『ぼくは本屋のおやじさん』と並んで
1年に1度くらいは必ず読み返す。
いい本、というと言い方が陳腐だが
何度も読み返したくなる本。
何度も読み返したくなる本というのは
それなりの理由がある。
内容は知っているのに
そのつど新鮮にドキドキしたりする。
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この本はタイトルどおり、
キャッチボールにまつわる
有名無名人の55の言葉から、
そのすばらしさを伝える本。
読むと、おもわず
キャッチボールしたくなる本。
ドラマとか小説とか講演とか、
読んだり聴いたりしていると、
「そろそろここらへんで感動させてほしいんだよな」
とおもう局面が必ずある。
自分が求めるゼツミョーなタイミングで
それが実現すると、
ミョーなカタルシスを得られる。
おれがこの本を読む理由は、そんな感じ。
*
今回読んで、あらためてわかったのは、
「何度も読むと、意外なところから
その時点でのいちばん共感できる部分が
飛び出してくる」ということ。
何も、年に数百冊読めばエラい
というものでもないのだ。
オレは野球好きでもあり、
もちろんキャッチボールも好きなので、
沢村栄治のくだりや、寺山修司のくだりは
言うまでもなくタマラン。
ついでに言うと、
この本を掉尾をかざるエピソードも、ほぼ神。
の逸話。
これら、具体的な内容は
ネタバレになるのでカツアイ。
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ただ、今回
「意外なところから」すごいものを発見した。
以下、ネタバレになるが、その項を引用。。。
たぶん、この本の根っこにある、
著者がいちばん伝えたいことって
こういうことなのかなとおもうので、あえて。
もろ引用だが、著作権とか、知らん。
ダイジョブだろ、たぶん。。。
「いいのよ、そんなにやさしく投げなくたって」
「いいよ」
これは、珍しく母親と息子のキャッチボールである。
伊集院静の直木賞作品『受け月』の中の一遍《夕空晴れて》より。
由美の夫は数年前に亡くなった。生前、夫は息子の茂とキャッチボールをやりたがっていた。茂は小学生になり、野球のクラブに入っている。そんな息子を由美はキャッチボールに誘う。「本当に、ママ、キャッチボールできるの」と、茂は喜ぶ。が、由美を気づかって、茂はボールを柔らかに投げてよこす。そこで右の会話となる。
この母親は、キャッチボールをしながら、息子のやさしさに気づく。彼女が暴投すると、息子は走ってボールをとりに行って、また柔らかに投げ返してくる。頼もしい、と感じ、母親は嬉しくなる。そして不意に、亡くなった夫のことを思い出す。
キャッチボールには実にさまざまなものが含まれているが、ここにあるのは息子の母親に対する「思いやり」であろう。あるいは、男の女に対する「気づかい」であろう。
年齢や性別に関係なくできるというのも、キャッチボールのいいところである。そして、年齢や性別に関係なく、キャッチボールをすると相手の気持ちが伝わってくる。