もう終わりかけてるかもしれないケド、
大学受験のシーズンなので、1つ。
表題は20年ぐらい前に
伯母がおれに放ったひと言。
オバサンスゲーってなった。
と先にオチを言っておく。
*
浪人の何がつらいって
生まれて初めて
「いま無所属で今後どこに所属する保証もない」状況を味わう
ってことだとおもう。
まあ受験生なら、
浪人じゃなくて高校生もおなじか。
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ちょうどおれが浪人してるとき
浪人生が電車に飛び込み自殺をした
というニュースが流れた。
家族みんな医者で、自分も医学部を目指してるんだけど、
どうもこのままではキツイらしい。
という状況に絶望してのことだった。
らしい。
いま考えりゃ、そんな大したことでもないんだが、
当時はミョーに自分に重ね合わせたりなんかして、
「自分もいつそうしてもおかしくないなあ」
などとおもったりしてた。
おれは親類縁者に医者がいるわけでも、
医学部をめざしてたわけでもないが。。。
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話を戻すと、
「無所属」の打破には
受験勉強をがんばることが最短ルートになる。
でも、
それが突き進むと、
勉強してること自体がすべての免罪符になるし、
まわりも気を遣う。
さらにそれが突き進むと、
まわりがおれに気を遣ってくれてアタリマエ
みたいな、おもい上がった状態になる。
「だっておれ、受験勉強たいへんなんだぜ」って。
元はといえば、
ただ、テスト受けるだけなのに。
ただ、テメエが落ちただけなのに。
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そんな受験が迫ってきた冬のある日、
わが家に伯母が遊びにきた。
伯母はひつよう以上に気を遣うふうでもなく、
ふつうに母と談笑したりしてた。
夜の10時ごろだったか、
ちょっと休憩して夜食を物色してるとき、
ふと、伯母はおれに
「ヒロシはベンキョーだけしてりゃいいなんて、ラクだね」
と言った。
*
当時、
伯母はダンナさん(伯父なんだけどね)が体調を崩しており、
そのケアをしながら、仕事もバリバリしていた。
つまり、生活すべてを伯母が支えていた。
それにくらべりゃ、
「受験勉強してればOK」なんて、
地上の楽園ぐらい、甘ったるい世界だよなあ。
10代のボクチンはそうおもった。
何だか、いい感じで肩の力が抜けた気がした。
*
当時はまだたぶん、
おれの100%は受験勉強をすることだケド、
いずれその100%を
金を稼いだり、
家族を養ったり、
部下におごったり、
チャンネーにうつつを抜かしたり
と振り分けて、
しかもリッパにやってなきゃならない。
オトナってのは、いろいろ大変なんだな。
などと想像しながら、
そそくさと部屋に戻り、
勉強を再開させるんであった。