キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

粘るのはつまんねえ。―川崎国際

3日前、川崎国際多摩川マラソンの10kmを走った。
なんでアップまで3日もかかったのかは、ナイショである。

オトナノジジョーなんである。
ウソなんである。
まっかっかなんである。

というわけで、ジャーン(↓)。 ====
IMG_0490
参加賞の1つ、藤子不二雄記念館のファイルとともに。



結論からいうと、今回のレースは大失敗だった。
タイムが速いとか遅いとかでは、ない。
走っててもう、3kmぐらいからつまんなかったからである。

むろん、コースとか運営のせいではない。

「最初からあるていど飛ばして、後半粘る」
という展開を試してみたんだが、
それがもう、苦しいの苦しくないのって。
苦しくてつまんなくて仕方なかったんである。



コースはたぶん、多摩川沿いでもっとも景色のいい区間。
等々力競技場から二子橋。
対岸はニコタマ、デンエンチョーフ。
タケコプター。言いたかっただけ。
なのに、苦しく粘ってると、景色なんか目に入らない。

ガーミンヌとにらめっこしながら、
「早くゴールになんないかなあ」だけが
頭をグルグルグルグルまわる、残務処理感。

後半、ペースアップしてきた人に抜かれる。
でも、キツくてついていけない。

「いつもジブンがやっていることを、今日は相手にやられています」
なてい。
おれはPLにめった打ちをくらう池田高校の水野か?



「最初からあるていど飛ばして、後半粘る」を試した、
というのは、理由がある。

以下、もう完全な言いわけなんだが、
「入れ込みすぎちゃうに値する条件がバッチシ揃ってた」
からである。



等々力競技場。
中学時代、川崎で陸上をやってたおれにとっては
まぎれもない聖地。

中3以来だから、22年ぶり。

おれが中学のころは、メインスタンドが改修された直後。
それでも「おおすげえ」という感じだった。

のち、Jリーグができて、ヴェルディーがさんざんごねたり、
いまじゃフロンターレが使ってたりする、らしい。
そんな経緯で、同じグラウンドだとおもえないぐらい、
リッパになってた。

ピッチなんて、しゃらくささきわまる呼び方は、
けしてさせない。
ピッチなんかより、ピチピチギャルがええのう。
亀仙人のじっちゃん、なていで。

IMG_0491

かたやこれ(↓)、中2のときだから23年前。似たようなアングル。
スクリーンショット

バックスタンドは座席というより、コンクリの階段。
コーナー側のスタンドなんて芝生席だった。
もちろん屋根なぞ、ついてない。

ウラシマっぷりにもうただただ、クリビツテンギョー。
なんじゃあこりゃー、と優作なていで。



いくらリッパになったとて、川崎の陸上部員の聖地。
グラウンドに立ったしゅんかん、なつかしさにアドレナリンが出まくる。

つい
「フルマラソンに比べりゃ、10kmなんて
たった4分の1じゃねえか」
なんておもっちった。

つい
「あのころここで、そこそこ入賞とかできてたんだから、
今日だってオイソレと負けるわけにはいかねえ」
なんておもっちまった。。。

入れ込みすぎて、最初の1km、
想定より40秒も速いペースでぶっ飛ばしちった。。。



まあ、つくば前にいいベンキョーになった。
「ハーフでちょっと結果がよかったからって、調子乗んじゃねえぞ、コラ」
と聖地さんとかいう人から、いわれた気がした。

おれはいま、陸上部員じゃない。
勝つために走ってるんじゃなくて、
走ってて楽しいから走ってるんである。

だから、スタートから気合いを入れるひつようなんて
まったくないんである。



おまけ。
等々力競技場から川べりに出て、二子橋で折り返して、
小杉の手前でもう一度折り返す。

その2つ目の折り返し。
選手を誘導していたのは、中学時代の陸上部の顧問だった。
20年以上経って頭は少し白くなってたものの、
おれの人生でダントツにおっかなかった人の
顔を忘れるわけはない。

残り2km弱。
でも、おれがそれに気づいたのは折り返す寸前。
ザンネンながら、声をかける時間的な余裕はなかった。



中学時代、カレは試合では必ず第4コーナーの内側にいて、
大声で、声をかけてくれた。

予選では
「もうペース上げなくて大丈夫だから、そのままついてけ」
決勝では
「目の前のこいつを抜けば、県選抜だぞ」
といった感じで、元気づけられるような声ばかりかけてくれた。

ふだんの練習では、
ぶん殴られたり、オニのような罵詈雑言(?)を浴び続けてたにもかかわらず。



残り2km弱、中学時代の顧問をみたしゅんかん、
そんな風景だけは頭に浮かんできた。

10kmのレースでいえば、まさに第4コーナー。
「ここでがんばんなきゃ、ぶん殴られる」
とおもった。

ってのはネタだが、
なんだか20数年前と同じように、元気づけられたような気がした。