キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

きっかけとアクションの間にあるものってあんがいおもい出せねえ

ふとおもい返しますれば
表題のようなことに気づいた。

じぶんのなかで何らか
強烈なインスピレーションがあって。

これぞ! っておもいこんで
注視したり、やってみたりする。

ただ、その。
インスピレーションを受けてから
実際にアクションを起こす間には
ものすごい隔絶があったはずで。

その隔絶を乗り越える信じられないパワー
があったはずなのだが、そこについては
あんがいあやふやだったりする。


たとえば。
なにげなく甲子園をみてた6歳のころ。
早実の荒木大輔かっけーとおもって
高校野球をつぶさにみるようになった。

でも、それなら荒木大輔だけみてりゃいいのに
ほかの学校・選手にもすごくキョーミを
持つようになった。

そこの間には、甲子園のフインキなり
世間的な盛り上がりなり
野球というスポーツの魅力なり
なんらかおのれを捕えるフックがあったはず。

なのだが、なんでつぶさに見ようとおもったのか。
その初動がわからない。

そこにじぶんの大切なもの。
甲子園観とか高校野球観、野球観
がたぶんあったとおもうんだが
わからないまま、「そういうものだ」
って感じでいまも、見つづけてる。



たとえば。
27歳のころ、職種を変えた。

じぶんのなかで強烈におもうところのものがあって
人生最大のキヨミズダイブぞ(当時)って感じで
いまの職種の尻尾をつかもうとした。

強烈におもうところのものがあって、
キヨミズダイブをして、
いまに至るという。

その、強烈な想いを抱く、と
実際にキヨミズダイブという行動にうつす
との間に、大事な想いとか決意とか
たぶんあったとおもうんだが、
そこがわからない。

わからないまま、いまに至る。



2010年の春。
「人生で一回ぐらい、フルマラソンを走ってみようかな」
とおもった。

むかーし、ちょっとだけ陸上部だったし。
走ることはキライじゃないし。

と、20年以上ろくに走ってないのに
走ってみようかな。だけおもった。

実際。
○そうおもったタイミングで

○ネットで調べたら

○つくばマラソンにエントリーできて

○それを目標に走り出した
という表面的にわかりやすい導線。
は、ある。



んだが。
「だけおもった」のは、それまでに何度かあって。
それらは実行に至らなかった累々なのに
なんだか実際、走りはじめた。

そのままいまに至り。
走るのが(ある意味)アタリマエ
になってるので、もはやよくわからない。



ずいぶん無運動だったひとが走りだすには
「動きやすいかっこう」からはじまり
「走れるクツ(ランシューに至るのはまだ遠い)」
「走りだすに満足できる気候、気象」
「走る(走れそうな)場所の選定」

とか条件っていうか下準備が整い。あまつさえ
それなりのモチベーションが維持できてないと
走りだすわけはない。

コレ。
地味に、わりと、道のり、けわしい。

そういうのを乗り越えて走り出したのって
当時のおれはどう、アタマがいい感じでマヒしてたんだろう。
ダイエットしたかったわけでも
走る理由があったわけでもないのに
どう、行動に移したんだろう。

「つくばマラソンに申し込んじゃったから」
っていう理由はひやくしすぎていて
その間に、重要なピースがあったんだとおもう。



こういうのってまさに
ホントどうでもいいことで。
いまとなっては。

でも現実に、走りだして7年目になる。
わりとたいそうなときの流れだ。

わりとたいそうなので
ハテ、なんだったっけ? って
書いてるうちにおもいだすかなとおもったケド
やっぱし、わかんねえ。

ま、それでもいいかな、ともおもう。
アクションに起こすときの心持ちと
その後、つづけた心持ちも違うはずだし。

ええええっ?
そういうふうに放りだすの?

っていうね。。。



それなりに人生の岐路っぽいことって。
なかんずくコウ、軽薄で。

軽薄ってえと、ちげえな。

エアポケットというか、
なにかにいざなわれたっていうか、
フシギな空白がある。

そういうものなのかもしんない。
リクツを超えたものなのかもしれない。

ふむふむ。

(うわー。結婚前後のそういうのって
きわめて理路整然と説明でけるわーーっ)




そうそう。
ゆうべ、届いてて。
今朝、身にまとって閾値走してみた。

丸首が狭めかなあとおもったものの
走ってみたら気にならず。ぐあいがよい。

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