キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

目を閉じればいいのだ



10年ぶりぐらいに『ブッダ』を読みはじめたら、すっかりハマってしまった。



なんで「10年ぶりぐらい」かわかるかというと、
屋根裏の納戸にゆわいてあったから、なんである。



結婚して、はじめて家を出るとき、
実家のおれの部屋は、下の妹に明け渡すことになった。

おれが出ていったあと、父が天井裏に書棚をつくり、
ほとんどそのままにしておいた、旧おれの部屋は本とかを
作品ごとにヒモでゆわいて、そこへ放り込んでいった。

ゆわくのは、たんじゅんに運び上げやすかったからなんだろう。

つまり、
おれが出てってから現在までの間に
読み直したことがある本は、書棚に並べられていて、
読み直したことがないものは、ゆわかれたまま放りこまれている。

結婚して来月で丸10年なので、
最低10年は『ブッダ』を読み直していなかった、
ということになる。

という、
どうでもいい末節なのに、説明がヘタクソなうえに長え。
でおなじみの。



最近、といっても1年ぐらい前からだが
ムスメを洗脳教育している。

マンガのうえで。

いや、洗脳だの教育だのいっても、
ただ話題を共有したいだけなんだが。



天井裏には、おれや2人の妹が育ってきたマンガが
ほぼ残っている。それが教材。

洗脳教育はけっこううまくいき、
ドラゴンボールやらクレヨンしんちゃんやら奇面組は
見事にはまった。

じゃあ、まだちょっと早いかもしれないが、
手塚マンガにいってみっか、と取り出したのが、
今回のコトのほったん。

前置き、長え。



まあ、さすがにムズカしいのか、
小2のムスメは手塚マンガにはまだ触手を伸ばしてこない。

んだが、
ムスメの両親どもの触手が伸びまくっちゃった。
という。



ミョーなことに
『ブッダ』を再読しはじめてから、おれ
なんだかいろいろと、ものごとを考え出すようになっちった。。。

生きるとか、死ぬとか、金の稼ぎ方とか、楽しみ方とか。
今後、どうやっていこうなどと。
文学部アタマ(のメンドくさいああいうの)がムクムクと。

でもキホン、脳ミソが足りないから、
コムズカしいことはわからない。

考える、というか、
正確にいうと、
もちょっと考えなきゃなと考え出すようになっただけ。

そして、いまのところ、
それぞれ大きなテーマを
1つずつだけ据えないと、アタマが沸騰しちゃうな、

ということだけ、やっとわかった。



表題は、9巻で出てきたブッダのセリフ。

悟りをひらいたというブッダに対して、
一発ギャフンといわせてやろうという人たちが続々と現れる。

それが、実際ブッダに接することで、
逆にことごとくブッダに心酔していく、というくだり。

ここでは、
カッサパという科学寄りな思考で教祖となってる3兄弟と
その弟子1000人に対して、ブッダが演説をおこなう。

3兄弟の長男が火の使い手であることから、
壇上にあがったブッダに対し、
「火にしか興味ないから、火についての説教をしろ」
と目の前で燃えさかっている火を指して
演説の直前にムチャぶりする。

それに対してのブッダの演説。

人々よ……

この燃えさかる火を
一瞬のうちに消せるだろうか?
だれでも消せるのだ

火だけではない!

世の中の燃えているものいっさいがだ

あなたもナディー・カッサパ!
あなたにだって消せる!

――(カッサパ次男)どうやって?
(群衆)ヒソヒソヒソザワザワ


わからないなら教えよう
こうやって目を閉じればいいのだ
さあ! ためしてみなさい!

ほら
いっさいが消えただろう

――(カッサパ次男)バカバカしい!
だれだって目をつむればまっ暗になるわい
そんなことはあたりまえじゃないか!


ナディー・カッサパよ
あなたはそのあたりまえのことさえ
気がつかなかったでしょう

――(カッサパ次男)じゃ じゃあどうなんだ
目をつむったって
火のホテリは顔に残るぞっ
火の熱さは目を閉じたって消えんぞっ


じゃあカゴでもかぶりなさい!
そしたら火のホテリも消えるでしょう(原文ママ)



なんというか、
上記おれの「考えるべきこと」と、
この引用が直接どうつながるの?

っていわれると、うーむとなってしまう。
というハタンなんだが。

ただなんというか、
ブッダが悟りをひらくまでには、たとえば
さんざん苦行を重ねて「苦行はムダだ」というケツロンに達しちゃう、とか
そういうフクザツカイキな長い道のりを
いくつも経て、ひとつひとつを悩み抜き考え抜いてきている。

いくらなんでも前のセンテンス、
これ、はしょりすぎだな。
まあいいや。このエントリー長えし。



ことほどさように
ひとつひとつ、ちゃんと悩み抜き考え抜いてこそ
シンプルなケツロンに達することができるんじゃないか。

じゃあ、ちゃんと悩み抜き考え抜かなきゃな、
とおもった、ということ。

なんというか、
そういうことに前向きになんなきゃなとおもえた、
ということ。



文章が袋小路、
しかも観念的、
しかも、ゴンドーゴンドー雨ゴンドーよろしく、
なんというか、の超絶連投。。。



洗脳教育という意味では、

「まだ時期尚早ではあるケド、とりあえず
天井裏の見えないところじゃなくて、目の触れるところに置いてあり、
両親が夜な夜な読みふけってる」

みたいな環境に置いておくことが
さしあたり、大切なことのような気がしてる。



そこから、手を伸ばしてページを繰るかどうかは
本人の自由。

親がムリに読ませようったって、必ずしも
すんなり読み、かつ親が期待するような効果が得られるわけないじゃんか。
という。

なあんてな。