キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

マラソンにおける「置きにいく」みたいなこと

板橋前にちょっと下書きしてたこと。

野球で「置きにいく」って言葉がある。

「置きにいく」ってのは。
コントロールの定まらないピッチャーが
ストライクをとるためにボールを放るさま。



○コントロールを意識するあまり

○腕をおもいきって振れないから

○球威が中途半端になる。

(けっか、ストライクが入っても
バッターにとってかっこうの餌食球になる)

という解釈で合ってる?

いちおうググってもみた(↓)。
野球において、ピッチャーが四球を恐れるあまりストライクゾーンへ「置きに行く」かのように速度や変化を抑えた球を投げることを意味する俗語。転じて、自分の本当にしたいことやチャレンジすることを恐れて無難な手段をとることも意味することがある。
まあ、大きくは外してないようだ。



マラソンでも
「置きにいく」って遣うひとがいる。

「レースでひよって、想定よか抑えめの目標&ラップの入り方をすること」
的な意味で。

たとえば。
ハーフで84分23(キロ4分)に
チャレンジしようとしたのに
ビビって「やっぱ4分05で」ってなること。

こういう解釈で合ってる?
誰に聞いてんだ、バーカ。



以下、おれの解釈で。

上記、野球ともマラソンともぜんぜん
違うとらえかたをしてるっていうか。
それを、さらしてみる。

じぶんにはしっくりくるケツロン。

「これで合ってるやろ! どや!(謎の大阪弁・オブ・秋に向けて)」
ってのは、ジョリジョリない。むしろ。
ヒトサマの意見や感想、見解を、聞きたい。

あとそもそも、「置きにいく」ことじたい
悪いこととはおもってない。

あ、いや、ちょっとおもってる。
ちょっとだけ。

どっちだよ。



まず、予備知識というか。
前提条件を挙げとく。

○おれはキホン、どんなキョリだろうと最初からツッコムことはしない。というか、できない。



で、だ。
ケツロンから言うと。

マラソンにおける「置きにいく」ってのは
「どんな状況でも想定ペースで合わせにいっちゃうこと」

ではないかと。

「どんな状況でも」ってのは
すげえゼッコーチョー! ってよりは、
超絶カラダ動かねえ。。。
的なときのほうが、そぐう。

「オッス、オラ、ごんそぐう!」
うーむ、吐いて捨てていい。



たしかに
「キロ4分ってキメたんだから、
何がどうあろうとソレでいく」

ってのは、一見、すがすがしい。
それで撃沈しても、カッコよさげだ。

でも、それってただの思考停止なだけじゃね。
と。



たとえば「キロ4分」てのが、
そんくらいかなあって感じでいって、
結果そうだった。
みたいなことになるんなら、いい。

でも、もろもろ度外視して、
キロ4に「合わせにいく」というのは何だって
ことになりはしまいか。

手段と目的、みたいなことで。
要するにこのバヤイ
「キロ4」ってのはただの手段。

目的がたとえば上述の「ハーフ84分23」として。
平均ペースとして「キロ4」かもしんないが
その「キロ4」てのはあくまでも手段。

じゃねえのってこと。
ふー。
だいぶ、カツアイしたぜ。
その前後関係? 相関関係? 師弟関係?

を見誤らないことって、すごく大切な気がする。
んである。



要するに、
何がなんでもキロ4に「合わせにいく」
すなわち「置きにいく」じゃねえかと。

調子がちょっと違って
「きょうの適切は4分03秒」としたらば

その3秒を落とせるかどうかってのが
野球のピッチャーでいう
腕をおもいきって振れたかどうか
ってことで。

振れてなくてキロ4分ならば
振れてるキロ4分03のほうが球が生きてる。

ということが往々にして。ある。
ような。気が。する。
ってだけのハナシ。

そこらへんのキロ3秒の調節は、
すごいセンシティブな作業だ。
序盤のたった3秒を見誤っただけで
全体総和的に、だいぶ、差が開く。

たったキロ3秒ムリしたばかりに
勝負どころで粘り腰を悪あがきする
その「悪」の気力が残ってなかったりする。

だとしたら、もったない。
というのを見きわめて、残しときたい。
ってことだ。おれはね。

その、見きわめ。



あ、ひとつ言っとくと。

ここでいう「置きにいく」ってのは
「(撃沈覚悟で)ハイペースでツッコム」
とは、似て非なるもの。

そこは覚悟、のもんだい。

最初から全開バリバリでチャンネーの度肝を抜くか
チャンネーがぎりぎり芳しくなさげなときに
いまひとつのぎりぎりを出す余力を残しとけるか。

みたいな感じ。

たとえかたが圧倒的におかしい。
少なくとも、クソホドモテナイ
がするような手口じゃねえな。

クソホドモテナイは、コンディションがどうあれ
最初から全開バリバリしとかなきゃ
道の開きようがねえじゃんか。

は、措いて。

そんなんようなことじゃねえの。と。



考えれば考えるほど、
置きにいくことと、果敢なチャレンジ
のボーダーはむつかしくなってって

その違いは決定的な違いはあるのに
たまによく、わからなくなる。

つたない経験的には
去年ことしの立川ハーフは
「置きにいった」

去年末の足立フレンドリーとかつくばとか
今年1月の赤羽ハーフは
「腕を振りきって、投げられた」

区分すっと。
そういうことになるのかもしれない。



立川、板橋とずいぶんな感じで
置きにいった。

じゃあ、かすみがうらはどうかな。

キクチはいいけど、ヒロシはどうかな?
そんな感じだ。

何を言ってるのか、ひっじょーにわかりづらいとおもう。
何を言ってるのか、じぶんでも理解がしきれない。

んだもの。

でもそのビミョーな感覚でどうすっか。
ってのは、あるよね。