まだつづくのかよ。
の、つづき。
*
「じぶんを信じる」ってどういうことなんだろうか?
「じぶんを信じる」
字面だけだと、大風呂敷を拡げちゃった感じなので
旧日本軍的に、兵站が追いつかない感じなので
縮小に縮小を重ねる。
「マラソン」のハナシをしてるわけだし。
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極論をいえば。
マラソンで。
練習ができていなけりゃいないで
とうぜん、不安は増大する(=じぶんを信じられない)。
じゃあ、練習ができてたらどうかってえと。
やっぱり、不安は尽きない。
「当日に調子がガラッと変わるんじゃねえの?」とか
「練習どおりのじぶんが出し切れるのか」とか。
いくら走り込んでたって
「レースでの42.195k」
ってものへの不安はあるものだ。
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なので。
絶対的な練習量で自信を担保できないならば。
「不安」と「じぶんを信じる」ってのは
切り離さなくてはならないもので。
じゃあ、「じぶんを信じる」ってなんじゃらほい。
って、ハナシになる。
禅問答。
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あ、あらかじめ言っとく。
そんな壮大なスケールな答え、
こんなクソバカにゃ、わっかんねえ。
しょっぼーん、って感じだ。
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おれはそれはじぶんのことなのにまったくわっかんなくって。
フルマラソンを15回も走ったのに
「15回」が多いのか少ないのかもわかんねえが措いて
15回走ってわかんねえんなら、
100回走っても200回走っても
わかんないまんまな気がする。
ということは、わかった。
*
ひとつわかってることは。
走ってみてはじめて、わかる。ということ。
「もうハーフかよ、おんもしれえ!」っておもえたら
じぶんを信じれる度、45%。
「はやく30k地点になんねえかなあ」
(30kからペースアップするぜってジリジリしてる)
って、わくわくできたら
じぶんを信じれる度、65%。
「いま視界に入ってるひと、みんなぶち抜ける」
って37k地点でおもえたら
じぶんを信じれる度、95%。
とかいう、きわめて感覚値。
なんだよ、感覚値って。
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レースは、じぶんをワクテカさせるもの。
「レースはトレースなんかじゃねえ」
って、40k地点でじぶんにわくわくしてぶっとばせる。
それこそが、醍醐味だとおもう。
おれは、ね。
トレースなら、河川敷のペース走でやっとけや。
おもう。
おれは、ね。
わざわざエントリー合戦をくぐり抜け
エントリーフィーを払い
準備した結果が、「想定のトレース」。
そういうの。
脳みそがいっぱいあるひとは、できるかもしんない。
脳みそが足りないおれは、できない。
足りない脳みそを、結果で裏切り隊。
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とかってふうに。
変にアツくなりもせず
しずかーに燃えられる感じが
「じぶんを信じる」ってことなのかな。
おもう。
あいまいだぜイエーーーーーイ。
「じぶんがじぶんを信じれなかったら
いったい誰がじぶんを信じるんだい?」
って、青臭いとこに、帰結する。
とか。たとえば、ね。
*
うっわー。
示唆のビタ一文もねえエントリーになっちった。
でも、おれはじぶんを信じたい。
ということにした。
あす(前日)まで信じたがって、
あさって(当日)は、信じてるとおもいこんで
前だけ、みる。
もうこの根性論的なの、よしたほうがよさげだな。
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。。。
*
まとまりがつかないので。
板橋のかっこうをチラ見せしとく。
あくまで、予定だ。
前ジャーン。
後ろ、ジャーン。
キクチヒロシ(マ)。
こんなネタじみたやつで
ほんとうにいいのか?
勝負。
ランシャツでキメたほうがいいんじゃねえのか?
当日の朝まで、悩んどく。
こんなネタじみたやつを
まじめに信じれたら、
当日は迷いなく、これでキメるショゾン。