マラソンを走ることが、すきだ。
超一流のせんしゅたちが走ってるさまを
テレビでみていることもおんなじぐらいすきだが。
じぶんが走ってることもおんなじぐらい、すきだ。
*
って冒頭から、すきすき言ってるわりに。
舌の根も乾かぬうちに。
すきかきらいか、どうでもいいか、もはやわからない。
ぶぶんも、ある。
6年弱、断続してきたので。
たまーに、いぶかしむ。
「じぶんは、ほんとうは、走ることがきらいなんじゃないか?」
*
思考がいろんなとこを行きつ戻りつして。
そのうち、考えるのもめんどくさくなって。
けっきょく。
「やっぱ、すきってことにしとこう」
「おれ、すきなのかも」
に、帰結する。
そういう意味では
結婚生活、ときわめておんなじ。
。。。
なんだよ「きわめておんなじ」って。
でもそういう、帰結する。
*
すきな理由は、いくらでも考えられる。
おんなじくらい。
きらいな理由も、いくらでも考えられる。
ので、わりとどうでもいい。
どこに帰結したか。
というジジツだけがジツは重要で。
「きらい」に帰結したら、やめちゃえばいいじゃん。
ってだけのこと。
*
マラソンをおれがすきな理由は。
「おれがマラソンをすきな理由は」でも、どっちでもいいんだが。
結果がわりとピュアに真実な、ところ。
その責任がピュアに、じぶんじしんにしかない、ところ。
そういうことって、
ふだんの生活でそんなにないよね。
な、ところ。
ふだんの生活。
くらしだって、仕事だって。
責任の所在ってのは、わりとあいまいで。
いざとなりゃ。
何らか誰か、手を差し伸べてくれたりすんじゃん。
で、けっきょく。
なんとかなっちゃったり、すんじゃん。
ってことと、真逆。
*
マラソン。
結果がいいときはともかく。
よくないときってのが、わかりやすくて。
よくなかった理由はいくらでもおもいつく。
「ここをこうやりゃよかった」
たとえば。
前半とばしすぎた。
後半のキツイときに、日和っちった。
としても。
前半とばしすぎたのは、何らか理由があって。
そのせいで、後半へばっちった。
のは、ただの結果で。
「よくなかった結果」に対して責任を負えるのは、じぶんだけ。
後半キツイときに日和ったのも、何らか理由があって。
「もうちょっとがんばれたかな」
とおもったとしても。
それはただの結果で。
そのときはそのときで、それなりにがんばってたはず。
ただ、「よくなかった結果」に対して責任を負えるのは、じぶん。
しかいない。
*
かたや。
「でも、こうがんばれた」
って救いもある。
そこに救いを見いだせるのは、じぶんだけだし。
*
対外的にエクスキューズをする。
「さいきんおもうように練習でけてなかったし」
だとしても。
さいきんおもうように練習でけてなかった、からのきょうの結果。
に責任を負えるのは、じぶんしかいない。
あるじゃん。
対外的なエクスキューズがどんなにそれらしくても。
それでほんとうに納得できてるのかは、
やっぱりじぶんにしかわからない。
ところ。
エクスキューズが対外的にうまくハマればハマるほど。
逆にじぶんに正直に向き合える。
じぶんはちゃあんと、わかってる。
おれは別にかまわないケド、KIKUCHIはどうおもうのかな?
って、ところ。
YAZAWA。
*
きょう、やれることはきょうやる。
きょう、やらなくてもいいことは、明日やればいい。
明日、やらなくてはいいかもしれないけど、きょうもやっとく。
明日、やらないだろうし、きょうもやらない。
4ヶ月後なんか、まだまだ先だし。
なんだが。
どういうパターンにせよ。
4ヶ月後、の結果に対する責任は
じぶんにしか、負えない。
じぶんにだけ負うことが、でけるっ。
わかったから。
わかったから、きょうはきょうのじぶんがでけることだけ、やっとく。
負いますってばだからさ。
でも、見てろよ。
きょうのじぶんと明日のじぶんと4ヶ月後の、じぶん!
っていっちゃってみたりなんか、しちゃったりしてね。
*
マラソンをおれがすきな理由。
あるいは。
おれがマラソンをすきな理由。
そういうとこ。
みたいなんだぜぽえむ。