3日前、川崎国際多摩川マラソンの10kmを走った。
なんでアップまで3日もかかったのかは、ナイショである。
オトナノジジョーなんである。
ウソなんである。
まっかっかなんである。
というわけで、ジャーン(↓)。 ====
参加賞の1つ、藤子不二雄記念館のファイルとともに。
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結論からいうと、今回のレースは大失敗だった。
タイムが速いとか遅いとかでは、ない。
走っててもう、3kmぐらいからつまんなかったからである。
むろん、コースとか運営のせいではない。
「最初からあるていど飛ばして、後半粘る」
という展開を試してみたんだが、
それがもう、苦しいの苦しくないのって。
苦しくてつまんなくて仕方なかったんである。
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コースはたぶん、多摩川沿いでもっとも景色のいい区間。
等々力競技場から二子橋。
対岸はニコタマ、デンエンチョーフ。
タケコプター。言いたかっただけ。
なのに、苦しく粘ってると、景色なんか目に入らない。
ガーミンヌとにらめっこしながら、
「早くゴールになんないかなあ」だけが
頭をグルグルグルグルまわる、残務処理感。
後半、ペースアップしてきた人に抜かれる。
でも、キツくてついていけない。
「いつもジブンがやっていることを、今日は相手にやられています」
なてい。
おれはPLにめった打ちをくらう池田高校の水野か?
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「最初からあるていど飛ばして、後半粘る」を試した、
というのは、理由がある。
以下、もう完全な言いわけなんだが、
「入れ込みすぎちゃうに値する条件がバッチシ揃ってた」
からである。
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等々力競技場。
中学時代、川崎で陸上をやってたおれにとっては
まぎれもない聖地。
中3以来だから、22年ぶり。
おれが中学のころは、メインスタンドが改修された直後。
それでも「おおすげえ」という感じだった。
のち、Jリーグができて、ヴェルディーがさんざんごねたり、
いまじゃフロンターレが使ってたりする、らしい。
そんな経緯で、同じグラウンドだとおもえないぐらい、
リッパになってた。
ピッチなんて、しゃらくささきわまる呼び方は、
けしてさせない。
ピッチなんかより、ピチピチギャルがええのう。
亀仙人のじっちゃん、なていで。
かたやこれ(↓)、中2のときだから23年前。似たようなアングル。
バックスタンドは座席というより、コンクリの階段。
コーナー側のスタンドなんて芝生席だった。
もちろん屋根なぞ、ついてない。
ウラシマっぷりにもうただただ、クリビツテンギョー。
なんじゃあこりゃー、と優作なていで。
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いくらリッパになったとて、川崎の陸上部員の聖地。
グラウンドに立ったしゅんかん、なつかしさにアドレナリンが出まくる。
つい
「フルマラソンに比べりゃ、10kmなんて
たった4分の1じゃねえか」
なんておもっちった。
つい
「あのころここで、そこそこ入賞とかできてたんだから、
今日だってオイソレと負けるわけにはいかねえ」
なんておもっちまった。。。
入れ込みすぎて、最初の1km、
想定より40秒も速いペースでぶっ飛ばしちった。。。
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まあ、つくば前にいいベンキョーになった。
「ハーフでちょっと結果がよかったからって、調子乗んじゃねえぞ、コラ」
と聖地さんとかいう人から、いわれた気がした。
おれはいま、陸上部員じゃない。
勝つために走ってるんじゃなくて、
走ってて楽しいから走ってるんである。
だから、スタートから気合いを入れるひつようなんて
まったくないんである。
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おまけ。
等々力競技場から川べりに出て、二子橋で折り返して、
小杉の手前でもう一度折り返す。
その2つ目の折り返し。
選手を誘導していたのは、中学時代の陸上部の顧問だった。
20年以上経って頭は少し白くなってたものの、
おれの人生でダントツにおっかなかった人の
顔を忘れるわけはない。
残り2km弱。
でも、おれがそれに気づいたのは折り返す寸前。
ザンネンながら、声をかける時間的な余裕はなかった。
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中学時代、カレは試合では必ず第4コーナーの内側にいて、
大声で、声をかけてくれた。
予選では
「もうペース上げなくて大丈夫だから、そのままついてけ」
決勝では
「目の前のこいつを抜けば、県選抜だぞ」
といった感じで、元気づけられるような声ばかりかけてくれた。
ふだんの練習では、
ぶん殴られたり、オニのような罵詈雑言(?)を浴び続けてたにもかかわらず。
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残り2km弱、中学時代の顧問をみたしゅんかん、
そんな風景だけは頭に浮かんできた。
10kmのレースでいえば、まさに第4コーナー。
「ここでがんばんなきゃ、ぶん殴られる」
とおもった。
ってのはネタだが、
なんだか20数年前と同じように、元気づけられたような気がした。