キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

書くんであって、描くんじゃない

狛江市は絵手紙発祥の地なんだと。

住んでるので、折に触れ目にはしていた。
絵手紙ってキレイだし、
つくってて(描いてて)楽しいだろうなとおもう。

自分でやろうとはおもわないケド。



さて。
(書き)文字をどう解釈するか。
けっこう深いもんだいだ。

解釈、なんていうと堅苦しいので噛み砕くと、

考えられるのは、
1)絵のようにビジュアルとして
2)書として
3)たんじゅんに伝達手段として
の3つ。

自分が文字を書くスタンスはどれか、ということ。



オレ自身は(3)伝達手段として。
「判読できさえすりゃいい」とおもっている。

「字がキレイだ」と言われたことはないが
「読みやすい字だ」とはよく言われる。

ヨクチョンギレルハサミダ。
どうでもいい。。。
話がそれた。



いいたいのは、「描く」と「書く」の違い。
(1)は「描く」であり、(2)は「書く」。

正解(というか本来)は、(2)「書く」だろう。

書くから「書道」であって、
描くなら「描道」っていうでしょ。
みたいな。



でもずっと気になっているのは、
文字に関して(1)と(2)の区別をわかってない人が多い
ということ。

たとえば、ラーメン屋とか居酒屋の壁とかメニューでよく見かける
アート風(ふう)筆文字。
アヴァンギャルド風なアレ。
アレはおそらく「描く」に分類されるものだろう。

じゃあ、文字を「書く」と「描く」って具体的にどう違うの?
と言われると、とたんにトーンダウン。

ムズカシイ。わからん。。。



よくわからんが、
味がおのずと出てくるか、
味を出そうとがんばっているかの違い、
ということかな。

「描く」系は、
ラーメン屋の壁しかり、
気持ちはわからんでもないが、
書体も文面もやたら説教くさく、押しつけがましい傾向。

対して「書く」系は、
技術とか精神のありようとか、人間性がある程度つかめる。

うーむ、どうも観念的だ。

(奇をてらっていないこと前提で)
ペンとかの書き文字で
「こいつの字、ヘッタクソなんだけど
なんか気持ちがわかるんだよなあ」
って人がいる。
そーゆー感じ。



ここまでの文脈で隠しようもないが、そもそも
「字を“描く”つう方向性は、なんかちょっと違うんじゃねえの?」
とギモンを呈したいんである。

絵手紙だって、リクツは
文字と絵とが別々に存在しており、
それら(「書く」と「描く」)の調和が
キレイ、美しい、なんである。

なのに、
文字を必要以上にデザイン(「描く」)しちゃうと
調和じゃなくて、「描く」一色になる。
じゃあ、
なにも「書き」文字が介在する必要性はないじゃん。

とか。



いい悪いではなく
あくまで好みのもんだい。。。

専門知識があるわけじゃないので、
トンチンカンなことを言ってるかもしれないし。

悩ましいのは、
オレの“伝達手段として、判読できさえすりゃいい”は「描く」に近い。
つう、矛盾があるところだな。