のつづきのようなもの。
きょう。
映画『ちはやふる』後編を観に行ってきた。
ホントは前編を「上の句」、
後編を「下の句」というんだが
なんとなく気恥ずかしくていいたくない。
で、観ておもったことを書くんだが。
ワタナベさんも観たそうで。
ワタナベさんみたいにリッパに書ける自信は
ビタ一文ないとだけ申し上げておきます。
⇒「ちはやふる」 ~ただそれだけで構わない。
*
基本的に映画を観ない文化なので。
よくわからないんだが。
原作があって映画化(映像化)するバヤイ
かならず原作を忠実になぞるわけではない。
ということは、よくある。
(アタリマエなのかどうかは、知らん)
*
まあ、そりゃそうだといえばそうだ。
表現するものとして、
じぶんなりの解釈なり色なりを添えて
「じぶんのちはやふる」
的なものをつくろうとする。
そういう気概? 野望?
って、大事なような気がする。
いや、おれごときに
「表現するもの」のことなどわからん。
ただ、そういうひとだったら
そうおもうだろうなって、
妄想大爆発なだけだ。
*
で、映画版の『ちはやふる』も
原作とはだいぶ違う。
登場人物や舞台はただのモチーフ。
という感じのもので。
それはいいとも悪いともおもわない。
っていうと、とげとげしいな。
映画『ちはやふる』おもしろかった
ってことを言いたいだけなのに。
*
映画『ちはやふる』。
とりわけきょう観た後編は
「主演・綿谷新」という趣だった。
永世名人を祖父に持ち、
みずからも子どものころから
天才的な才能でもってかるたに
打ち込んできた新。
しかし、祖父が亡くなることによって
かるたから離れ(たくなっ)てしまう。
「じぶんがかるたをする理由」
的なものを考えて。
(っていうくだりについては
上記ワタナベさんの言及がスゴイ)
ふたたびかるたを始めようかなってする。
という新の視点で、
主人公の千早や太一、現クイーン若宮詩暢が
全国大会で戦うさまを展開する。
という面が多かった。
*
わかりづれえな。。。
あのう。
これもよくわからないんだけど。
『シャーロックホームズ』ってあんじゃん。
典型的な物語って、
作家がカミサマ的な立場だったり
作家が主人公目線で展開してくんだけど。
シャーロックホームズものってのは
「盟友ワトソンから見た
ホームズが事件を解決していくさま」
らしくて。
映画『ちはやふる』後編もそんな感じ。
だからといって、新の心情ばかりを描く
いわゆるスピンオフ的なものとも違う。
そのゼツミョーさが、新鮮というか快い。
*
ブログでもあるじゃないすか。たとえば
「かすみがうらマラソン」とか
「ぼっち練」に関するエントリー。
イベントしてはひとつなのに。
参加したひとそれぞれが
それぞれの目線でものすことによって、
じぶんの目線や体験とビミョーに
シンクロしたりしなかったりするところがおもしろい。
みたいなこと。
*
物語自体でもほかにいろんなこととか、
ムスメっことデート状態でうひょーだったとか
映画の解釈を話し合っておもしろかったとか
そういうのあんだが、長くなるので措く。
ほかにもごちゃごちゃいろいろ考えたんだが
長くなるのでやはり、措く。
「じぶんの識別眼を信じるのって大切」
みたいなこと。ね、措いたほうがいいでしょ。
めんどくさそうでしょ。
*
まあ。
「何のために競技かるたをやるのか?」
の「競技かるた」を置換することで
ひとそれぞれ、いろいろ当てはめられるよね。
ナドト、とおもったりおもわなかったりした。
そういう一見、青臭いこと。
いい齢してもたまに考えるのって
要るのかもしれない。
というわけで、オヌヌメしたい。
原作のマンガも、映画も。
シーンとしては、
クイーン若宮詩暢の「音のしない取りかた」
ってのの映像化の仕方に感心した。
「うん、わかるわかる!」と。
って、何のこっちゃって感じだな。
*
。。。
*
そういうGW2日目。
○150k以上、走る。
○家では飲まない。
○スクールウォーズのDVDを全部見直す。
そんなGWのノルマのうち。
きのう飲みすぎちゃって
きょう午前中は走れる状態じゃなかったので
GW走行距離は40kのまま。
残り8日で110kの、まま。
スクールウォーズのDVDはまだ観てない。
そして、こういう。。。
キクチヒロシ@kikuchiroshi酒、うめえーーー!ちはやふるがすげえおもしろかったので、帰宅即ライヤーべろー。 https://t.co/zaQUcLFcf8
2016/04/30 16:14:58