キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

映画『ちはやふる』後編を観に行った。そしてさっそくノルマをひとつ破る

青春ぜんぶ懸けたって強くなれない? 懸けてから言いなさい(2016/03/27)
のつづきのようなもの。

きょう。
映画『ちはやふる』後編を観に行ってきた。
ホントは前編を「上の句」、
後編を「下の句」というんだが
なんとなく気恥ずかしくていいたくない。

で、観ておもったことを書くんだが。
ワタナベさんも観たそうで。
ワタナベさんみたいにリッパに書ける自信は
ビタ一文ないとだけ申し上げておきます。

「ちはやふる」 ~ただそれだけで構わない。



基本的に映画を観ない文化なので。
よくわからないんだが。

原作があって映画化(映像化)するバヤイ
かならず原作を忠実になぞるわけではない。
ということは、よくある。
(アタリマエなのかどうかは、知らん)



まあ、そりゃそうだといえばそうだ。
表現するものとして、
じぶんなりの解釈なり色なりを添えて
「じぶんのちはやふる」
的なものをつくろうとする。

そういう気概? 野望?
って、大事なような気がする。

いや、おれごときに
「表現するもの」のことなどわからん。
ただ、そういうひとだったら
そうおもうだろうなって、
妄想大爆発なだけだ。



で、映画版の『ちはやふる』も
原作とはだいぶ違う。

登場人物や舞台はただのモチーフ。
という感じのもので。
それはいいとも悪いともおもわない。

っていうと、とげとげしいな。
映画『ちはやふる』おもしろかった
ってことを言いたいだけなのに。



映画『ちはやふる』。
とりわけきょう観た後編は
「主演・綿谷新」という趣だった。

永世名人を祖父に持ち、
みずからも子どものころから
天才的な才能でもってかるたに
打ち込んできた新。

しかし、祖父が亡くなることによって
かるたから離れ(たくなっ)てしまう。

「じぶんがかるたをする理由」
的なものを考えて。
(っていうくだりについては
上記ワタナベさんの言及がスゴイ)

ふたたびかるたを始めようかなってする。

という新の視点で、
主人公の千早や太一、現クイーン若宮詩暢が
全国大会で戦うさまを展開する。
という面が多かった。



わかりづれえな。。。

あのう。
これもよくわからないんだけど。
『シャーロックホームズ』ってあんじゃん。

典型的な物語って、
作家がカミサマ的な立場だったり
作家が主人公目線で展開してくんだけど。

シャーロックホームズものってのは
「盟友ワトソンから見た
ホームズが事件を解決していくさま」
らしくて。

映画『ちはやふる』後編もそんな感じ。

だからといって、新の心情ばかりを描く
いわゆるスピンオフ的なものとも違う。
そのゼツミョーさが、新鮮というか快い。



ブログでもあるじゃないすか。たとえば
「かすみがうらマラソン」とか
「ぼっち練」に関するエントリー。

イベントしてはひとつなのに。
参加したひとそれぞれが
それぞれの目線でものすことによって、
じぶんの目線や体験とビミョーに
シンクロしたりしなかったりするところがおもしろい。

みたいなこと。



物語自体でもほかにいろんなこととか、
ムスメっことデート状態でうひょーだったとか
映画の解釈を話し合っておもしろかったとか

そういうのあんだが、長くなるので措く。


ほかにもごちゃごちゃいろいろ考えたんだが
長くなるのでやはり、措く。

「じぶんの識別眼を信じるのって大切」
みたいなこと。ね、措いたほうがいいでしょ。
めんどくさそうでしょ。



まあ。
「何のために競技かるたをやるのか?」
の「競技かるた」を置換することで
ひとそれぞれ、いろいろ当てはめられるよね。
ナドト、とおもったりおもわなかったりした。

そういう一見、青臭いこと。
いい齢してもたまに考えるのって
要るのかもしれない。

というわけで、オヌヌメしたい。
原作のマンガも、映画も。


シーンとしては、
クイーン若宮詩暢の「音のしない取りかた」
ってのの映像化の仕方に感心した。
「うん、わかるわかる!」と。

って、何のこっちゃって感じだな。



。。。



そういうGW2日目。

○150k以上、走る。
○家では飲まない。
○スクールウォーズのDVDを全部見直す。

そんなGWのノルマのうち。

きのう飲みすぎちゃって
きょう午前中は走れる状態じゃなかったので
GW走行距離は40kのまま。
残り8日で110kの、まま。

スクールウォーズのDVDはまだ観てない。

そして、こういう。。。
酒、うめえーーー!