キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「ブログイップス」ってすげえセンスの言葉だ。こうなったらおれなりにブログイップスについて想いの丈をダラダラダラダラぶつけてみる

きのう、かっきぃさんがすごいエントリーをアップされた。
「こういうことさ」って感激しちゃって。

かっきぃ VS ブログイップス

いやマジ、「ブログを書いてるひと」
「これからブログを書こうってひと」
「書かないけど読むのがすきなひと」
みんなまとめて、まるっと必読だ。
読まないと、なんらか損する。そんくらいの。

なお、コメント欄が開いてたが、
なんとなく、書き込むのをよしとく。
おれなんかが入ってって異臭をはなつわけには
ゆかない。ゆえ。

ので、ここでおれがおもう「ブログイップス」を
何を書くかもろくに決めてないまま、書きはじめる。
脈絡もオチもないまま、垂れ流すこと必定。



しかし、ゆうべからきょうにかけては、アレだ。
神がかってるブログがたてつづいた。
いま最先端の、流行語大賞をもちいるならば
「なんて日だ!」

別大、出ろよ!
もっともっとカール、食っちいな!
慣れねえ一本背負いなんかしようとすんじゃねえよ!
オシッコ、漏らしまくりだな!
出逢いが先かどうかなんて、知ったこっちゃねえよ!

おまけに。
「いつまで『テスト』が最新記事だよ!」



なお。
おれは、なんの縁もゆかりもないが
「ふざけんな!」激しくいきどおった

なんの縁もゆかりもねえのに。
あまつさえ、どっちかっつうと嫌われてるっぽいのに
なぜか、一抹のさびしさをおぼえた。
なんでなのか、さっっぱりよくわからない。

ブログのおなまえを
「ノリ弁、GGE、ジョグしまんねん」
に変えようとは、ビタ一文おもわなかった。

GGEって、ちょっとエジソンがつくった会社ぽくね?
とか、ほんと、クソどうでもいい。

ぐらい、パニクった。
カドクラが投げてヤマクラが捕る
ぐらいの、パニクリパニクラ。クリヤマ。

うれしくもなんっともねえが、めでたい。
幸多かれ!
もとい、幸少なからずれ!



あのう。
ぼかあさあ、おもうんすよ。

してなんにもおもしろいことはない。
腹立つことばっかだ、実際。
でも、やめる必然性がなければ
やめようとはおもわない。
なにがしかの縁があったんなら
ぜったいにしといたほうがいい。たぶん。
それによって人生が豊かになるかはしんないが
人生がこれ以上貧困になることは、少なくともねえ。

そういうむかつくもんだ、結婚。
とか、どうでもいいな。

クソブサイクが、うるせえ。
かさねがさね、こんぐら。



。。。



きょうはさいしょ。
やっぱりかっきぃさんにインスパイアされて。
「ブログにおけるコメント欄」あるいは
「ブログにおけるコメント」
について、書こうとした。

どんだけかっきぃさんに片思いなんだよ。
あんまお会いしたことねえのに。



おれは、おもしろいブログを書けるひとは
老若男女すきだし、リスペクトする。
なぜなら、おれには、できないから。

で、コメント欄を開放するか、閉鎖するか。
かっきぃさんはものしていらした。
いろんな示唆に富んでる。

コメント欄を開放すること=出島
同、閉鎖すること=鎖国

とかね。
表題の「イップス」もそうだけど。
この日本語のセンスってなんなんだろう。
もだえる。



コメント欄なんか閉じちゃえ
って、ことあるごとにおもう。

が、ケツロンは閉じないってきまってるので
おれのテーマとしては、語るに値しない。



どうせ、絶滅危惧ブログ。
コメントなんか入らねえ。

入るにしたって、
「つまんねえよ、ばーか」とか
「文字化けだらけのスパム」がメインだ。

そういうのは、火に油を注いでもいいので
公開せず、削除削除。してる。
おれのメンタルを、みずからディフェンス。

でも、ごくたまに
ちゃんとしたコメントを入れてくれるひとがいて。
そういうのは100那由他に1つなんだが。

「その1つのうれしさが忘れらんねえ」
ので、開いとく。

おとといきのうのエントリーみたいのが
マジガチ、うれしいから。



ヒトサマのブログに、コメントをしたいとおもう。
が、なるべくしないようにしてる。

超絶人見知りだてらに
どんなに仲よくさせてもらってるかただろうと
コメントするときは、ものすげえキンチョーしる。
考える。

3、4行のコメントを。
クソ辺境1本ぶんぐらい、考える。
生産性が、よくない。



コメントをいただく。
返コメを考える。

3、4行のコメントを。
クソ辺境1本ぶんぐらい、考える。
生産性が、よくない。

とかで、足踏みしてしまう。
このくだりは、中身はなんにもない。
ただのジャストライク、エクスキューズ。



でもやっぱり。
ブログの管理ページをひらいたとき。
「コメントありまーす」表示があると
とてつもなくうれしいので。

これからは、ヒトサマのブログにコメントもしよう。
おもうだけ、おもう。
実行するかどうかは、知らん。



本題には、いつ入るんだ?

こうやって、回り道をしてるのは。
戦略だ。

「ああ、いつもどおりグダグダだよ」
って、途中で閉じちゃう。
それねらいだ。

ウソコだ。

いま、おれは。
本気でもって、ブログイップスについて
「・・とわけのわからない供述をくり返しており・・」
「※あくまでも個人的な感想です」
を、なるべくフィルターを通さず
独りよがりに言おうとしてる。



なお、こうやって引っぱって。
「けっきょく、本題に触れなかったじゃねえか」
「つづきは、あした」
って手段もありうるっちゃありうるんだが。

つづきものがうまくいったためしがない。
(↑)じぶん実績。

いまのこの、「おれの考えをまとめときてえ!」
って、取るに足らない想いは
「つづきは、あした」とか、したら。

たぶん、明日はいまとおなじ熱量は失せてる。
ので、どんなに長くなってもきょうで終える。
し、力尽きたら、尻切れトンボ、する。



どんな横道にそれるか予測がつかないので。
とりあえずおもいつきで。
ケツロンを示しとく。

「ブログイップス」になるひとって。
こういうことだよね?
image

どんだけスラムダンクすきなんだよ。
っていうかこのスラムダンクの思考回路って
怪盗紳士さんの感じに似てるよね。

どうでもいい。措く。



いや「どうでもいい」ってのは
怪盗さんがどうでもいいんじゃなくって
おれのスラムダンクずきが、ってことだ。

ディスれらるの、こわい。
予防線を予防しまくる。



真意が伝わったかどうかはともかく。
ケツロンを掲げちまったので
なんか、肩のチカラが抜けた。

イエーーーーーイ!



イエーーーーーイついでに。
上のほうで勝手にリンクを貼らしていただいた
かっきぃさんのエントリー。

本筋とは違うかもしんないケド。
おれが思い入ったとこを引用しとく。

旦那は相変わらず習志野高校野球部の応援に行く
なんだかとても性格の悪いブランキージェットシティーの歌詞を聴きながら、まったく似つかわしくないやたら爽やかな河原沿いを走りますw
というわけで、路線変更して引き続きバリバリ書いちゃう。
アドラー先生は言います
「我々を苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」なのだ。」
男子に囲まれてバンドなんて組んで調子こいてるんでしょ!どうせとっかえひっかえやりたい放題でしょ!汚らわしい!!
初めて原チャリでニケツした、肩に手を乗せたけど危ないから腰に手を回せって言われた、女の自分に気付いて猛烈に気持ち悪くて吐きそうだった
無軌道にコピペしてもうた。。。

これじゃ、本題に近づけない。
でも、こういうとこなんだよね。

主観的な解釈なのだ。なのだ。



。。。


ちょっとセブンイレブンいってきまーす。



。。。



さてと、そろそろ狭く浅い持論。

フィルターを外しちゃったので、
「そこだけを切り取ると」不快な言いまわしとか
あるかもしんないが、しれませんが、

「おれは」「コウ」「おもう」
ってことだけを言いたいだけで
特定の何かに物申したいわけではないし
ましてBBAなんか、祝いたくもねえ。


エクスキューズ。
IoT社会って、めんどくせえな。

これでdisられても、別にいいわ。

よかねえので、あらかじめいっとく。
image

アオイホノオ、だ。



さて、ここまでをくるめっと。

「アメブロは言うにおよばず。
とある村でも、夏目雅子版西遊記でいえば
ガンダーラ的な立ち位置になってっぞ」

な、かっきぃさんに寄りかかりすぎた。

それはおれが
「習志野高校が大すきで」
「ブランキーも大すきで」
「本屋のバイト面接に落ちた」
なんだから、かもしれない。

くだんのエントリーでちらっと
「クソ辺境読んでくだすってる」
wktkがゆきすぎたのかもしれない。
たしかに、鼻血が出そうになった。

もしくは。
「ただ一度、かっきぃさんと飲んでみたい」
だけかも、しれない。
もしそうなったら、たぶんそこには、
トガーさんもダディさんもいらっさる。
たかしさんとムネコフさんも、必ずかぎつける。

んだが、切り離して持論とやらを。



ブログイップス。

「イップスになる」ってのは
ケツロン画像の桜木花道よろしく
どんな形にせよ、想いが募ったってことだ。

募りすぎて、袋小路に入っちゃった
(かもしんない)ってことだ。

「ブログ」っていう形態上。
どうやっても人目にさらされる。
ってことが前提になってるわけで。



ブログ周辺のひととお会いするようになって。
ひんぱんに耳にする。

「コレ、ブログ的に、オイシイ」

そういうヒトサマの思考に接したとき。
「ああ、みんなそうなんだなあ」
とおもうと同時に。

「この回路は、きわめてココ特有のものだ」
って、おもった。
ガラパゴス、的な。

大きく海を隔てたガラパゴス諸島では
アタリマエの進化。
でも、地球単位では特異らしいこと。



「どうやっても人目にさらされる前提」
なブログという形態をえらんだからには。

ちょっと、考える。
「どうやったら、読んでもらえるだろう」

それには。
どういうことを書こうか。
どういうふうに書こうか。
どんくらい毒を盛るか盛らないか。
どんくらい調子に乗るか、乗らないでおくか。
考える。

どこに視点を定めるか。
じぶんか、ヒトサマからみたじぶんか、
全体的なところから、ふわっとじぶんか。
考える。



こういうことは。
考えれば考えるほど、正解がわかんなくなる。
そもそも正解なんてないんだが、
じぶんのやってることが、全部不正解におもえてくる。

じぶんが書きたいことを書けたぜイエーーーーーイ。
だが、ちょっと待てよ。
これはひょっとして、誰かを不快にさせてないか?

誰かがよろこんでくれることが書けたぜイエーーーーーイ。
だが、ちょっと待てよ。
これは、おれはほんとうに書きたいことなのか?

書くのが、こわくなる。

100コ「おもしろい」って言ってもらえても
1コ「つまんない」って言われたら
「おれ、つまんねえ」ってさいなまれる。

書けなく、なる。



あるいはこういうのもある。
「頻繁に更新するブログをめざそう」

なるべくまいにち、更新する。
ことをめざす。

寝る直前に23:59アップで書き終え。
翌朝、目覚めてから、アタマの片隅で
「きょうのネタは?」考えつづける。
(※あくまで個人的な感想あるいは感触です)

スペシャルなイベントがあったり。
じぶんの内に書きたいことがあるうちはいい。

が、そんなものはすぐ枯渇する。

枯渇しようとしまいと、夜が明ける。
「きょうのネタは?」考える。
夜になっても、浮かばない。

いちんちふつかは
「きょうはネタがないのでテキトーに」
でける。

はたと、気づく。
「こんなん、おもしれえのか?」

「おもしろいネタ」がめっかるまで
書くのがおっかなくなってくる。

いちんちふつか、更新しないでおく。
時間はなにも、解決しない。
ネタは、見つからないまんま。

「おれは、発想力が貧困だ」
責めのベクトルが、おのれに向かう。
それまでも大したネタを書いてたわけじゃないのに
「それでも書けてたじぶん」が
実体以上に輝かしく見えてくる。

どんどんどんどん、臆病に、なる。
書けなく、なる。



これはむじゅんで、たとえば。
じぶんのすきなブログがあって。
まいにち更新されてて。
たまにどうかなってエントリーがあっても。

「きょうは、仕事いそがしいんだよね」
「ネタが切れることも、あるよね」
許容でける。

でも、じぶんには許容でけない。
「おれは、書ける」
ない虚像を追いかける。

ない虚像って、おかしくね?
は、とりあえず、措く。
みそらさんが入籍するようなもんだ。
キクチ、ひつこい。
あまつさえワケワカメ。



「(マラソンのとか)(テーマは何でもいいけど)ブログを書く」
ってのは、タイプがいろいろあって。

ゆきがかり上、身近に
「ジョグにかんする」ってテーマだとすっと。
それでもいろいろタイプがあって。

○ジョグの練習日誌orイベント記録に徹する
○ジョグの研究成果
○ジョグを中心としたその他
○生活のなかのジョグ
○ネタがあればなんでもいい



ここで、あれだな。
印籠が、活きてくる。
「・・とわけのわからない供述をくり返しており・・」
「※あくまでも個人的な感想です」
アオイホノオは再掲しなくていいよね。

たとえば、練習日誌とかイベント記録なら
ほかになにがあろうと、走ったこと書きゃいい。

なきゃ書かないか、
「きょうはありませーん」って書きゃいい。
ほんとうになけりゃ、書かなきゃいい。

これは第一歩がとても賢い。

ただ、生活のなかのジョグとか
ネタがあればなんでも、って位置づけちゃうと

あまつさえ「まいにち更新しよう縛り」つけちゃうと
走ろうと走るまいと
よしんば走らなかったときの何らか
を見つけ出して、書かなきゃなんない。

「練習記録ブログ」って言っときゃよかったのにい。
おもう。

そこで
「ネタが見つかんないおれ、発想力貧困」
いらないとこに、おちいる。



で、上記とおんなじパターンになって。
2、3日措いてみる。

措いても、ネタが見つからない。
そのうち、ブログを再開することもこわくなる。



なにこの、評論家きどり。。。
つづける。ゆきがかり上。



「ブログ」で「イップス」になりやすいひとってのは。

ブログが公開されてるものって前提なうえでは
どこかしら、自意識過剰であり
自己顕示欲の塊であり
よく言えば、サービス精神があるんだとおもう。



で、上記したようにブログで。

練習記録、イベント記録は、あった日に書きゃいい。
研究成果は、まとまったら公開すりゃいい。
境界線をひかないと、ネタを日々探さなきゃなんない。

って差はあれど。

そこにどれだけ想いを込めるか。
みたいな差もある。とおもう。

これは想いを込めたからいいとか
込めなかったからよくないとかじゃなくて。
たとえば、表面上「込められてない」
「研究成果」やクソほど苦しい「練習日誌」
の裏に、すげえ想いがあるのはわかる。
が、とりあえず措いて。

想いが先行するタイプのブログこそ
イップスになりやすいんではないか。
とか。

ブログにおける想いの比重。っていうか。



比重の重きを「想い」に置くと。
ちょっと違うかもしれないけど
わかりやすく「他己分析オブ視点は自分」
ってことにすっと。
(あくまでたとえとして、ね)

「ブログ的にこれでほんとうにいいのか?」

みたいなことが増幅・爆発することがある。
「こんなんで、読まれる(楽しんでもらえる)のか」
が飛躍する。飛躍、しすぎる。

「そもそも、てめえが書きたいこと書きゃいいのにね」
が、盲目しちゃう。



うおおお、投稿予定時間すぎちゃったし、
ねみいいいい。

つづける。
中身はないけど、つづける。



これはほんとうに言うひつようがないかもしんなくって。
じぶんはどうかってだけで、ヒトサマはどうでもいいし。
ヒトサマのスタイルをどうこう言いたくないんだが。

せっかくブログを書いて。
せっかく公開してんだから。

クソテキトーな写真ちゅどーん

たのしかったでーす(はあと)

おっしまーいい(きらきらきらきらきらー)

わけのわかんないお追従コメントもりもりもりもりもりー

って。
「ほんとうにそれでいいとおもってんの?」
と、おもう。

時間がないとか、表現力うんぬんじゃなくて。
それでよしとするのは、
「想い」のもんだいだとおもう。

それはそれでなんらかの目的があって
ご本人が楽しけりゃいいのかもしんないけど。

それは、手書きのほぼ日手帳なりに書けばいいし
日記アプリとかにつければいい。

※あくまで個人的な。。。措く。



いや、あれなわけですよ。
って、誰もここまで読んでねえでしょうが。

いや、あれなわけですよ。
クソ辺境なんか、どうよってえと。

誰も読まないし、楽しくない。
ことで、あろう。
不愉快なことで、あろう。

でもつまんないのはひとえに、
書き手の力量不足で。

力量は足りないかもしんないが
公開してる意味を斟酌して
読ませたい楽しませたい
的なことの意識はしつづけてるわけ。
上記でいうと「想い」。

なので。
結果としてつまんなかったり
不愉快だったりするのは、しようがない。
(↑自己評価、甘甘ナリ)

っていうか、ただの力量不足だから。

でも。
いや、なんでもない。
くりかえしにならないから、措く。略す。



いろいろ話がとっちらかっちゃったけど。

もし、かっきぃさんがブログイップスになったとしたら。
そこらへんが、まじめというか、厳格すぎるんだとおもう。

って、ねみいから〆ようとおもったが。
書き忘れたことがあるのに気づいた。



「ブログ的に」ココロに闇が支配する期間。

たとえば、仕事が忙しくておもうように走れないとき。
たとえば、家庭が忙しくておもうように走れないとき。
たとえば、ケガをしておもうように走れないとき。
たとえば、ケガをしてるわけでもないのに、どんどん遅くなってるとき。

「ブログ的に」書くネタを考えても考えても。
マイナスなことしかおもいうかばない。

てめえが勝手に沈んでりゃいいんだが。

すごくキョリを走れてるひと
すごく速く走れてるひと
すごく楽しそうに走れてるひと
まぶしすぎて、みるのがつらくなってくる。

ややもすると。
そういうひとに憎悪の念を抱いたり、する。

ただ、おれが走れてないだけで。
すごく(なんらかなひと)ってのは、その間に
ものすごい努力を積み重ねてそこに至ったというのに。

とくに、じぶんが勝手にライバルだとおもってたひとが
そういうにはとても憚られるとこにいっちゃうと。

とかく、そうなる。
おれは、ならない。

うん。
キレイゴトじゃなくてそうなんだが。
それはそのうちどっかで語る。
(やんねえフラグぇ)



これは経験則っていうか。
テクニックっていうと、
上からっぽくなっちゃうでアレだが。

けっきょく吐き出さないと解決しないんだよなあ。
ロンのモチ、ブログっていう形態を踏まえて。
いろんなオブラートにくるんで。
ズッコケてみせたり、おどけてみせたり
するぐらいのことは要るんだろうが。

あるいは、そういの度外視で。
「てめえ、みてろよ」
をドストレートにカマせるならば
それもいい。

おれはソレ、できねえけどな。



ここまで滔々とぬかしといていまさら
キレイゴトを並べる気はないが。

「マラソン」がいいなとおもうのは。とりわけ
「競技ではない市民マラソンがいいな」
と、おもうのは。

じぶんとおんなじぐらいの持ちタイムの
Aさんがいたとしても。

Aさんはどこまでいっても、バーチャルで。
リアルに竸うのは、PBなじぶんとか
いま、レースなりポイント練習で
踏んばりどころなじぶんでしかないということ。



ひこさんがむかし
「ブログとマラソンは親和性が高いよね」
っておっしゃってたことがあって。

それはじぶんと向き合う時間が長いとか
いろいろ考えながら組み立てるとか
そういうことでしか捉えられてなかったんだが。

たとえばブログを
「誰々がものすごくおもしろいことを書いた」
ってことがあるとして。

それをおもしろがったり、
すげえなあとおもったり
くやしいなとおもったり、あるいは
おれは違うこういうふうにいこうとする
とかってのは、それぞれで。

誰々のことは、ジツはじぶんには
ぜんぜん関係なくって。
じゃあ、おれのブログはこうしよう。
それが、「誰々には負けねえ」
とかでもいいんだが。

何をもって勝ちだか負けだかは措いても。
結果として、じぶんがどういうコンテンツを仕立てられるか
おもしろくしてえ、読まれてえ
って考えつづけられるか、と。

けっきょくじぶんがどういう想いをもてるか
ってことに帰結する。
のかね?



むつかしく考えることはニガテで
コウ、狭く浅く終始してみたが
(おれにとってはいっぱいいっぱいだが)
ネロ、ぼくはなんだか、ねむくなってきたよ。
ネロ、寝ろ。