キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

クソ辺境だてらにたったひとつ、気をつけていること

「クソ辺境、ネタにタブーは設けねえ」
かつて、そんなことをほざいた気がする。
ほざいてない気もするが、措く。

基本的に、その想いに変わりは、ない。

プライベート面。
仕事のことや身内のことをガンガン取り沙汰してるし
ヒトサマをあげつらって
「お会いしたときに直接いえよ」
的なことをコソコソ、カマしたりもしてる。


むしろ。
マラソンがらみのネタが多めになっちゃって。

まあ、それは長い目であとからみたバヤイ。
「あのころはマラソンだったのね」
ってことでいいのかもしんないが。

とくにさいきん。

ブログつながりの内輪ネタばかりになってる
ということに、少しだけ
危惧をキグキグしてる。

キグチヒロシ。



なんていうかね。。。

こういう吐いて捨てる系のギャグもどき。
言う前にすでに後悔してる。

にもかかわらず、無反省でコウ、垂れ流すとか。



特定のひとを軽くディスるようなことだって
暗にわりと書いたりしてる。

そりゃあ、そういうのはいくない。
きまってる。
わかってる。

なもんで、リスク的にサイアクの事態も
覚悟しつつ、で。

てめえに対するエクスキューズ。な。



そんなの、ネンジコバヤシ状態で。
ネンジコバヤシの頭頂部みたいなもんで。

浪花のモーツァルト、キミマロ、オグラ
ほどのエンターテインメント性もないまま。

じぶんはガチで「暗に」っておもってるケド
誰にもバレてないっておもってるのはおれだけで。
ジツはおれ以外、みーんな百もガッテンショーチ。

なのかもしれない。

まあ、そんなのどうでもいい。
どうでもいくない。

どっちだよ!



あるいは。
ある対象をボカしてディスったつもりが
ボカしかたがクソへったくそで
まったく無関係なひとに「おれ、ディスられてる?」
って勘ぐられちゃう(実話)的な。

いずれにしろ、
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ
なんだが。



ただ。
なんである。

タブーは設けねえ、などとイキりつつ。
そんななかでも、気をつけてることがある。

気をつけてるからって、
でけてるかどうかはともかくとして。

「なんらかのテヘを据える」
ということだ。

せめて後味はわるくしたくねえ、と。
ATAG、と。



小説なり映画なり。
たとえむっちゃくちゃ不幸だったり
スプラッタだったりしたとしても。

それで終わっちゃったら救いがないじゃないすか。

救いって、受け手にとってのカタルシスで。
適切なタイミングと量で
カタルシスがくばられることによって

全体総和っていうか、いろいろ丸く収まる。

すげえ厳しい上司と、
すげえダメな新入社員がいて、
めったくそにダメ出しするんだけど。

「ま、ちょっと反省会しよか?」
って、酒でも飲まして
「ま、明日からまたがんばろうぜ!」
ってやる、的な手口。

手口って、言葉選びが決定的に間違ってるぞ。
は、措いても。



で、だ。



何を言いたいかというと。
サッコン。ここ10日ぐらいかな。

「きょうはどんなつまらねえこと書こうかな(おんぷ)」
って、いつものように考えてて。

「おれの一番の関心事は何だろう?」
ってって。

真っ先におもいつくことが
ネガティブ方面のことばっかで
あまつさえ、救い的な部分が、ねえ。

そんなもん、ヒトサマにさらすに値しないし
なにより、書いててもおもしれくねえ。と。



「走る」ということが
わりと生活の大きいパーツになってるきょうび。

「仕事が楽しい」
「走ってて楽しい」
「家庭が楽しい」

ってのがうまくまわることによって
生活の好循環を産む。

みたいなことになってる。



あ、まぎらわしいからはしょって
2つにしようか、事象は。例として。



「仕事楽しい←→うまく走れてる」
がうまく循環してると、生活がうまく循環する。

逆に。
仕事忙しいフリだと、
走れなくなってバランスが崩れるし

うまく走れないと、仕事もリズムに乗りきれない。

とか、そういう感じ。



きのうとか。
「走る」のリズムがちょっとおかしくって
全体がうまくまわってない。

救いの部分がない。

ポジティブなネタが思い浮かばんかった。
じゃあ、ものしても、意味ねえ。

というのが、クソ辺境を更新しなかった理由。



ええええええっ!

さんざっぱら連ねといて。
もっともらしいことほざいてひっぱって。

「オチ=きのう更新しなかった理由」

ええええええっ!
アゲイン。

いうほどまいんち更新してねえのになっ!