キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「また柔らかに投げ返してくる。」



『ぼくは本屋のおやじさん』と並んで
1年に1度くらいは必ず読み返す。

いい本、というと言い方が陳腐だが
何度も読み返したくなる本。

何度も読み返したくなる本というのは
それなりの理由がある。
内容は知っているのに
そのつど新鮮にドキドキしたりする。



この本はタイトルどおり、
キャッチボールにまつわる
有名無名人の55の言葉から、
そのすばらしさを伝える本。

読むと、おもわず
キャッチボールしたくなる本。

ドラマとか小説とか講演とか、
読んだり聴いたりしていると、
「そろそろここらへんで感動させてほしいんだよな」
とおもう局面が必ずある。

自分が求めるゼツミョーなタイミングで
それが実現すると、
ミョーなカタルシスを得られる。
おれがこの本を読む理由は、そんな感じ。



今回読んで、あらためてわかったのは、
「何度も読むと、意外なところから
その時点でのいちばん共感できる部分が
飛び出してくる」ということ。

何も、年に数百冊読めばエラい
というものでもないのだ。

オレは野球好きでもあり、
もちろんキャッチボールも好きなので、
沢村栄治のくだりや、寺山修司のくだりは
言うまでもなくタマラン。

ついでに言うと、
この本を掉尾をかざるエピソードも、ほぼ神。
の逸話。

これら、具体的な内容は
ネタバレになるのでカツアイ。



ただ、今回
「意外なところから」すごいものを発見した。
以下、ネタバレになるが、その項を引用。。。

たぶん、この本の根っこにある、
著者がいちばん伝えたいことって
こういうことなのかなとおもうので、あえて。

もろ引用だが、著作権とか、知らん。
ダイジョブだろ、たぶん。。。
「いいのよ、そんなにやさしく投げなくたって」
「いいよ」


 これは、珍しく母親と息子のキャッチボールである。
 伊集院静の直木賞作品『受け月』の中の一遍《夕空晴れて》より。
 由美の夫は数年前に亡くなった。生前、夫は息子の茂とキャッチボールをやりたがっていた。茂は小学生になり、野球のクラブに入っている。そんな息子を由美はキャッチボールに誘う。「本当に、ママ、キャッチボールできるの」と、茂は喜ぶ。が、由美を気づかって、茂はボールを柔らかに投げてよこす。そこで右の会話となる。
 この母親は、キャッチボールをしながら、息子のやさしさに気づく。彼女が暴投すると、息子は走ってボールをとりに行って、また柔らかに投げ返してくる。頼もしい、と感じ、母親は嬉しくなる。そして不意に、亡くなった夫のことを思い出す。
 キャッチボールには実にさまざまなものが含まれているが、ここにあるのは息子の母親に対する「思いやり」であろう。あるいは、男の女に対する「気づかい」であろう。
 年齢や性別に関係なくできるというのも、キャッチボールのいいところである。そして、年齢や性別に関係なく、キャッチボールをすると相手の気持ちが伝わってくる。