ついついメモをとりながら見てしまった。
「シリーズ ONの時代 スーパーヒーロー 50年目の告白」
「自分探し」という言葉が
さかんに遣われ出したのは
いったい、いつからだろう。
あたかもそれが義務であるかのように、
はたまた、なかばギャグとして。。。
*
この番組で取り上げたのはONの選手時代。
長島が引退するまで。
メモを見直すと、
世間的なONのイメージをみずから
くつがえそうくつがえそうとする
王、長島の発言がならぶ。
*
さて。
長島は監督になってから
シマの字に「嶋」を遣い出した(とおもう)。
長島引退の年に生まれたオレは
「ヤマドリ」のほうがなじみ深いのだが、
どうも、選手時代について語る場合、
「島」のほうが合っている感じがする。
だからここでは「島」の字を遣う。
*
完全なイメージ論はさておき。
以下、メモから本人の発言の抜粋。
長島
○自分のいいところだけを見せる。
○何をやっても長島、長島。正直キツい。重荷ある。
王
○長島さんのあのキャラクターは完全に虚像。
○私も世間のイメージとズレないように生きてきた。
○世間が私にホームランを期待する。それに応えようと、(私は自分自身を)練習に追いやった。
言葉じりだけをとれば、王さんの「追いやる」なんて秀逸。
あくまで「駆り立てる」んじゃない。
*
ファンあってのプロ野球
などともっともらしいことが言われている。
あるいは、かつて言われていた。
日本プロ野球のシンボルたるこの2人は
けっきょくそのことだけを考え、
愚直に体現してきたことがよくわかる。
つまり公人として。
あ、公人て、総理大臣が靖国神社に参拝したとき
とかにニュースでよくいう、あれね。
*
ONはいやおうなく、
自らが公人であることを前提として
自分探しをおこなってきた。
そのアプローチ方法でも
立派に自分探しできる、というカタチ。
第一線を退いてから海外豪遊をすることでも
夢の世界と現実の世界が分断されて、
両方の世界にそれぞれ存在する自分を
統合しようと試みることでもない。
後者、まわりくどい。DQ6。
ONの自分探しのゴールはきゅうきょく、
「ファンの期待に応えつづける」ことで。
半世紀たったいまも、それは変わっていない。
*
長島は冒頭近くで、
いま、こんな姿を他人に見せるのはいかがなものか、みたいなことを言っていた。
とよく言われるんですが、私はむしろ見せたい。
みなさんに見せることを、
(リハビリをがんばる)モチベーションにしたい。
ONの生きざまは、強引に言えば、
日本の高度成長をささえた精神のテンプレートだ。
「レールの上をまじめに走り続ければ、
誰もが幸せになれる」
みたいな。
*
ゴールが決まっている人生。
なあんだ、つまらん。
などというのは、
自分でレールを敷いたことも、
幾十年、忠実にそこを走りつづけたこともない
アマノジャクの考え。
と、ここではいいたい。
自分に対しても含め。
そうやって生きてきたからこそ
自分を客観的にみる視点や、
まわりを注意深く、冷静に見られる視野の広さが
鋭く養えた。
という見方もできる。
これが、彼らの自分探しのカタチ。
*
別々におこなわれたインタビューでありながら、
ONに共通していたのがまさにそこだった。
ともに、3つの視点からものごとを見ている。
上記の2人の発言メモ。
あれは世間に対する立ち居振る舞い方
(と正直な心情吐露)。
どの時点でそういう意識をもったのか、
すごく興味があるけど、ここでは措く。
これが1つ。
*
もう1つはもっと身近に、
長島と王が互いを見合いながら、
相手のコントラストを演じてきた、という点。
「天才、スーパースター」長島に対する、
「努力家、ホームランをいっぱい打つ」王。
かんたんなようだが、身近なだけに
よっぽどたんねんに相手を見てないと、
自分の立ち位置がわからなくなっちゃう。
ふつうは。
ネクストバッターズサークルで
3番王を見ていた4番長島は
こんなことを言っていた。
王さんはスランプが長い。
いちど陥ると30~40日、ずーっと悩んでいる。
(おれ注。番組中、長島はこう言っていた。「ワンちゃん」じゃないのね)
*
あと、
世間のイメージの「自分」が、素の「自分」と
まったくのイコールであるわけはない。
たとえば、長島だって努力をしたり、
憂いを帯びた表情をする。
たとえば、王だってなまける。
ある意味神様だけど、仙人じゃない。
エロいことばっか考えてモンモンとしたり
調子に乗って飲みすぎて
翌日「もう二度と飲むまい」と
後悔することだってあるだろう。
他人に嫉妬することだって、あるだろう。
そういう自分と向き合う。
これが3つめ。
*
そうやって3つを行き来しつつ
自分を探すというカタチもある。
まとまった休みをとれたからといって、
あらためて「オレの今後の人生とは?」
なんて気張って考えなくても、
身近なことからいくらでも考えられる、はず。
そうすれば、
「いまの自分は本来あるべき姿じゃない」
などという甘えが出るはずないのだが。
はからずも説教じみてきたので、とりあえずやめ。