キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

毅クン

3/10の未明、いとこの毅クンが急逝した。
ほんのちょっとのアンラッキーがたまたまおんなじタイミングで積み重なった、この上ないアンラッキー。

それからずっと、
「彼のことを何か書かなくてはなあ」と
おもいつづけていた。

下書きを書いては消し書いては消し
してるうちに、もうすぐ四十九日。

というわけでそろそろ、いとこのことを書く。
おれ自身の気持ちに一区切りつける意味も、チョットだけ。



まず、かんたんにおれとの関係性。

・くり返すが、いとこ。
・おれの母のすぐ上の兄の長男。
・齢が1つしか変わらないので、特に子どものころ、盆暮れに親戚で集まるとよく遊んでた。
・オトナになってからは、実はそんなによく会っていたというわけではない。
・が、冠婚葬祭はじめ、お互いに長男として強く意識しあいつつ接してた。

ほか、
「ヤクザな仕事」という共通点もあり
こっちが勝手に意識して、
折に触れ刺激を受けたりしてきた。



「ところでおまえ、まったく長男キャラじゃないじゃんか」
わかってますって。。。



さて、何を書こうか。

彼にかんする記憶を連ねたところでそんなもん、
安い自慰行為にしかならないし、
だいたい、彼の家族がずっとたくさん、ずっと深いものを持ってる。
おれがしゃしゃり出る幕は、ねえ。

かといって、
社会人になってからの道のりは、
検索すればいくらでも出てくる。

いちおう補足すっと(↓)。

身に覚えは無いが、心当たりは沢山ある。(ブログ)
滝下毅(ウィキペディア)

ということでここでは、
彼の人となりを表す
「なるべくおれオリジナル」な
エピソードをいくつか。



おととしの秋、
こんなメールのやりとりをした。
いちおう、いきさつを補足しておくと、こういう(↓)。

・毎年秋のつくばマラソンに出るとき、いつも茨城にいる伯父(毅クンの実家)に世話になってる。
・ところが2011年のつくばマラソンの直前、伯母(毅クンの母)がちょっと体調を崩した。
・さすがにその年は遠慮しようとおもったが、伯父伯母はウエルカムといってくれた。
・いろいろ考えてけっきょくお世話になることにした。で、いちおう、(東京に住んでいた)長男である毅クンにコンセンサスをとったほうがいいかなと考えて、メールした。

まずはおれから。
ごぶさたです。奥さんともどもお元気ですか?
おじいさんの米寿のとき教えてもらったメアドが生きてるか分からないので、とりいそぎこちら(※補 ライブドアブログのメッセージ欄)から。

先日、おばさんのことを母づてに聞きました。
毅くんもいそがしいところ、奔走していると聞きました。おつかれさまです。

(中略)

そんなわけで、マラソンを口実に、今度の土日におじさんとおばさん、それとおばあさんに会いに行かないと、とおもってます。
もし毅くんが「そんなこと、とんでもねえ」とおもうならやめますが、いちおう了承してもらえればうれしいなと考えてます。
が、どーでしょ? とりあえず。

毅クンからの返信。
受信日時2011.11.23 01:04:09

お久し振りです。
マラソン大会にエントリーされるとの事なのでお元気そうですね、何よりです。(…まさかのフルですか?)

母の件、お心遣い有り難うございます。
私は今週末茨城に戻ることは出来ませんが、是非遊びに来てください。
まだ色んな事が始まったばかりで、我々もどんな事がどこまで起きるのかすら分からない状況です。
ただ今回の件に関係なく、今後ともこれまで通りお付き合い頂けるという事が一番ありがたいと思っておりますので。

相変わらず掃除は行き届いておりませんがw、ゆっくりしていってください。
無事の完走、お祈りしております!

追記
携帯の番号とアドレスです。
090-****
*******@docomo.ne.jp

返信は、1時間後ぐらい。
夜中なのにあまりの即レスに、ビビった。
ただ今回の件に関係なく、今後ともこれまで通りお付き合い頂けるという事が一番ありがたいと思っておりますので。
がいかにも彼らしい。
社交辞令ではなくいつも、そんな感じだった。

7年前におれの父が亡くなったときは、
チャリでわが家にすっ飛んできてくれた。
ほんとうにうれしかった。



メールの末尾にケータイとアドレスを付けてくれたのは、
おれが送信したメールの冒頭、
おじいさんの米寿のとき教えてもらったメアドが生きてるか分からないので
を受けてるんだろう。

万事、こういう
嫌味なくソツがない感じ。

同窓会なんかに出ると、ごくたまに、
「コイツ、仕事もそうとうデキるんだろうなあ」
とおもわせられるヤツがいる。

オトナになってからの毅クンは
まさにそんな感じだった。



長男として強烈なリーダーシップを発揮、
弟たちをぐいぐいひっぱってたことで、
家族から「暴君」と呼ばれてたという。

暴君の圧政。
「でもそれがイヤだとおもったことは一度もなかったんだよねえ」
と「圧政に耐える民衆」こと弟たちが通夜で言ってた。

そんな感じ。



家人が毅クンとはじめて会ったのは、
おれの父が亡くなったとき。

家人は「茨城のおじさんのとこの長男」
という情報だけを持ってた。

毅クンは家人に
「ウチは男ばかり4人兄弟なんですよ」
からはじまり、
自分の弟たちをこうやって紹介した。
「すぐ下の○○○は4人のうちでいちばんハンサムで、
3番目の○○○はいちばんラグビーがうまい、
いちばん下の○○○はいちばん頭がいい」

おれが「じゃあ、毅クンは?」と訊くと、

「いちばん背が高いっ!」と。
そういう、暴君の圧政。



あと、上記した毅クンのブログから。
おれはこのエントリーが、大好きだ。
3.11 楽屋から(2012/03/11)

所詮、舞台です。

無くて困る事もなければ、社会的必要性も言うほど高くはない。
それでも今日も、そんなものに自分の人生をかけて臨むのです。
舞台という娯楽が、誰かの心に豊かさもたらす事が出きると信じていますから。

奇しくも今日が千穐楽。
震災で亡くなられた方の御冥福を祈り、未だその無念や傷跡と戦い続ける方々に思いを馳せつつ、微力ながら板に上がってきます。
我田引水すると、おれの仕事とて。
本なんかなくたって、生きるには困らない。
社会的必要性も言うほど高くはない。

じゃあ、なにそんなものに命を削ってるかというと、
自分自身が人生のきょくめんきょくめんで
本によって救われてきたからであり、
見知らぬどこかの誰かにも
おんなじすばらしい体験をしてもらえたらいいなあとおもったから。
読書という娯楽が、そういう力を持ってると信じているから。

我田引水に、パクリンチョを重ねる。
堂々たる。



なんだけど、
おんなじような想いを抱いて仕事に取り組んでんだなあとわかって、なんだかうれしかった。

もし見知らぬどこかの誰かが
おれのつくった本によってすばらしい体験をしてくれたとして、

おれはたぶん一生、それを知らずに過ごすんだろうし、
その人もずっと、おれのことなど知りはしないんだろうけど、
確かにあるのは、
「おれのつくった本によって、どこかで誰かがすばらしい体験をした」
事実1点だけ、という。

そういうのっていいよね、と。



けっこうむかし、
ブログの話題になったことがある。

ブログみてるよと言うと、
「あんな短い文だけど、いつも何時間も考え込んで書き直したりしてるんだよねえ」
「それでも、なかなかおもってることズバリは書けないわけ」
と。

「脚本がいきなり変更になる場合もあって、そんなときでもライターさんは数分で書きなおしてくる。それ見て、ライターさんってすげえなとおもう。ヒロシくんもそんな感じなんでしょ」
と。



ちげえ。
それはそのライターさんがすげえんだ。
という言葉を飲みこみつつ
「お、おうよ」と。

だいたいおれ、ライターじゃないし。
という言葉を飲みこみつつ
「お、おうよ」と。。。



そのだいぶ後、
このエントリーを見て、
「“ズバリ”を書けてんじゃん」
と。
それでも今日も、そんなものに自分の人生をかけて臨むのです。
ですぞ、なにしろ。

なんでおれがやや上からなのかは、ともかく。

こういうビミョーな心のひだ。
「誰でもなんとなくおもってるが言語化されてない」ところを
ジャスト・コレ・ズバリな言語で表して、読み手に
「ああそれ、おれもおもってたんだよね」
とおもわせる。

サザンの新曲を聴いたときの「ああそれ!」感、みたいなもの。

言葉にしろアートにしろ、
その時点でもう圧勝、してやったり
てなもん。



3/10の昼ごろ、
いままでの人生でダントツに最悪な報告を聞いてから、
ずっとパニクってた。

いまもまだちょっとパニクってる。

とくに最初の一週間ほど、
なるべく抑えていた感情のあふれこぼれた部分が
ツイッターに流れ出たりもした。
フォローしてくれてる人はさぞ、うざかっただろう。

すんません
とこの場を借りて。



訃報はネットでも流れた。
2ちゃんにスレが乱立され、
yahooニュースのトップページにも出た。

パソコンでその様子をチェックしながら、
フシギな気分に気づいた。

悲しい報なのに、嬉々としてニュースや書き込みを追ってるおれ。
あの感じって、何なんだろう。



とまあ、
まだまだ書きたいことは山ほどあるが、
長くなったし、とりとめもなくなってきた。

けっきょく「彼にかんする記憶を連ね」てるだけじゃね。
なあんて気もしなくもないが、
とりあえずここらへんで。