キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

解説者の真髄

バンクーバー五輪のカーリング解説者が気にかかっていた。
小林宏さんという方だ。

オリンピック後にTVやラジオ、新聞、雑誌といったメディアに出まくっている。
きょうも朝のTVとラジオで1回ずつ、目にし、耳にした。

スポーツ中継の解説者て、難しい。
その意味では、小林さんはスポーツ解説者のカンペキモデルの1つだとおもう。



「スポーツ中継の解説者って、難しい」といったのは、
バランスのもんだい。
要素は以下の5つで、だいたい優先順。
すべてイコールではないが、これは実況するアナウンサーにも当てはまる。

1)心の底から「そのスポーツの面白さを伝えたい」という気持ち。
2)そのスポーツが持つ文化、精神性の伝達。
3)初めてみた人にも分かる実況解説。ちょっと専門的な技術解説。
4)適度な感情移入。場合によっては過度でもよい。
5)適度なキャラ立ち。




1)心の底から「面白さを伝えたい」という気持ち
ある意味、ボランティア精神に近いもの。
そして、いい意味で「そのスポーツバカ」「そのスポーツキチ」。

小林さんは、カーリングの普及はライフワークと言っているし、じっさい山中湖でカーリング場を運営している。
そういう気概。
「~バカ」「~キチ」は、実況解説を聞いていれば伝わる。ブログからもよく伝わってくる。

こういう気持ちは小林さんにかぎらず、
どんな解説者も持っているはず。
逆にいえば、こういう気持ちを持っている人が解説者になるんだろう。

2)文化、精神性の伝達
3)にも通じるのだが、実は普及をめざすならこれがいちばん大切だ。

小林さんは、オリンピックで日本チームだけでなく、相手のチームの戦略戦術の解説もしていた。
ビッグプレーが出たときは、相手チームでもちゃんとほめた。
“敵”というより、“相手”だからだ
とラジオで言っていた。

「解説者という立場として」の発言だがたぶん、
カーリングという競技がそもそも
そういう文化、精神性で成り立っている
ということがよく伝わってきた。

たとえば「横綱の品格」もんだい。
たびたび朝青龍が取り上げられ、世論で賛否わかれる。
どうしてわかれちゃうかというと、解説者(相撲でいうと協会もだが)の相撲文化、精神性を伝達する能力、努力不足、あるいは欠如がけっこうな割合を占めるんではないか。
などと。

3)初めてみた人にも分かる実況解説。ちょっと専門的な技術解説
どっちも重要だが、バランスが難しい。
前者に寄りすぎると、知っている人にとっては煩わしい。
アメフトの甲子園ボウルとかライスボウル、みたいに。
かたや後者に寄りすぎると、初めてみた人はわからない。
ゴルフやサッカーの中継、みたいに。

小林さんは、
「7エンドまで前者、8~10エンドまでは後者にウェートを置く」
とどこかで言っていた。

オリンピックでいえば、フィギュアスケートの解説は後者に寄りすぎていた気がする。
「いまのジャンプは回転不足かもしれませんねえ」
なんて、終わってから一言いえばいいだけのこと。

そればかり言われると、そこにしか目がいかなくなっちまう。

また、解説者がおのれの力量を誇示しようとしてるのかしらんが、
野球解説者には後者がやたら多い。

4)適度な感情移入(場合によっては過度でもよい)
これはフシギ。
個人差(言う人もみる側も)なのかもしれん。

実況アナウンサーの
野球の「打ったーーーー!」
サッカーの「ゴーーーーール!」
は耳ざわりでしようがないのだが、

小林さんの「イエース!」「This is Curling!」は許せる、とか。
そのスポーツ自体や選手へのリスペクトのあるなしに拠るのかも。

5)適度なキャラ立ち
マスコミ的には大事な要素なのかも。
小林さんもこれがあるからこそ、
メディアに取り上げられているかもしれない。

ただ、これは副次的なもの。

ラジオで、外国の美女選手に会ったことを「どーでしたか?」と聞かれたとき、
小林さんは咳こんだ。たまたまだろう。

そのあと、
「変な質問されたから、咳こんじゃったよ!」
とか言う。

ちょっと違うかもしれないが、そういうこと。

高校野球中継で、
NHKアナウンサーはキャラが立っていないがいいし、
ABCアナウンサーはキャラが立っているふうだがよくない。
つうこともある。

ねらってないか、ねらいすぎているか、かもしれん。



などとエラソーに。

テレビのスポーツ中継で、
実況や解説がうるさいあまり、
ミュートにして視聴することも少なくない。

でも、できればそんなことしたくないし、
解説者がすばらしければそのぶん、
みてよかった感も増すんだが。