キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ブログの文字数とかのことを、性懲りもなくつづけてみる

番外編。

って、なんの番外だっていう。
おめえ自体が番外じゃんか、っていう。

というわけで。
どういうわけで? は措いても。
そこらへんのおれの考えを、あらためてまとめてみる。



あのう。
こんなことをおっしゃるかたがいて。
文字数って重要!?

それに対しておととい、クソ辺境でコウしてみたら。

こんなことをおっしゃるかたもいて。
ブログの文字量問題~なぜオレは長文を書くのか~。



おとといのエントリーで
「文才」なんて途方もない言語を持ち出したが。

エラソーに評論家をきどると。
とある村じゃ、圧倒的に文才のあるかたが何人かいて。

それをおれは
両頭政治だか三羽烏だか四天王だか
五人囃子だか六歌仙だか三十六歌仙
って、ココロのなかで勝手に呼んで読んで
リスペクトしてんだケド。

ちっきしょー、かなわねえ!
おれなんか足許にもおよばねえ!
って、日々ジクジしてんだケド。

それがどなたかってのは、
上のやり玉(?)に挙げたおふたかた以外
何か媚びてるみたいな感じになっちゃうので
カツアイすっケド。



だいたい読んでりゃ、わかるよね。そういうの。
「おめえにとって『マラソンカテゴリー』はただのツールだろ。
そりゃ、どこにいってもおもしれーよ」
っての。

で、早く本題に入りやがれってハナシで。



たとえば、上記「やり玉」のおふたかた。

共通点を挙げる。
これは、このクソ辺境でも心がけてること。
このクソ辺境ができてるかどうかは、ともかく。

○一文が短い。
○ムダな接続詞がない。
○改行や行アケにすげえ気をくばってる。

この3点。
カンペキ。

エントリー自体の長さを感じさせないとか
そういうことを言いたいらしいんだケド、おれはここで。



公開してる以上、
「読んでもらいてえ」っていうスケベ心はあるもので。

表題(タイトル)のつけかた、
企画力、
文章力、
ってのは前提としてあるのは措いて。



たとえば。

やたら一文が長いのって、やだし。

「なんとかだケド、なんとかで、なんとかもあって」
って、おめえはナニ言いたいんだねってうんざりしちゃうし。

開いたしゅんかん、
うっお、クソ長え。めんどくせえ。
っておもわれたら読んでももらえないし。



あらためて、言う。
「このクソ辺境ができてるかどうかは、ともかく」



100行書いたら、「ん。書いたな」って感じになる。
(中略)
たくさんのことを書いていれば、
どっか一か所くらいは、オモロイなと思ってもらったり、
共感してもらえるかもしれんっていうセコイ理由もあるw
てのもけっきょく。
上の3点ができてるから
読んでもらえるわけで。



あらためて、言う。
ゴタイソーにエラソーだがきょうは、
評論家目線ですから。



アプローチは逆だけど、これもおんなじで。
僕はある程度文字数を決めている。
それは1000文字から1200文字。

「1つのハナシをちゃんと展開するには
最低600字、要る」
って、駆け出しのころ、言われたことがある。

「そこにいろいろ含めると
原稿用紙3~5枚でことたりる」
って、言われたこともある。

「300ページの単行本1冊書くにしても
600字1セットを積んでけばいい」
って言われて、ほほうっておもったこともある。

そういう感じ。



おれは、おとといのくり返しになるが。

文字数は決めてない。
じぶんがマンゾクすることが最優先なので
(ウジウジこねくりまわしたいドロリッチなので)
ムダに長く、なる。

ただその。一文の短さ、改行、行アケ
みたいなことは、気をくばってるつもり。

「ネタが圧倒的につまんねえじゃんか」
は、措く。措きまするぞ。



。。。



あと、あのう。
ブログってものを「メディア」として考えたバヤイ。
おれがずっとおもってることを言ってもいいすか。



ブログってのは。
というか、
「わりとひんぱんに更新される」ブログってのは。

しょせん、日々、流れてくもんで。

たとえば。
誰かのブログをみるとすんでしょ。
でも、それは最新更新のエントリーをみるわけでしょ。
それでジャッジがくだるわけでしょ。
仮に、その1分前に上げた直前のエントリーが、歴史に残るぐらいのものだったとしても。

その、無常観、というか。
しょせん流れてくもんじゃん観。

ブログってメディアの性質だから仕方ないケド
じゃあアーカイブしてる意味、なくね?
という。



そういう意味ではブログって、放送と似てるのかもしんないね。
そういう意味では、おれの性質と逆かもね。

では。