キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

劇場ではしばしば、とまどう―映画「蔦監督」をみてきた2

映画「蔦監督」の感想のつづき。

っていうか、きょうのエントリー。
書きかたがむつかしい。
イチャモンチックというか、
ネガティブ発言めいてるが
映画「蔦監督」とも、
上映していた映画館とも関係ない。

ジャストライク・ただの偏見。

って、エクスキューズから入るとかね。。。


映画を観にいったことを
映画ブログでもないのにわざわざ書く。

のは、「蔦監督」につおく魅かれた
ってのもロンのモチ、あるが
きょくたんに映画を観ないから。
ということもある。

おれが映画を観ないのはそもそも、
「映画という文化にキョーミがないから」
とおもってたのだが、そうではないということに
今回、気づいた。

「映画館がすきではない」(表題)
もっとていねいに言うと

「知らないひとと
おんなじ空間でおんなじものを見る
間(ま)の持たなさがすきではない」

「じぶんのペースで作品を楽しめないから」

なんである。これはまあ
映画にかぎらず、演劇とか講演でもそう。



端的にいうと
おなじ館内にいるひとの反応がおかしい。
とか、そういうの。

「何でこんなつまらないとこで笑ってんの、みんな?」とか。
あるじゃん、そういうじぶんの感覚とのズレ。

あっ。

そもそもおれの感性がとてつもなく鈍い
あんど、あさっての方向にズレてんだろうがバーカ。
って前提は措いても。



「そうやって、ひとと感覚がずれてるおれ、かっけえ!」
とか言いたいんではない。くれぐれも。
そういうときひたすらとまどう、んである。



たとえば以下、おれの思い入れやらを
勝手に詰めこんだ妄言にすぎないので。

あまつさえ、受け手がどう感じるかは
ひとそれぞれ自由なはずで。

じぶんの感じかたが正しい。
などとはビタ一文おもってないし
じぶんと違う感じかたをしたからとて
それをどうこういうって気持ちは、
さらさらない。

エクスキューズはこんくらいでいいかな。



蔦監督の名言に
どうか皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!
というのが、ある。

あ、上のリンクはこの辺境クソブログ内記事へのものね。
この発言は予告編の動画にもあった。
冒頭だ。


蔦監督は動画にあるようにコレを
おちゃらけた感じでおっしゃってる。

映画の本編でもこれが流されて。
会場からどっと、笑いがおきた。

そんななか、おれは。
蔦監督の悲愴な決意表明に、
号泣しそうになるのを必死で抑えてた。

むろん、この映像はこれまで
いろんなところで流れてるので
みるのははじめてではない。



このシーンは、1982(昭和57)年夏。
広島商業との決勝戦をひかえた
朝のミーティングでのこと。



さかのぼること、8年前。
1974(昭和49)年。
池田高校は春のセンバツで決勝戦に進出した。

蔦監督にとって、2度目の甲子園。
たった11人の部員でもって
ということが話題になった
いわゆる「さわやかイレブン」のときである。

決勝戦前日夜のミーティング。
蔦監督は生徒にこう、声をかける。
(おれの記憶ベースなので、細部はテキトー)

「あしたは勝っても負けても、旗がもらえるけん」



センバツは優勝校には優勝旗が
準優勝でも準優勝旗が授与される。

「ここまで来たんだから、優勝でも準優勝でも
大舞台でじぶんたちの野球をおもいっきりやろう」
的なニュアンスでおっしゃったんだろう。

そして決勝戦では、兵庫の報徳学園に惜敗する。

甲子園準優勝。
いうまでもなく、リッパな成績。

ただ、選手はもちろんのこと
いちばん勝ちたかったのは蔦監督なはずで。
たぶん、決勝戦で負けていちばん悔しかったのも
蔦監督なはずだ。

その5年後。すなわち
「皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!」
の3年前、1979(昭和54)年。

池田高校は、今度は夏の甲子園で
決勝戦に進出するも、箕島高校に惜敗する。

2度目の準優勝。



ちなみに1。
このときの相手、箕島高校は
その年の絶対王者? 大正義? で

池田高校に勝ったことで春夏連覇
という偉業を達成した。

3回戦では「最高試合」といわしめた
あの延長17回の星稜戦を戦ってきている。
そういう、伝説の存在。



ちなみに2。
池田高校が準決勝で戦ったのは
牛島、香川という甲子園史上屈指の
バッテリーを擁する浪商高校。

牛島投手についてよく知らなければ
「牛島 伝説」でググれば
高校時代のこと、プロ入り直後の稲尾とのこと
など、ものすごい伝説が出てくる。
そんくらいの名投手だし。

キャッチャーの香川は
あの「ドカベン」になぞらえられたぐらい
強肩豪打(超ぽっちゃり)の名選手。



って、こんな説明的な文章。
いったい誰に向かって言ってんだろう?



話をもどすと。
いや、もう1ケ、ちなみに3、いいすか?

蔦監督は、「勝てない」ということを
じぶんの運命であるかのように考えていた。

池田高校に赴任してから甲子園に出るまで20年。
あと一歩のところで負けつづけ
甲子園で2度、決勝戦で屈した。

1980(昭和55)年。
逸材が池田高校に入学する。

畠山というピッチャーは小学生のころから
徳島県下に名をとどろかせており
畠山が池田に来たことで蔦監督は
「3回は甲子園に行ける」
と踏んでたらしい。

1学年下の「蔦監督の最高傑作」水野雄仁も
「あの畠山がいるから」という理由で、
阿南から遠く離れた池田への入学を決めた。

ぐらいの、逸材・畠山。

(水野が池田入学を決めた理由が
それはそれですごくおもしろいんだが
この話とは関係ないので、あえて措く)



ところが。
逸材・畠山を擁しても、池田は勝てない。

1年の夏、秋(翌春のセンバツ)。
2年の夏、秋、と甲子園を逃しつづけ
残るはラストサマー、1回となってしまった。


蔦監督は言う。
ワシの名前は「文也(ふみや)」
「ひふみ」の「ふ(二)」と「み(三)」。

畠山の名前は「準(ひとし)」。
準優勝の「準」

つまり永遠に一番にはなれないということだ!

っていうか、畠山。
超絶とばっちりwwww



おれ、すげえな。
知りあいでもねえのに。
本とかで読んだだけのことをコウ
さもてめえが観てきたかのように、
ぺらっぺら、ぺらっぺら。。。



あれだな。
あ、いいや、とりあえずつづける。



逸材・畠山、最後の夏。
池田高校はようやく甲子園出場をキメる。

そして勝ち進み、深紅の大優勝旗まであと1つ。
というところまでコマを進める。

「東の(早実)荒木(大輔)、西の畠山」
と並び称されてたとはいえ、
池田高校の勝ち上がりは、それほどラクなものではなかった。

(いきなりえばるわけではないが
これはリアルタイムでテレビで観てた)

「山びこ打線が打ちまくり、
スーパーエース畠山が剛腕でもって
相手をねじ伏せる」

なんてことはなくて、たいがい
「やっとこもぎとったリードを
畠山が粘ってしのぐ」的な勝ち上がりだった。

前評判は高いっちゃ高いケド
「チームの支柱、赤木の出来がカギ」
って、『スラムダンク』の湘北
みたいな感じだった。
(リアルタイム的な感触)。



で、早実の荒木大輔をめった打ちにして。
準決勝の東洋大姫路戦も
「粘ってしのぐ」的な勝ちかたをして。



そういうことをすべて経ての
決勝戦、当日。

というわけ。

池田高校の教師・監督となって30余年。
(翌年には定年退職という年齢)

2度も決勝戦で屈してきた。
これが最後のチャンスかもしれない。
どうしてもどうしても、日本一になりたい。

あまつさえ。
マスコミもカメラを構えて注目してる。

もろもろ踏まえての。
「皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!」

っていうことなんですわな。



なので、上述したとおり、
逆におちゃらけてみせる蔦監督の言葉の重みに
号泣しそうになるのを必死で耐える
ことしかできなかった。

「熱闘甲子園」では、
池田高校が決勝戦を勝利したとき
「池田高校の夏、蔦監督、59歳の青春」
って言ってた。(言葉の正確さ、テキトー)

おれ、ショージキ、その誇大な表現
あんますきじゃねえんだが。
(コレ、言う必要なくね?)

「甲子園はキヨハラのためにあるのか」とか。
(コレも、言う必要なくね?)

でもその。
「池田高校の夏、蔦監督、59歳の青春」
って、それまでの積み重ねを
この実況のひと、よくわかってんだよね
って、おもった。



あのう。アレだな。
この一連のくだりって。
池田高校への思い入れがあまりにもつおすぎて。

よけいなことを挟んじゃったのは、よけいだな。

抑制って大事だ。
つくづく。
こういう、思い入れたいときホド。
反省。



ただ。
イチャモン的にコウ、カマしたのは。

この映画「蔦監督」を観にいったひとって。

いわゆる「畠山クーン、ステキー!」
「江上クーン、カッコいいー!」
的なひとはたぶん皆無で。

最低でも、おれレベルには
蔦監督なり池田高校に思い入れがあるはずで。

それは、おれが訪れた「木曜ていうド平日」
に劇場に足を運べるていどに
社会的余裕(?)のあるひとで。

じっさい「おれ、ここで最年少?」ぐらい
入場前のロビーはそういう年齢層だった。

つまり。
「皆さん、お願いします。私を日本一の監督にしてください!」
って蔦監督がおっしゃったうしろに
なにがあるかはトーゼン、知ってる。

っていうひとの集いだったはず。



そこで、ああいうふうにどっと笑いがおきる
っていうことに、
なんかこう、いわくいいがたい「?」
を感じた、ごくじぶんかってに。

というわけですわ。

「ここで感極まるおれ、ダメなのか?」
「これがオトナのよゆう、楽しみかたってもんなのか?」
って、おもっちゃった。
というわけですわ。



コレ、映画に対するネタバレになってたら
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ。

でもこう。
笑いのポイントって、大事だよね。

きのうの話とリンクしてんだが。
この映画の冒頭で
キミ子夫人が梶田投手の話をしてて
中盤以降にその梶田投手が出てくるんだが。

それはただの
「集まったOB5人中のひとり」ってあつかいで
たいして「春のセンバツを制した小さな大エース」
という紹介もなく、ふつうにOBへの
インタビューとして流されてる。

というところに、ある種の凄みを感じた。

梶田の隣にいたひとは糸永でしょ。
背筋を痛めた、糸永。

そんでもって。
梶田・糸永のトイメンでよく喋ってたひとは
あの桑原でしょ。

それでそれで
桑原の隣にいたのって、桜間でしょ。
延長14回の浜松商戦を投げた
徳島大会無失点のエース。とか。

糸永も桜間もおっさんになりすぎてて
さいしょ、わかんなかったわ。

とかもろもろは、措いても。

あの片山投手はどうして出てこなかったのー?
も、措いても。



そんなこんなで。

「映画『蔦監督』」。
観に行く1ヶ月前からwktkしつづけた甲斐があった。

ただの「蔦文也&キミ子ノスタルジー」
だけじゃなくって、おれもがんばろう
的なバネをもらえた。
そういうの、とても大事。


池田高校が次、甲子園に帰ってくるのはいつだろう?

そう遠くない気もするけど
今度こそ、その姿を「おれの初甲子園」
ってことにしようって、おもった。

おもいましたとさ。

ちゃんちゃん。