キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ONに見る自分探しのカタチ

ゆうべのことになるが、NHKでやってた番組を
ついついメモをとりながら見てしまった。
「シリーズ ONの時代 スーパーヒーロー 50年目の告白」

「自分探し」という言葉が
さかんに遣われ出したのは
いったい、いつからだろう。

あたかもそれが義務であるかのように、
はたまた、なかばギャグとして。。。



この番組で取り上げたのはONの選手時代。
長島が引退するまで。

メモを見直すと、
世間的なONのイメージをみずから
くつがえそうくつがえそうとする
王、長島の発言がならぶ。



さて。
長島は監督になってから
シマの字に「嶋」を遣い出した(とおもう)。

長島引退の年に生まれたオレは
「ヤマドリ」のほうがなじみ深いのだが、
どうも、選手時代について語る場合、
「島」のほうが合っている感じがする。

だからここでは「島」の字を遣う。



完全なイメージ論はさておき。
以下、メモから本人の発言の抜粋。

長島
○自分のいいところだけを見せる。
○何をやっても長島、長島。正直キツい。重荷ある。

○長島さんのあのキャラクターは完全に虚像。
○私も世間のイメージとズレないように生きてきた。
○世間が私にホームランを期待する。それに応えようと、(私は自分自身を)練習に追いやった。

言葉じりだけをとれば、王さんの「追いやる」なんて秀逸。
あくまで「駆り立てる」んじゃない。



ファンあってのプロ野球
などともっともらしいことが言われている。
あるいは、かつて言われていた。

日本プロ野球のシンボルたるこの2人は
けっきょくそのことだけを考え、
愚直に体現してきたことがよくわかる。

つまり公人として。
あ、公人て、総理大臣が靖国神社に参拝したとき
とかにニュースでよくいう、あれね。



ONはいやおうなく、
自らが公人であることを前提として
自分探しをおこなってきた。
そのアプローチ方法でも
立派に自分探しできる、というカタチ。

第一線を退いてから海外豪遊をすることでも
夢の世界と現実の世界が分断されて、
両方の世界にそれぞれ存在する自分を
統合しようと試みることでもない。

後者、まわりくどい。DQ6。

ONの自分探しのゴールはきゅうきょく、
「ファンの期待に応えつづける」ことで。
半世紀たったいまも、それは変わっていない。



長島は冒頭近くで、
いま、こんな姿を他人に見せるのはいかがなものか、
とよく言われるんですが、私はむしろ見せたい。
みなさんに見せることを、
(リハビリをがんばる)モチベーションにしたい。
みたいなことを言っていた。

ONの生きざまは、強引に言えば、
日本の高度成長をささえた精神のテンプレートだ。
「レールの上をまじめに走り続ければ、
誰もが幸せになれる」
みたいな。



ゴールが決まっている人生。
なあんだ、つまらん。

などというのは、
自分でレールを敷いたことも、
幾十年、忠実にそこを走りつづけたこともない
アマノジャクの考え。

と、ここではいいたい。
自分に対しても含め。

そうやって生きてきたからこそ
自分を客観的にみる視点や、
まわりを注意深く、冷静に見られる視野の広さが
鋭く養えた。

という見方もできる。
これが、彼らの自分探しのカタチ。



別々におこなわれたインタビューでありながら、
ONに共通していたのがまさにそこだった。

ともに、3つの視点からものごとを見ている。

上記の2人の発言メモ。
あれは世間に対する立ち居振る舞い方
(と正直な心情吐露)。

どの時点でそういう意識をもったのか、
すごく興味があるけど、ここでは措く。
これが1つ。



もう1つはもっと身近に、
長島と王が互いを見合いながら、
相手のコントラストを演じてきた、という点。

「天才、スーパースター」長島に対する、
「努力家、ホームランをいっぱい打つ」王。

かんたんなようだが、身近なだけに
よっぽどたんねんに相手を見てないと、
自分の立ち位置がわからなくなっちゃう。
ふつうは。

ネクストバッターズサークルで
3番王を見ていた4番長島は
こんなことを言っていた。
王さんはスランプが長い。
いちど陥ると30~40日、ずーっと悩んでいる。
(おれ注。番組中、長島はこう言っていた。「ワンちゃん」じゃないのね)



あと、
世間のイメージの「自分」が、素の「自分」と
まったくのイコールであるわけはない。

たとえば、長島だって努力をしたり、
憂いを帯びた表情をする。
たとえば、王だってなまける。


ある意味神様だけど、仙人じゃない。
エロいことばっか考えてモンモンとしたり
調子に乗って飲みすぎて
翌日「もう二度と飲むまい」と
後悔することだってあるだろう。

他人に嫉妬することだって、あるだろう。

そういう自分と向き合う。
これが3つめ。



そうやって3つを行き来しつつ
自分を探すというカタチもある。

まとまった休みをとれたからといって、
あらためて「オレの今後の人生とは?」
なんて気張って考えなくても、
身近なことからいくらでも考えられる、はず。

そうすれば、
「いまの自分は本来あるべき姿じゃない」
などという甘えが出るはずないのだが。

はからずも説教じみてきたので、とりあえずやめ。