キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

可愛い顔をして寝とるね

金子みすゞのおかわり。
きのうのエントリーで、言いたいことが実はもう1つあった。

朝のしたくをしながら片耳で詩に触れ、
気になってググっただけの知識ながら、バクゼンと抱いた違和感。

「そんなこと言ってよお、なんで自分は幼い娘を遺して自死したの?」

すぐれたアーティストが、すぐれた人間性を有するとはかぎらない。
だから、作品とパーソナリティーは必ずしも一致しなくていいんだが、
にしても、全許容な詩を紡いでおいて、全否定=自死という行動をとる。
あまりにもちぐはぐじゃね?

そんなギモンに対するソリューションを見つけた。
最期の日の種々のエピソードなぞ、あまりに切ない(↓)。

物語を物語るというブログの「ひなまつり」と「金子みすゞ」と「アフガニスタンの女性たち」

ほんとうは根本の原因をうすうすわかっていた。
つまり、乱暴にひと言でいうと時代背景なんである。

ただ、そんなミもフタもないデカいことに
結論をゆだねるのは、なんか無責任な感じがしたので
「まあそーゆーことだろう」程度に自分の胸にしまっておいた。

まあ、そんな後出しジャンケンなわけだケド、
とにもかくにも、上記リンクはバチコーンと的を射ぬいている。
以下、バチコーン部を引用。

女は女らしくあることが求められ、夫婦となれば、妻は夫に隷属することが普通であった。他と違ったことをすれば奇異に見られた時代だ。夫に詩作を禁じられれば止めなければならないし、娘を渡さないと言われれば、それに従わなければならないのだ。
女性に「個性」はあまり必要とされなかった。
だからこそみすゞは、こういったことに疑問を感じ、その思いを詩に残したのではないだろうか。

表題は上記リンクからの孫引きなんだが、みすゞの最期の言葉。

オチもツキナミだが、そんな時代が憎たらしい。
こんな豊かな才能を持った、こんな深い愛情を持つうら若き乙女を
自死させちゃうなんてよお。。。
なんである。

(「ネットの情報なんてアテにならない」というかつての発言、ここでは目をつぶってくれい)