キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

見えてくる風景

「2時間50分を切ったら
いままでとは違う風景が見えるかもとおもって
がんばって走ってみます」

と今年のはじめ、友人が言ってた。
マラソンのハナシだが
マラソンのハナシ、ではない。

オチを先に言っとくと
「風景は何も変わりませんでした」



「見えるかもとおもって」を聞いたのは、
SNSだかメールだか記事だか直接話したんだか忘れたが
とにかく、どこかで聞いた。



そのひとはサブスリーランナー。

数年前ひょんなことで知り合った。
そのときすでに、2時間55分だかで走ってるということだった。

その後、PB(自己ベスト)を更新するのとは
違う方向性で走りつづけてたらしいんだが
昨秋から今年にかけて、ふたたびサブスリーを連発。

スゲーっ! てんで
ひさびさに連絡をとったところ

「最近なんだか調子いいので
東京マラソンでは40分台めざします」
と返事があった。

ハタからみて、そのレベルで
PBをいきなり5分以上縮めますって
なんて強気なんだ、と感じた。

のがショージキなところ。



で、東京マラソンで、2時間43分。
「40分台めざします」どころの騒ぎではない。

祝杯あげましょうということで
3月にしこたま飲んで語った。
「どんな風景が見えました?」
と訊いてみた。



あー、前説明、長え。



カレのケツロンは
「けっきょく何も変わりませんでした」。

ものすごいことを言うひとだな
と、おもった。



おれは今回、かすみがうらで
3時間11分で走ったことで
いままでとは違う風景が見えてきた。

「ドシロートとしてはまあ、
遅くはないよね。速くもないケド」
って部類にはきたからって
上から目線でエラソーに言ってるわけじゃあ、ない。



そんなもん、
サブ3.5(3時間半切り)のときも
サブ4(4時間切り)のときも
初めてフルマラソンを完走したときも

もっというと
ジョグを始めて、それが習慣化してきたときも
違う風景が見えたですよ。



おれが見た「違う風景」
というのは、目線の高さ。

例えば、
1キロを5分で走るって、ひとつ
ものすごく高い壁だ。
「そんなペースで走るなんて、とてつもねえええ」
と最初はおもう。

でも、
サブ3.5(キロ4分58秒)を達成したしゅんかんから
キロ5はじぶんにとって
「アタリマエのペース」になる。

「おれ、3時間20分台だもんね」
っていう目線になる。みたいな。

あくまで考えかたのオハナシ、ね。



例えば
高校生になったしゅんかん
中学生のことを「中坊」と言い出すヤツって、いる。

「テメー、1ヶ月前までソレだったじゃんか!」
なんだケド、

そのテメーさんは目線がすでに高校生、
中学生の次のステージにいってる。
とおもえば、合点がいかなくも、ない。
みたいな。



かすみがうら前のPBは3時間17分。
3月の板橋ではじめて3時間20分を切った。

そのとき
3時間10分台の風景は見えたが
3時間15分の風景はまだ、まばゆすぎて見えなかった。
あとたった2分、にもかかわらず。

3時間11分に縮めたいま、3時間15分は
「アタリマエの風景」になった。

とくにいま調子に乗ってるときなので
3時間ヒトケタの風景もそうまばゆくなく
見えている、つもり。

なんだケド、実際3時間ヒトケタではないので
なってみたら、見えてくる風景は
いまの「つもり」とは違ってるのかも、しれない。



さて、2時間43分さんの
「けっきょく何も変わらない」

カレの目にいままで、どんな風景が映っていて
2時間40分台に、どんな風景を期待してたんだろう?

わからない。

「資産100兆円で、フッカフカのソファで
いつも両手両足にギャルをはべらせウッハウハ」

を期待してたのに、実際は

「資産100兆円ぽっちで、ギャルなし」
だったのかもしれない。

あるいはカレの指す「風景」が
ものすごくムズカシイ哲学的なコト
なのかもしれない。

わからない。が

少なくともおれの「目線の高さ」
とは異なる意味合いであることは、マチガイない。
いったいなんなのか。
ものすごくキョーミ、ある。



今度会ったら訊いてみようかな。

いや。
もしムズカシすぎたら
足りない脳ミソがかならず沸とうしちゃうだろうから
やっぱ当面、ナゾはナゾのままで。