キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

優等生発言はいらね

愛子さまが通学せず=学校生活、不安訴え-宮内庁
これは由々しい。
クラスメートの親なんか、もうヒヤヒヤもんなんだろうな。

皇族だからいいとかよくない、ではない。



いじめ。
どんな理由であれ、自分の子どもがいじめに遭ったら
親として徹底的にバトるのが、オレのスタンスであり覚悟。

まあ、まだ実際に出くわしていないので、たぶんに妄想だし
オレのスタンスに賛否両論あろうが。



「子どもには子どもの世界があるんだから、親が介入するのは……」
とか、
「そのくらい自分で解決するつおい人間にならなくては……」
などとほざくパカタリがいる。
こんな優等生発言をする人は、これまでどんだけ挫折知らずの人生をあゆんできたんだろう。

冒頭のニュースにしても、
「そんなことでは将来……」
なんて意見がネットの書き込みにあった。



むむむ。
あのう、いじめなんですよ。

小さい胸に不安やら恐怖やら絶望やらを抱えこんで、
じっさい、自死したりしちゃうこともあるんですよ。

“好きな女の子にわざといじわるをしちゃう”とか、
そういう昭和なかわいらしさじゃないんですよ。



話を戻すと、
もしわが子がいじめに遭ったら、
守れるのは親しかいないじゃないか、
と考える。

「復讐」
というと大それたことになっちゃうケド、
先方さんには相応のオトシマエはつけさせるし、
「とんでもないことをした」をテッテーテキに知らしめる。

他人に与えた痛みを、身をもって分かってもらう。

独善的かもしれないが、ひいては
それが先方さんに対するオレの一種の愛情表現でもある。
愛情表現は教育と換言してもよい。

かつてよくいた
「他人の子もちゃんと叱る(子どもからすれば)おっかないおっちゃん」
みたいな存在。オレはそうありたい。



以下、エクスキューズ。

もちろん、
「子どもには子どもの世界があるんだから、親が介入しすぎるのは……」
もわからんではない。

オレの「オトシマエつけさせ行動」が、かえってわが子の負担になることもあるだろう。
オレ自身、子どものころ、人並みにいじめられた(いじられた?)経験はある。
わきまえるところも、加減のつけ方も分かってるつもり。

その上で、だ。
まずすべきは、いじめを辞めさせること。
だからまず、優等生発言なんてなんの役にも立たんのだ。

求められているのは、ソッコーで解決できる手立て。
「正論」ではない。



「こいつ、モンペア?」
なんておもう人がいるかもしれん。
ここまでの物言いから、そうおもわれてもまあ、仕方がない。



子どもを保育園に預けていると、
たまにビミョーなシーンに出くわす。
(オレにとってはまったくビミョーではないんだが)

たとえば、おともだちとおもちゃを取り合ってケンカになる。
こんなのは、親がしゃしゃり出る場面じゃない。
ケンカすりゃいいのだ。傍観しつつ止めどきをうかがう。

たとえば、我が子がおともだちをバカにしたような物言いをする。
オレはすかさず「ちょっと待て」と諭す。

たとえば、我が子が好きなおともだちを、親しみを込めて呼び捨てにする。
そういう態度は全面的にバックアップする。

たとえば保育園で、我が子がすっ転んで軽く頭を打った。申し訳ないと先生から報告を受ける。
子どもはすっ転ぶもんなんだから、気にすんなと先生に言う。

よほどのケガをしたのならともかく、タンコブの1つや2つこしらえたからって、大したことじゃあない。
むしろこっちからすれば、先生はそんなに神経質にならなくていいとおもうが、これも1つのご時世みたいなもんだから仕方ない。

みたいな。