと、あの池田の選手たちより打つということぐらい。じゃあ、プロで活躍するためにどうすればいいのかと考えても、何もわからなかった」(p.189)
引用大杉www
まあ、絶望するほどショック受けたんだよな。



金足農業の吉田クンをみてて
冒頭のようにツイートしたのは。
この本を読んでそんなに日も経ってなくて。

上で引用したように、荒木大輔は
池田戦でめった打ちに打たれたことを
そこまでショック受けてたのか。
ということを、知ったから。



いや、いままでも
「池田打線は恐怖だった」とか
「早く試合終われっておもってた」
「じぶんはプロで通用するタマじゃない」
とは言ってたけど。

そこまで引きずってるとはおもってなくて。

荒木大輔の魅力のひとつとして
「へんに浮わつかない」ってのもあって。

世間のヒートアップを横目に
あくまで、じぶんの実力を冷静にみきわめて
言ってるのかなあって判断してて。



実力って意味では、たとえば。
甲子園に5回連続で出るぐらいだから
高校レベルでは一級品だったんだけど。

上の引用で「140キロくらいのボール」
って言ってるけど。
オンタイムに近い記憶の記録だと
たしか138~139キロで。

(それでも、当時はそれなりのほう。
140出たら速球派として
プロに注目されてた時代の話だから)

プロに入ってから、スピード上げようとして
振りかぶってから左脚をあげるまで
ずいぶん反動をつけるフォームになったなあ
っておもった。おぼえがある。

それでも、たしか。
肘を故障する前の絶頂期で
最速143~144ぐらい。

ってのは、どうでもいいかな。



今回、金足農業の吉田クンは
ものすごい投球を重ねて決勝まで進出して。
あきらかに数年に1人クラスの逸材で。

でも、大阪桐蔭の猛攻に
まさに精魂尽き果てたっていうか
気持ちでも支えられなくなっちゃった
ってのはあきらかだったから。

これ以上のダメージはもはや
本人にとって何のためにもならない。
これ以上投げ続けても、何の意味もない。
むしろ、マイナスにしかならない。
早く、終わらせてあげないといけない。

って、テレビみてて勝手におもった。
ってだけの話だ。



なんていうか。
大阪桐蔭がつおい、すごいってのはたしかだし。
その大阪桐蔭に打ち込まれたってのも事実だが。

だからって、吉田クン自体。
これまでのがんばりが帳消しになることはないし
評価が下がることもない。
ってのも、事実なはずだし。



1982年の夏、準々決勝。
池田高校に対した荒木大輔が
それまでのじぶんをすべて失った
(ぐらいに考えた)ようには。

2018年の夏、決勝。
大阪桐蔭に対した吉田クンが
なにかを失うひつようも必然性も
たぶん、ないはずだし。

とかなんとか、ね。



。。。



で、荒木大輔に話を戻す(?)と。

ショージキ、プロ野球に入れたのは
(実力はかなりビミョーという評価だったけど)
圧倒的な人気を背景としたオトナの政治とか打算
言ってしまえば「客寄せパンダ」
的な側面もつおく作用してたっぽいんだが。

たしかに。本人も
早稲田大学で野球をつづけ、
卒業したらノンプロで何年かできれば
ぐらいに考えてたって書いてあったし。



かたや。

おれが興味ぶかくおもっているのは
そういう客寄せパンダ的な立ち位置からの
スタートにもかかわらず、
のちヤクルトの開幕投手をつとめたり
2桁勝利をあげる程度には成長を遂げて。

そのあとケガで4年ものブランクがありながら
復活してから、またそこそこ活躍したって面。



たとえば、市民マラソンでさえ。
いちばんいいときにケガして
4年もブランクが空いたら
いちばんいいときの近くまで戻すって
不可能じゃないだろうけど相当むつかしい
じゃないすか。

的なのの、プロ野球スケール版。
あ、このたとえ、いらねえかな。



「じぶんは通用するレベルじゃない」
っていうプロ野球の世界に入って。
エース格にまでなるには、
どこかで覚悟のスイッチを入れて
死ぬほど努力したんだろうし。

肘のケガから復帰するまで、
どれだけのものを乗り越えてきたんだろう。
あるいは、乗り越えるために
何を考え、何をしてきたんだろう。

ってところがすげえ気になるんだが。それは
ここで言いたいことからどんどん外れてるので
措きまする。



10年前に。
デアゴスティーニ的なやつの
高校野球版が出てて。

1980~81年の巻での
「マウンドの日輪」ってキャッチコピー
なかなか秀逸だなとおもったの。
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100回大会の日輪、吉田クンの未来も
輝かしいものになれぞかし。おもうの。