キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「主観が客観に飲み込まれないようにする」みたいなこと

きょう、ラジオ聴いててほおおってなった言葉。
(言葉の詳細はアバウトな記憶による)
たしか、伊集院光と糸井重里が話してたんだとおもう。



たとえば。
じぶんはAっていう店がおいしいとおもってる。
とする。

でも「食べログ」の評価ではAは散々で。
Bっていう店の評価が高い。
でいて、じぶんはBのよさがまったくわからない。
とする。

そんなとき。
「Aがいいって言ってるおれがおかしいのか?」
「Bのよさがわからないおれは間違ってるのか?」

ついつい、おもってしまうもの。



でも、Bが高評価っていうのは
ただの客観的な意見であって、
正しいかどうかは別だし。

客観的には低評価なAを
(主観的に)おれはいいとおもうっていうのも、
間違ってるかどうかは、別。

なので。
たとえ主観が世間の支持や評価とずれてても
客観に寄せなくちゃいけないってことはない。

みたいなことを言ってたんだとおもう。



っていうか、ですね。
対談で言ってたらしいことを
まとめればまとめるほど。

このエントリーで言おうとしてたことと
どんどんどんどんずれてってる気がするし。
対談でそんなこと言ってねえんじゃね?
すら、おもいはじめちった。

イチゴたべたいでええええ~す!!!

。。。

たぶん、使いかた間違ってる。
主観的にも、客観的にも。

でもやっと、マイメロ絶叫がつかえただけで
きょうのおれはめっけもんだ。
ブログ書いてないで、原稿書けや!



上で、書いててキョライしたのは
○ゴーイングマイウェイかっけえ。
○迎合しようとしねえの、かっけえ。
○みんなに合わせんの、悪。
○主観がけっきょくぜーんぶ、正しいのだ。

ってとれちゃうじゃねえか(それはちがうよ)
ってことで。

彼らはけしてそういうことを言ってないし
おれはけしてそういうことを言いたいんじゃない。

っていう、ディレンマ。
というか、ボタンのかけ違い。



「周りをちゃんとみたうえで」
「なにがいいとおもうかじぶんでちゃんと決めれ」
かつ。

「じぶんがいいとおもったことでも」
「周りを常にちゃんと見といて決めれ」
ってことを言いたいんだよね。

ん? トンチンカン解釈?



それを途中の説明をはしょってはしょって
けっきょくどうすればいいかってのを
つきつめてみっと。

こういうところに帰結すんじゃないか。
おもう。おもいましたとさ。



「この一球は絶対無二の一球なり」

23年前。
日本人が本戦に出るだけで快挙だった時代。
ベスト8まであと2ポイントというところで
マイメロ松岡修造は絶叫した。

勝っても負けてもケガしても飯食えなくても
ずっとずっとてめえはどうおもうか考え、信じて
いちいち次の一球を
絶対無二の一球にしてきたからこそ

こういうほんとうの土壇場で
絶対無二の一球に臨める。

客観と、主観。



お仕着せの練習で満足してないか?

聞きかじった耳ざわりよさげなメニュウを
真似てるだけじゃないか?

じぶんにその練習は、いま、真にひつようか?

独りよがりになってや、しないか?

だいたい、何のために走ってんのか?


てめえに鑑みるにつけ。
深く深く、胸に突き刺さりましたとさぽえむ。
イチゴ食べたいデエエエエス。
ゾウさんのほうが、もっとすきデエエエス。

あれ?