キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

それだけ貢献したってこと

去年の11/18の昼ちょっと前、イトコの典ちゃんが亡くなった。
まだ40代。
幼いころ、さんざん遊び相手をしてくれた
憧れの、優しいオニイサンだった。

何年か前から患ってて、
秋ぐらいからほんとうにヤバイと聞いてはいた。
なんとなく心の準備はしてたけど、
そんなもん、
準備してりゃいいってもんじゃない。じゃんか。

というわけで、
うっかり年を越して四十九日も過ぎてしまったが、
典ちゃんのこと。




あのう。
いつにも増して極私的なエントリーなので、
とりあえず結論を先に言っておく。

それだけ貢献したってこと。
表題のとおり。



典ちゃんはおれの知るかぎりのむかしから、ものすごく優秀なひとだった。

日本でいちばんノーベル賞受賞者をだしてる学校を出て、
理系のくせに(?)文系社会な生命保険会社に入り、
得意の数学を活かしてアクチュアリーっていう保険業界のすごくむずかしい資格を取り、
外資系の会社にうつって、
軍師的な立場で経営陣をバックアップする立場まで昇っていた。

激務のかたわらで、アクチュアリー試験の問題作成にもかかわっていた。



でも典ちゃんは、じぶんのことをあんまり話さないひとだった。
自己顕示欲なんてもんは、かけらも見られないひとだった。

なんていうかふつう、
じぶんが何か手柄を立てたら、
誰かに話したくなるもんでしょ。

別に鼻にかけて自慢する、とかじゃなく、
たまに会う親戚とかひさしぶりに会ったひとに、
「いまアタシはこうやってがんばってるよ」
と、名刺代わりに。

わかりやすいし、手っ取り早いし。



去年の3月に旅立ったイトコは声優をしてた。
会うたびに近況を聞いてた気がする。
本人からでなくても、活躍ぶりは伯父伯母から聞ける。
「へえ、あの声は毅くんだったんだあ」
みたいなことも、たびたびあった。

そういう話を聞けば実利的な応援は何もできないケド、心のなかで声援は送れる。
なんのカタチにもならないケド、「おれもがんばろう」って勝手に刺激を受ける。



おれとて、身内に会えば最近につくった制作物を見せることもある。

1文字1兆円とかいう格安のギャラだとかは関係なく、
近況報告として。

実利的な応援は何もないケド、
「なんだかよくわからんがヒロシもがんばってるんだね」
と言われれば、なんだかよくわからんがもっとがんばろうとおもう。

声とか出版物とか、
成果がカタチに見える仕事はトク、ですな。



なかなか表題にたどりつかないケド、
もちょっと。



ことほどさように、自己顕示欲。
ってのは、誰でもあるもん。

そもそもこんなこと、
オフラインの日記にでも書いてりゃいいのに、わざわざブログでさらす。
みたいな。

でもこれは、けして自己顕示欲的に
おれがものすごく旺盛だから。
ってわけでもない。

と。
おもう。



典ちゃんはそういうの、
いっさいないひとだった。

冒頭、典ちゃんのアウトラインを挙げたなかで、
生前から知ってたのは、

いい学校を出たこと、
いい会社に入ったこと、
外資系に転職したこと、

だけ。

典ちゃんの母親(おれの伯母)も、
「典之が転職したらしいんだけど、
こんな不況で、ダイジョブかしら」
ぐらい知らなかったし、親として心配ばかりしていた。

「おっかさに言ったってどうせわかんないんだから、言わない」
とのことだったらしいんだがつまりそれは、
プラスなことはともかく、おんなじくらいの頻度で訪れるであろうマイナスなことも、すべてひっくるめて独りで併せ呑みまっせという、

典ちゃんの強さ優しさだったんだろう。



コレ。
性善説のカタマリみたいな、おれの勝手な解釈なので
本人がじっさいどう考えてたかは知らない。
死人にクチナシっていうじゃん。

というか、
死人にクチナシって遣い方おかしいし、
不謹慎臭もぷんぷんするんだケド、
まいっか。



典ちゃんには、
誰もがうらやむっていうか、むかつくぐらい
ビジンさんな嫁さんがいる。

誰もが、から、ぐらい、までは省略可。ね。

ずっと近くにいたそのむかつくぐらいビジンさんな嫁さんさえ、
最近まで仕事のことはよく知らなかったと言ってた。
「休みの日に家で土いじりをする、
ごくふつうのパパだった」
と、言ってた。

省略可、省略してねえ。



典ちゃんの葬式。
というか、葬儀。通夜と葬式。

祭壇には、そりゃあそうそうたるメンツからの献花があった。
伯母も嫁さんもそんな感じだから当然、
おれを含めた親戚連中は、葬儀ではじめて
典ちゃんの来し方を知った。

その活躍というか才気は
想像をはるかに超えるものだった。



典ちゃんは、そんなにがんばってたんだねえ。
あんなこともこんなこともしてたんだ。
一社員の訃報ではとうてい来ないような階層のひとたちまで参列してるゾ。
うわー、典ちゃん、すげー。

親戚みんな、そんなことを話してた。



やっと主題。表題。

親戚たちがそうやって献花や参列者の名前にびびり倒してるなか、
遺影と献花をながめながら、
ひとりの伯父がポツリと言った。

「典ちゃんは、それだけ会社に貢献したってことだよね」



「うわー、典ちゃん、すげー」などと
故人を讃えるていで
目の前にある現象だけをみて
ほざき散らしてたおれは、ハッとした。
おのれの浅慮ぶりに、顔から火が出た。

1つひとつのエピソードがもんだいではない。
つまり、そういうことなんだ。



葬儀にすごいメンツの献花や参列があったのは、
なにも、
いい大学を出たからでも、
むずかしい資格をとってたからでも、
ただたんに仕事がデキルからでも、ない。

それだけ貢献したってこと。

典ちゃんもすげえが、伯父も、すげえ。
伯父がどういうスタンスで仕事に取り組んでいるのかも、
そのひと言でよおくわかった。

親戚のことなんで手前ミソだが。
頭がいい人ほどえてして、アウトプットは易しくてわかりやすい。

まさにコレがソレ。
まさに、手前ミソ。



貢献。

入院中はまいんちひっきりなしに
同僚が見舞いに来てたんだ、そうだ。

おれの知るかぎりの典ちゃんは、
すごく社交的というわけではなかった。
どちらかというと
「学校にいるみんな、おれのトモダチ」というより、
「ほんとうに気の合った人と、深く付き合う」
タイプ。

からの、
「入院中はまいんち、ひっきりなし」。

後進の育成にも熱心だし、部下がミスったときは、責任をすべてひっかぶってフォローしてたんだ、そうだ。
ナルホド。



こんなとこに上げちゃっていいのかどうか知らんが、
かつて、会社案内に載ったときの典ちゃん。
嫁さんが葬式に持ってきてくれたのを、激写。
クリックすりゃ、拡大もしますわな、そりゃ。
noriyuki



ここでやめようとおもったケド、
もちょっとつづける。




おれにとっての典ちゃんは、
幼いころさんざん遊び相手になってくれた
やさしいオニイサン。

冒頭のくりかえし。

どんないい学校出ようと、
どんないい会社に入ろうと、
どんなすげえ資格とろうとそんなもん、
まったく、関係ない。

まったくおんなじイメージ。
まったくおんなじ距離感。
かわらず、憧れの存在。

いまおもえば、あのころ典ちゃんは
中学生だか高校生。
いちばん多感な時期によくこんな
ガキンチョを相手にしてくれたもんだ。



「まったく、関係ない」はウソ。
関係なくない。

関係なくないエピソードを、3つ。

3つも。
いい加減長いが、もちょっと。
内容が一部、ツイッターとかぶるが、もちょっと。

空前の「もちょっと」ブーム来たれり、
ですな。



就職活動で、典ちゃんが上京してきたことがあった。
わが家で飯を食ってるとき、
「ヒロシ、国立は待遇が違うぞ。国立はいいぞお」
って、さかんに言う。

中学生だか高校生のおれはまに受けて
身のほどもわきまえず、国立大学を目指し、順調に、滑った。

そもそも典ちゃんと違って
数学ニガテだし、ベンキョー、キライなのにな。

おのれ。
ド・バルザック。

と、そこはかとなく知的っぽい
アンクルなウィットでも挟んどくか。。。



典ちゃんのおばあさんが亡くなったとき、
おれはいまの仕事を始めたばかりだった。
典ちゃんのおばあさんは、伯母の嫁ぎ先のしゅうとめ。
おれとは血のつながりは、ない。

んだけど、
おれのことを赤ん坊のころからすごくかわいがってくれたし、
おれもおばあさんのことが大好きだった。

そういう、
たっぷりな思い入れと、ほんのちょっとの自己陶酔が夢の共演を果たし、
じぶんがつくった記事の紙っきれを棺に入れさせてもらった。



葬式一連が終わり、飯を食ってると
典ちゃんがサササと寄ってきて、
「ヒロシ、すごい仕事をしてるんだね。おばあさも喜んでるよ」

「アンタみたいな秀才のほうが、100万倍ぐらいすげえ仕事してんじゃねえか」
は胸にグッとしまいつつ、
ふだん口数の少ない典ちゃんがそう言ってくれたことは、大げさでもなんでもなく、いまでもこの仕事を続ける自信になってる。

典ちゃんの訃報を聞いたとき、まずおもい浮かんだのはコレ。



典ちゃんとのお別れの日は、11/24。

かたやここ数年、
おれがなによりもはまっているのは、マラソンを走ること。
1年に3本ぐらい走るなかで、
最大の目標にしているのは、つくばマラソン。

で、今年は11/24。
その当日だった。

今年は6月から準備をはじめ、
絶好調な感じで最後の調整に入っていた。
この調子でいけば、よゆうで自己ベストを出せる。
という感触。

煙突から立ちのぼる典ちゃんの煙は
おれの自己ベストも持ってっちゃった。

おのれ。
ド・バルザック(2回目)。

マラソンにそなえてたくわえてた、
190分走るエネルギーを全開にして、
立ちのぼる煙を送り出した。つもり。

おのれ、なんかであるはず、ない。



とまあ、
2013年は-2億点な1年だった。

3月に毅クンがいなくなり、-1億点。
11月に典ちゃんがいなくなり、-1億点。

ふだん、-1とか+1をかき集めて生活してる。
「ジョーダマチャンネーを目撃→+1点」
「リフジンな要求を呑まざるをえない→-1点」
というぐあいに。

で例年、1年トータルするとだいたい、
プラマイゼロ付近に収まるもの。

いままでいちばんうれしかったことでも、+100点ぐらい。
おととしまででいちばん辛かった父の死も、-99点ぐらい。

この齢でイトコ階層を喪った衝撃は
そんくらいケタ違いだった。

こんな最悪な1年、もう二度とないだろう。
あったら、困る。
2014年はいい年にしよう。



おれは150歳まで生きる。
と決めつけた。

実父は64歳で亡くなったので、
この8年間、「じぶんの寿命は64マデ」
と決めつけて生きてきた。

でも考えが変わった。

平均寿命が80年とすると、
毅クンはあと43年、
典ちゃんはあと32年、少なくとも生きれたはず。

64+43+32
算数ニガテなので、キリよく150歳。

2人のぶんまでなあんて
おこがましいことを言うつもりはない。
2人の天寿が太く短いものだったとすれば、
おれはとことん細く長く生き延びてやろう。

と、決めつけた。

もしちょっと挫けて120ぐらいでくたばっても、
どうせそのころにゃいま生きてる親戚は誰もいやしないし、
わかりゃしねえだろう。



ああでもないこうでもないと書き直すうち、
四十九日はとっくに過ぎてしまった。

もう銀河鉄道を下りただろう。
どの停車場で下りたんだろうか。

ほんとうに大切なひとを喪った。
典ちゃんにはだいぶ、世話になった。