「2時間50分を切ったら
いままでとは違う風景が見えるかもとおもって
がんばって走ってみます」
と今年のはじめ、友人が言ってた。
マラソンのハナシだが
マラソンのハナシ、ではない。
オチを先に言っとくと
「風景は何も変わりませんでした」
*
「見えるかもとおもって」を聞いたのは、
SNSだかメールだか記事だか直接話したんだか忘れたが
とにかく、どこかで聞いた。
*
そのひとはサブスリーランナー。
数年前ひょんなことで知り合った。
そのときすでに、2時間55分だかで走ってるということだった。
その後、PB(自己ベスト)を更新するのとは
違う方向性で走りつづけてたらしいんだが
昨秋から今年にかけて、ふたたびサブスリーを連発。
スゲーっ! てんで
ひさびさに連絡をとったところ
「最近なんだか調子いいので
東京マラソンでは40分台めざします」
と返事があった。
ハタからみて、そのレベルで
PBをいきなり5分以上縮めますって
なんて強気なんだ、と感じた。
のがショージキなところ。
*
で、東京マラソンで、2時間43分。
「40分台めざします」どころの騒ぎではない。
祝杯あげましょうということで
3月にしこたま飲んで語った。
「どんな風景が見えました?」
と訊いてみた。
*
あー、前説明、長え。
*
カレのケツロンは
「けっきょく何も変わりませんでした」。
ものすごいことを言うひとだな
と、おもった。
*
おれは今回、かすみがうらで
3時間11分で走ったことで
いままでとは違う風景が見えてきた。
「ドシロートとしてはまあ、
遅くはないよね。速くもないケド」
って部類にはきたからって
上から目線でエラソーに言ってるわけじゃあ、ない。
*
そんなもん、
サブ3.5(3時間半切り)のときも
サブ4(4時間切り)のときも
初めてフルマラソンを完走したときも
もっというと
ジョグを始めて、それが習慣化してきたときも
違う風景が見えたですよ。
*
おれが見た「違う風景」
というのは、目線の高さ。
例えば、
1キロを5分で走るって、ひとつ
ものすごく高い壁だ。
「そんなペースで走るなんて、とてつもねえええ」
と最初はおもう。
でも、
サブ3.5(キロ4分58秒)を達成したしゅんかんから
キロ5はじぶんにとって
「アタリマエのペース」になる。
「おれ、3時間20分台だもんね」
っていう目線になる。みたいな。
あくまで考えかたのオハナシ、ね。
*
例えば
高校生になったしゅんかん
中学生のことを「中坊」と言い出すヤツって、いる。
「テメー、1ヶ月前までソレだったじゃんか!」
なんだケド、
そのテメーさんは目線がすでに高校生、
中学生の次のステージにいってる。
とおもえば、合点がいかなくも、ない。
みたいな。
*
かすみがうら前のPBは3時間17分。
3月の板橋ではじめて3時間20分を切った。
そのとき
3時間10分台の風景は見えたが
3時間15分の風景はまだ、まばゆすぎて見えなかった。
あとたった2分、にもかかわらず。
3時間11分に縮めたいま、3時間15分は
「アタリマエの風景」になった。
とくにいま調子に乗ってるときなので
3時間ヒトケタの風景もそうまばゆくなく
見えている、つもり。
なんだケド、実際3時間ヒトケタではないので
なってみたら、見えてくる風景は
いまの「つもり」とは違ってるのかも、しれない。
*
さて、2時間43分さんの
「けっきょく何も変わらない」
カレの目にいままで、どんな風景が映っていて
2時間40分台に、どんな風景を期待してたんだろう?
わからない。
「資産100兆円で、フッカフカのソファで
いつも両手両足にギャルをはべらせウッハウハ」
を期待してたのに、実際は
「資産100兆円ぽっちで、ギャルなし」
だったのかもしれない。
あるいはカレの指す「風景」が
ものすごくムズカシイ哲学的なコト
なのかもしれない。
わからない。が
少なくともおれの「目線の高さ」
とは異なる意味合いであることは、マチガイない。
いったいなんなのか。
ものすごくキョーミ、ある。
*
今度会ったら訊いてみようかな。
いや。
もしムズカシすぎたら
足りない脳ミソがかならず沸とうしちゃうだろうから
やっぱ当面、ナゾはナゾのままで。