「モノゴトを一面からだけでなく、さまざまな角度からみる大切さ」
みたいなことがある。
に対して、大いに疑問におもってる。
アマノジャクとしては。
いや、ほんっとにどうでもいいエントリーなんだけど。。。
*
ソレ、
「けっきょく『さまざまな角度っていう一面』からしかみてないよね」であり、
「『前提にそれが正しいと据えちゃう』危うさに気づかないもんかね」であり、
「一つの面をじーっとみつづけられるって、すごくね」であり、
「そんないろんな見方すんのめんどくせー」
じゃん、と。
*
おれは
自分が来年40になると気づいてから、というもの。
物事をなるべくフラットにみよう、考えよう
と努めるようになった。
「齢とると、頭が硬くなる」
っていうじゃないすか。
「世間一般の39になりなんより、
頭がふにゃふにゃなほうだ」
とおもってるし、
これからもずっとそうでありたい。
アマノジャクたるもの、
そこもバッチリ、ジャクらないと。
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ところがある日、自分が
着実に歩んでる自覚があった。
「カチカチアタマのヘンクツじいさん」
への道を。
未知のモノゴトに出合ったとき、
↓
知らず知らず、知識や経験から
似かよったモノゴトを抽出。
↓
そこから類推して仮説を立てる。
↓
仮説をもとに行動。
をしてたのだ。
*
このまんまじゃ、
自分のジョーシキ内でしか
モノゴトを判断ができなくなる。
いかんいかん、と。
おれがなりたいのは、
「アマノジャクな」ヘンクツじいさん。
「カチカチアタマの」ヘンクツじいさんではない。
いかんいかん、と。
そんなわけで、
「判断が求められるきょくめん以外は、いかなる判断もしない」
も努めることにした。
*
でも、しょせんゴッコ。
「おれ、包容力あるてい」
にすぎない。
「判断を求められないきょくめん」
なんて、そうそうないんである。
情報を全OKで受容してたら、
たくさんありすぎて、
ほんとうに求めているもの、正しいものを見落とすかもしれない。
そんなことじゃ、
ふにゃふにゃ頭でありつづけられない。
それも、いかんいかん、と。
*
ん。
ちょっと待てよ、と。
ひょっとしておれは
「ふにゃふにゃ頭でいたい」
という考えで凝り固まってる
んじゃないか。と。
などと。
言葉遊びのはじまりはじまり~。