いろいろとギロンがあるらしい。
でもオレはこの番組を見たことないから、知らん。
さておき。
26日の朝日新聞朝刊、
テレビ番組への読者投稿欄にて。
ん? なんか違和感。。。
*
いちおう全文。
採点に公平さを望みたい
22日の「キングオブコント2009」(TBS系)を、子どもと一緒に楽しく見ました。ただ、採点結果と観覧客との反応の間に微妙なズレを感じました。芸人たちが採点すると、事務所や先輩・後輩の関係が点数に反映されてしまうのではないでしょうか? それが一般の人々との感覚とズレて、多少盛り上がりに欠けてしまったような気がしました。次回はより公平さを保つ採点方法を望みたいと思います。(原文ママ)
調べた上でこのエントリーを書いてるわけじゃないので、
希望をあらわす「望む」の正しい遣い方は知らん。
ひょっとしたら、このエントリー自体、でたらめかもしれない。
にしても、
「望みたいです」
っておかしくないか?
スルーできず、耳に引っかかる感じ。
*
<違和感その1>
「望みたい」っておかしくね?
ここでいう「望む」には、すでに
wantなりhopeの意味がこめられている。
なのに、「~たい」と
wantなりhopeが重ねられている。
これってニホンゴとしてアリなんだろうか。
「望みます」で十分ではなかろうか。
もしくは、この人がそれほど望むのであれば、
「強く望みます」「切望します」とか。
さらに「~と思います」ときている。
ハナっからアンタの感想なのに、
いまさら「思います」ってどうなのよ?
まあこれは、主題をボカすだけなので、あえて措く。
*
<違和感その2>
見出しのつけ方おかしくね?
「その1」は百歩ゆずるとする。
いきおいで投稿しちゃうぐらい、
この人のパッションがまさったと取れば
些細なことかもしれない。
ただ、「見出しにしますかね?」ということ。
ふつう、こういう見出しって、
編集段階で記者(?)がつけるもの。
その記者(?)は、生業として言葉を扱う身として
1つは、「その1」でおれが感じたようなことを
感じなかったのか。
(くりかえすが、見当違いだったら「ゴメンチャイ」だ)
もう1つは、
もうちょっとうまいことできないものかねえ。
だ。
*
おれが記者だったら、
同じ方向性なら、
「採点に公平さを希望」
あるいは「採点に公平さを望む」。
本文から拾うとしたら、
「採点に微妙な感覚のズレ?」とか
「より公平な採点方法を」とか。
「人間関係が採点に影響?」とか。
*
エクスキューズ的には、
おれだってこういうのつけるの、
あまり得意ではないんだ。
*
この記事について考えていて、
ふと昭和天皇のことを思い出した。
昭和天皇は、園遊会で参加者に、
かならず「~と希望します」と言ってた。
いつも判で押したように
「希望します」だったので、
幼なゴコロに、ギャグネタだと信じていた。
ただ、いまとなってみれば
天皇という立場とか、
受信者へのメッセージ性を含めて、
まことに適切な表現だとおもう。
「してほしい」でも「しろ」でも「おもいます」でもない。
「私個人としては、こうしてもいいとおもうんだけどねえ」
という、ゼツミョーな立ち位置。
いやはや。