キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

リアルでお会いすっと「誰が超絶人見知りだよ!」ってよく言われるの件

大阪マラソン後、免疫力が低下してたのか
うっかり風邪をひいてしまいました。
幸いなことに、風邪は治りかけてきました。
でも「大阪ロス」はいまだとどまることを知らず
すげえ猛威でもって、わたくしのココロを
蝕みつづけてゐるのです。
(東京都狛江市・42歳・男性・会社員)



とりわけブログを通して知り合ったかたに
リアルでお会いすると。
「なーんだ、ぜんぜん人見知りじゃねえじゃねえか!」
「印象と違えじゃんかよ」、よく言われる。

いったいおれって、どんな印象だったんだぜ?

ご多分に漏れず、大阪でも。
そんなんような集中砲火を浴びた。
ような、気がする。

ブログにおけるキャラづくり?
ビジネス?
ささやかれたとか、ささやかれもしなかったとか。

どう転んでも、それなりにオイシイ。
もはや。



超絶人見知りってのは。

ビジネスでもなんでもなく。
いまなお、なんにも改善されてなくって。

高校時代、教室のすみっこで
時計の短針が動くサマを眺めながら
独り、のり弁を食ってた。

ってころと、ひとつも変わってない。
微動だにしてない。

秒針や長針じゃねえんだぜ。
「短針」なんだぜ。



じゃあ表題みたいなことになるのは
何でかっていうと。
みたいなことを。

ない脳みそをフルスイングでもって
振り絞って考えてみっと。

「社会に出てから、じぶんが生存していくに
必要最低限な装備を身につけただけ」

なんじゃないかとおもう。

ん? 「なにひとつ変わってなく」はねえよな。
読み返して気づいちゃったが、措く。
誤差の範囲だ。



たとえば、話をするとき
相手の目を見て、でけない。

でも、相手の目を見れなくっても
(逆に見なければこそ)
話しつづけることは、でける。

社会の端っこででも、それで生きてはゆける。
じゃん。とか。



オトナになると、ラッキーなことに。
すげえ武器が手に入る。

「おさけ」という超神水を口にすれば
アラ不思議。なんだか気も大きくなるし
口も滑らかになる。(目は合わせられない)

あとはいかに。
おさけをからめる場に持ち込めるか。
一点集中勝負、でける。

あるいは。
超絶人見知りではあるが。
一度、ある程度うちとけられたバヤイ。
二度目以降はわりとふつうにイケる。
そんな性質も持ち合わせてる。



もんだいは。
一度目でうちとけられるかどうかは
「おさけがあるかないか」
「相手とウマが合うか合わないか」
という偶然のバッティングのみに依存し
あまつさえ、超絶人見知りであるからこそ
こちらからアクションを起こすことは
ぜったいにできない。

つまり、すべて運まかせ
他力本願寺、ということである。

だからどうだってんじゃないが
まあ、そういうことだ。



人見知りと引っ込み思案とコミュ障と非社会性。
そもそも似て非なるものではあるが
だいたいにおいて、兼備しているものだ。
なんでだろ?