ふとおもい返しますれば
表題のようなことに気づいた。
じぶんのなかで何らか
強烈なインスピレーションがあって。
↓
これぞ! っておもいこんで
注視したり、やってみたりする。
ただ、その。
インスピレーションを受けてから
実際にアクションを起こす間には
ものすごい隔絶があったはずで。
その隔絶を乗り越える信じられないパワー
があったはずなのだが、そこについては
あんがいあやふやだったりする。
*
たとえば。
なにげなく甲子園をみてた6歳のころ。
早実の荒木大輔かっけーとおもって
高校野球をつぶさにみるようになった。
でも、それなら荒木大輔だけみてりゃいいのに
ほかの学校・選手にもすごくキョーミを
持つようになった。
そこの間には、甲子園のフインキなり
世間的な盛り上がりなり
野球というスポーツの魅力なり
なんらかおのれを捕えるフックがあったはず。
なのだが、なんでつぶさに見ようとおもったのか。
その初動がわからない。
そこにじぶんの大切なもの。
甲子園観とか高校野球観、野球観
がたぶんあったとおもうんだが
わからないまま、「そういうものだ」
って感じでいまも、見つづけてる。
*
たとえば。
27歳のころ、職種を変えた。
じぶんのなかで強烈におもうところのものがあって
人生最大のキヨミズダイブぞ(当時)って感じで
いまの職種の尻尾をつかもうとした。
強烈におもうところのものがあって、
キヨミズダイブをして、
いまに至るという。
その、強烈な想いを抱く、と
実際にキヨミズダイブという行動にうつす
との間に、大事な想いとか決意とか
たぶんあったとおもうんだが、
そこがわからない。
わからないまま、いまに至る。
*
2010年の春。
「人生で一回ぐらい、フルマラソンを走ってみようかな」
とおもった。
むかーし、ちょっとだけ陸上部だったし。
走ることはキライじゃないし。
と、20年以上ろくに走ってないのに
走ってみようかな。だけおもった。
実際。
○そうおもったタイミングで
↓
○ネットで調べたら
↓
○つくばマラソンにエントリーできて
↓
○それを目標に走り出した
という表面的にわかりやすい導線。
は、ある。
*
んだが。
「だけおもった」のは、それまでに何度かあって。
それらは実行に至らなかった累々なのに
なんだか実際、走りはじめた。
そのままいまに至り。
走るのが(ある意味)アタリマエ
になってるので、もはやよくわからない。
*
ずいぶん無運動だったひとが走りだすには
「動きやすいかっこう」からはじまり
「走れるクツ(ランシューに至るのはまだ遠い)」
「走りだすに満足できる気候、気象」
「走る(走れそうな)場所の選定」
とか条件っていうか下準備が整い。あまつさえ
それなりのモチベーションが維持できてないと
走りだすわけはない。
コレ。
地味に、わりと、道のり、けわしい。
そういうのを乗り越えて走り出したのって
当時のおれはどう、アタマがいい感じでマヒしてたんだろう。
ダイエットしたかったわけでも
走る理由があったわけでもないのに
どう、行動に移したんだろう。
「つくばマラソンに申し込んじゃったから」
っていう理由はひやくしすぎていて
その間に、重要なピースがあったんだとおもう。
*
こういうのってまさに
ホントどうでもいいことで。
いまとなっては。
でも現実に、走りだして7年目になる。
わりとたいそうなときの流れだ。
わりとたいそうなので
ハテ、なんだったっけ? って
書いてるうちにおもいだすかなとおもったケド
やっぱし、わかんねえ。
ま、それでもいいかな、ともおもう。
アクションに起こすときの心持ちと
その後、つづけた心持ちも違うはずだし。
ええええっ?
そういうふうに放りだすの?
っていうね。。。
*
それなりに人生の岐路っぽいことって。
なかんずくコウ、軽薄で。
軽薄ってえと、ちげえな。
エアポケットというか、
なにかにいざなわれたっていうか、
フシギな空白がある。
そういうものなのかもしんない。
リクツを超えたものなのかもしれない。
ふむふむ。
(うわー。結婚前後のそういうのって
きわめて理路整然と説明でけるわーーっ)
そうそう。
ゆうべ、届いてて。
今朝、身にまとって閾値走してみた。
丸首が狭めかなあとおもったものの
走ってみたら気にならず。ぐあいがよい。