キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

つづかないかもしれないたとえ話 その3 自分のブログなんて誰も読んでないって思ってる、みたいなこと

その1を書いたとき。
酔っ払ったノリで表題に
「たとえ話」ってしたが。

なんでそうしたのか、
まったく憶えてねえぇ。。。

あくまで仮にだが。酔っ払いのおれは
毒を撒き散らしたときのリスクヘッジとして
「これはあくまでたとえ話ですよ」って
したんだろうか?

だとしたら、毒を撒き散らかす気まんまんだった
ってことになるじゃねーか。

毒ってなんだよだぜ?
ああ、おそロシヤ。



焼肉屋トークのつづき。

前エントリーでいうところの
つづきがあるとすれば。
この日、いちばん共感したこと。
ロンのモチ、ブログの話。



「ところでな」
あやたさんが言う。

「おれのブログ、ホントに読まれてんのかな?」

ああ、ソレすげえわかりる。



あ、もういちいちめんどくせえから。
エクスキューズは措きまするぞ。

「てめえみたいなクソ辺境ごときが
クオリティも人気もぜんぜんちげえ
あやたさんと同列気取ってんじゃねえよ」

的なやつ。
そんなのは、とっくにわかってる。



あと、この一連。
やたらあやたさんのことばっか話してるが。
プロシードさんもいらしたんだが。

プロシードさんがほとんど出てこないのは
別におれがプロシードさんが嫌いとか
disりたいとかじゃなく。

プロシードさんの話が
ブログで書くにはプライベートすぎただけだ。

じっさい。
焼肉屋でのボール支配率的には
9割がたプロシードさんの独擅場で。
キラーパスやらドライブシュートやら
スカイラブハリケーンが
がんがん繰り出された。

ただ、いかんせん。
話がプライベートすぎて、書けないw



そうそう。

不愉快がウリだったはずのプロシードさんからは
不愉快要素がビタ一文見つからないばかりか。

おれがいままで知ってる通りの
「ザ・愉快なおじさん」純度100だったので
もういい加減、ブログ再開しろや。

おもったりおもわなかったり、する。



「おれのブログ、ホントに読まれてんのかな?」

いわく。

しょせん端末のあっちとこっちだから
読まれてるって実感がもてない。
アクセス数とかブログ村のポイントだって
ただの数字で、リアリティがもてない。

じゃあおれは、誰に向けてブログ書いてんだ?

みたいなことだったとおもう。



(おれと、ビジネス不愉快おじさんは)
ちょっとアルコホールも入ってきてたし。
おれはおれで、共感バリバリで訊いていたので
あやたさんの発言とじぶんの考えが
ごちゃまぜになっちゃってるような気が
しないでもないが、まあそんなんようなこと。

いまさらディテールや正確さを求められたって
記憶以外のレコーダーなんかねえから
水掛け論にしかなんねえんだぜ?



。。。



で、以下。
そのあやたさんの発言を換骨奪胎した
その場でおれが喋ったこととか
じぶんが常々おもってることだし。

矛盾とか誤解を生みかねない言い方とか
たぶんにカマトトっぽかったりとか
たぶんにかまってちゃんぽかったりとか
厨二っぽかったりするかもしれないので。

くれぐれも、あやたさんの発言とは
こうして切り離して書くし
そういうものだと、考えてくれい。



。。。



「おれなんかが書いたブログが読まれる」
という実感が、まったくもてない。
むかしも、いまも。

実際、アクセス数なんか微々たるもんだし。
それとて、リアルで存じ上げてて
ブログを見てくだすってるかたもいるのかな()
って数よりは多いんだが。

それとて、やっぱりただの数字で
だからどうだってんじゃない
ってたぐいのもんだ。

ブログサービスのアクセスカウンターなんか
いい加減だって話もあるし。



で、たとえば。
その数字がどんなに大きかろうと。
やっぱり実感はもてないわけで。

「おれなんかのブログ、読むひといるのかよ?」
っていつもおもってる。

だからこそ。
「キクチのこと書いてたひといたよね」
なんて、人づてに聞くと。

ミョーにウレション状態になっちゃって
おもわずこんな
かまってちゃんエントリーをものしたりする。
「エゴサーチ」でサーチしきれねえものもある、みたいなこと



これはものすごくわかりづらいたとえ
かもしんないが。

子供のころ。
「この世は、実はおれだけしか
存在しないんじゃないか?」
って、クソまじめにおもってて。

なんていうか、箱庭みたいなイメージ。
じぶんの目の届く範囲の外に
世界はなんにもないんじゃないか、と。



家にいるときは家族が存在してるかのようで。

家を出て学校に行くと
学校にいるメンバーが存在してるかのようで。
そのとき、家族は存在してなくなって。

学校が終わって家に帰ると
家族があわてて登場する代わりに。
学校にいるメンバーは存在しなくなる。

たまに田舎のばあちゃんから電話がくるのは
実在をホントっぽく演出するための
道具でしかなかったりする。

つまり、じぶんを中心とした
半径数メートルの箱庭だけが存在してる。
という。



いま現在、実は。
プロシードさんは次の「箱庭」の出番を
舞台袖で無の状態で待ってるだけで。
大阪に、あやたさんなんかいなくって。
よしんば、大阪なんて場所もない。

的な。



高校生とか大学生のころ。
ネタ的に何人かに
「ガキのころ、そういう風におもってた」
とかギャグテイストで話したら

「あ、おれもあたしもそういう感覚あった」
って反応がごくたまにあってビビったが。

ブログに関しておもってる感じは
まさに、そういうニュアンス。

リアリティがない。



さてと。
わけわかんないっすよね。
こいつ、クソからみづらいっすよね。

でも、つづける。



。。。



そんなん感じだから
「ヒトサマに読まれてる前提」
なんて、置けるはずはなくて

誰に対して書いてんのかわかんないから
じぶんを喜ばすためにブログ書いてる。



それはほんとうに
「じぶんを喜ばすために書いてる」のか
「対象がわかんないから、
とりあえずそう据えてる」
んだかも、よくわからんちん。

とか言い出すと
よけいややこしくなるから、措くが。



「ウェブにアップして不特定多数に見られうる」
という形態をとってるくせに。

実際に誰に見られてるって実感ももてないし
誰かに見られてるって意識ももてない。



いや、だからってったって。
おれも年齢だけはいいオトナなもんだから
そりゃ、最低限のマナーというか
そういうのは押さえてるつもりっすよ。

あるかどうかもわからない事態にそなえた
リスクヘッジとして。

でもそれとて、どうやら
やっといたほうがいいらしいってだけで
実効力は、よくわかってない。



「誰かに見られてる」って意識が希薄。
というのは、たとえば。

ヒトサマのブログで
「きょうレースを走ったみなさん
おつかれさまでした!」って記述を見つけると。

あ、このひとは「誰かに見られてる」
を、ちゃんと意識できてるんだなあ。
それを前提に発信してんだなあ。

おおすげえなあって、おもう。

何でそれを意識できるんだろう?
って、不思議におもう。しかない。
のはたぶん、おれの脳みそが足りないからだ
と、おもう。



ああ、やっぱり。

あやたさんの発言とはだいぶ遠いとこまで
漂流してきちゃった気がするぜ。

「じゃあおめえ、なんでブログ書いてんだよ?
しかも最近、更新ひんぱんじゃねーかよ?」

って、根源的な自問自答。
などに答えられるわけは、ねえw



「ところで、そういえばキクチ。
おめえ最近、脚、速くなったな」
あやたさんは、おっさった。

「あ、ありがとうございますっ」
おれは、おっさった。


たぶん、このシリーズ。
もうこれ以上つづけるつもりは、ない。
ネタはまだ、もうちょっと、あるケド。

551ぶたまん、クソ美味かったっす。